画家一覧

その他

奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )

世界的に評価されているポップアート作家。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。

1984年 初の個展 (名古屋市)
1984年 グループ展「奈良美智、三浦孝治二人展」 SPACE DENEGA 弘前市での初の展覧会
1999年1月13日 - 2月14日 個展「Walking alone」 ザ・ギンザアートスペース(現 資生堂ギャラリー。東京)
2000年3月18日 - 6月25日 個展「Walk On」 シカゴ現代美術館
2000年3月24日 - 5月20日 個展「Lullaby Supermarket」 サンタモニカ美術館

個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001年8月-2002年9月)

個展「Nothing Ever Happens」(2003年9月-2005年5月) クリーブランド現代美術館、2003年9月12日 - 2004年1月4日
ペンシルベニア大学現代美術館、2004年1月24日 - 4月3日
サンノゼ美術館、2004年7月25日 - 10月31日
セントルイス現代美術館、2004年12月3日 - 2005年2月26日
ホノルル現代美術館、2005年3月25日 - 5月22日

2004年8月11日 - 10月11日 個展「From the Depth of My Drawer」 原美術館(以後、金津創作の森(福井県)、米子市美術館、吉井酒造煉瓦倉庫(下記)、ロダンギャラリー(ソウル)を巡回)
2005年4月16日 - 5月22日 個展「From the Depth of My Drawer」 吉井酒造煉瓦倉庫
2005年9月28日 - 12月18日 グループ展 奈良美智+graf「A to Z」 横浜トリエンナーレ
2005年10月8日 - 10月9日 グループ展 「とがびアートプロジェクト2005」長野県千曲市戸倉上山田中学校
2006年7月29日 - 10月22日 個展 奈良美智+graf「A to Z」 吉井酒造煉瓦倉庫
2006年9月30日 - 2007年3月21日 個展「Moonlight Serenade -月夜曲」 金沢21世紀美術館
2006年11月3日 - 2007年1月14日 グループ展「広島市現代美術館コレクションによる『この20年の、20のアート』」 札幌芸術の森美術館
2007年6月2日 - 2007年10月7日 個展 奈良美智「Yoshitomo Nara 奈良美智展」 ハーグ現代美術館
2007年9月21日 - 2008年1月6日 個展 奈良美智+graf「Torre de Malaga (Tower of Malaga)」 マラガ現代美術館
2008年6月12日 - 10月26日 個展  BALTIC現代美術センター イギリス
2012年7月14日 - 9月23日 横浜美術館 『[nara yoshitomo:a bit like you and me] 奈良美智:君や僕にちょっと似ている』
2014年10月3日 - 12月7日 「Greetings from a Place in My Heart」 Dairy Art Center ロンドン
2014年11月7日 - 11月9日 沢田マンションギャラリーroom38 『3日間の奈良美智・ドローイングショウ』
2015年3月6日 - 7月26日 「Life is Only One / 無常人生」 Asia society Hong Kong 香港


にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。見た目の親しみやすさからイラスト的という批判も受けるが、自身のスタイルを変えることはない姿勢で、高い評価を受けている。
自身の作品の他には著名な音楽アーティストのCDジャケットのデザインを手掛けている。
2009年国内オークション会社高額落札TOP10に2点ランクイン。3位「ASH NIGHT」2000年制作(落札額5,700万円)、6位「Winter Long」1999年制作(落札額4,025万円)。

受賞
名古屋市芸術奨励賞(1995年)
ニューヨーク国際センター賞(2010)
芸術選奨文部科学大臣賞(2013)



翁同龢(おうどうわ・翁同和 1830年~1904年)

中国の政治家・書家。

1830年 - 江蘇州に生まれる。
1856年 - 光緒帝の師傅(しふ)をつとめ皇帝の信任を得る。
1904年 – 死去。

中国,清末の官僚。江蘇省常熟県の人状元で進士に及第し,刑・工・戸各部の尚書,軍機大臣を歴任,皇帝と西太后の対立が深まると帝党の中心として李鴻章らと争い,日清戦争では主戦論を唱えた。皇族の親政を強化するべく康有為らの変法維新の主張をとりあげ戊戌変法を企てたが,変法の詔から4日目に西太后は皇帝に迫って翁同龢を解任帰郷させた。
作品の書物はどれも力強い筆の勢いと翁同龢の厳しく己を省みる意志が込められたものが数多く存在する。



郎世寧(ろうせいねい・カスティリオーネ 1688年7月19日 - 1766年7月17日)

清朝に仕えたイタリアのイエズス会修道士・宮廷画家

1688年 - イタリアに生まれる。
1715年 - 27歳の時に北京へ移住、伝教活動を開始。
1723年 - 静物画「聚瑞図」を製作
1736年 - 乾隆帝・皇后・11人の貴妃を描いた「心写治平」を製作
1766年 - 北京で没し、侍郎の官位を贈られた。

郎世寧は中国名。原名はジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)。康熙帝、雍正帝、乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国へ伝え、美術や建築に影響を与えた。絵画作品では乾隆帝大閲図、ジュンガル討伐戦の情景画、香妃肖像画などが有名である。バロック様式を取り入れた離宮である円明園西洋楼を設計した。人物、花卉、鳥獣画が得意。享年78歳。



李鴻章(りこうしょう 1823年2月15日~1901年11月7日)

中国の政治家

1823年 – 北京で生まれる。
1852年 - 曽国藩が江西省へ転勤。そこで政府の命令を受けて湖南省へ移動し湘軍を創設して太平天国との戦いを開始する。
1855年 - 父が亡くなり家族揃って曽国藩の庇護に入った。
1867年 - 湖広総督に任命される。
1885年 - 天津条約を締結させる。
1901年 - 辛丑条約を締結し、その年の11月7日に病死した。

清朝末期の内政・外交・軍事において国を支えた人物。7洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣となり、調印を行ったことでも知られる。日清戦争の講和条約(下関条約)では、清国の全権大使として調印を行った。活人剣の碑という石碑もあり、日本とも深く関わりのあった人物。彼の残した書物もいくつか存在している。



金農(1687年~1762年)

中国の書画家。

浙江省杭州出身。考証学者・何焯を師事して金石を研究。
30歳になると地方を行脚して刻石拓本を収集していた。ばしば揚州を訪れ、晩年はそこに定住した。揚州八怪と呼ばれる人物の一人。金農の書いた書は漢隷をもとに独特な方形の書体をしている。画もまた花卉雑画を古拙な画風で描き、揚州八怪の他の画家に影響した。
画は唐宋の諸家を学び、梅竹、花果、馬、仏を描いた、特に墨梅がすぐれ、代表作に大作の墨梅図・四幅対がある。



鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう)

1898年~1982年。福岡県出身。人形作家。

1913年 有岡米次郎に博多人形の制作を学ぶ。
1920年 テラコッタで個展を開催。
1932年 紙塑人形制作を始める。
1936年 帝展で入選する。
1942年 日本文学報国会短歌部会初代常任理事となる。 
1946年 日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協会理事、専門委員を務める。
1954年 日本工芸会正会員、日本伝統工芸展鑑査委員、 鑑審査委員専攻委員長、常任理事、
     人形部部長を務める。
1957年 第1回紙塑人形個展を開催。
     第13回日展で依嘱出品。
1961年 人間国宝となる。
1967年 文化財保護審議会専門委員に任命される。
     紫綬褒章を受章。
1968年 第2回迢空賞を受賞。
     勲三等瑞宝章を受章。
1982年 逝去。

博多人形を学び、テラコッタ人形を手掛けた後、紙塑人形の技法を創始する。
塑像の材料作りや貼り付ける和紙の塗りを自ら行い、その芸術性の高さと作品の美しさが評価され、人間国宝にも認定されている。



香取 秀真(かとり ほつま)

1874年~1954年。千葉県出身。鋳金工芸作家。

1897年 東京美術学校 鋳金科を卒業。
1899年 正岡子規門に入り歌人としても活躍。
1900年 パリ万国博で銀賞牌を受賞。
1903年 1943年まで東京美術学校にて40年間教鞭をとる。
1908年 同志と東京鋳金会を設立。
1914年 東京鋳金会を発展させた青壺会を津田信夫らと結成。
1934年 帝室技芸員に認定される。
1953年 美術工芸家として初の文化勲章受章者となる。

1903年から母校に勤め、鋳金史、彫金史などを講義するなど、金属工芸を美術として認知させるための活動に尽力した鋳金工芸作家。
また、国宝や重要美術品等の文化財の保護にも努めた。
帝室技芸員(現在の人間国宝)や、文化勲章を受賞している。



瑛九(えいきゅう)

1911年~1960年。宮崎県出身。画家、版画家、写真家。

1925年 上京して日本美術学校洋画科に入学。
1927年 「アトリエ」「みずゑ」等に投稿するなど盛んに執筆活動を行なう。
1930年 オリエンタル写真学校に入学。フォトグラムを試作。
1935年 久保貞次郎と交友。中央美術展で「海辺」が入選。ふるさと社を結成。
1936年 フォトデッサン集「眠りの理由」刊行。新時代洋画展同人となる。
1937年 第1回展にフォトコラージュ連作「レアル」を出品。
1940年 独立美術協会の研究所などで学ぶ。
1951年 デモクラート美術家協会を結成。
1952年 久保貞次郎、北川民次らと「創造美育協会」を創設。
1960年 逝去。

自由な精神で自由な表現をすることを生涯貫き通し、様々な技法や表現を追求し、
多くの作品を残した。
また、優れた芸術家であると同時に熱心な啓蒙家でもあり、多くの若い画家に影響を与えた。



曽国藩(そうこくはん)

1811年~1872年 中国湖南省湘郷出身 軍人・政治家

1838年 進士となる。
1851年 太平天国の乱が勃発、清国政府の命により郷勇を組織し、これを鎮圧する。
1861年 両江総督、欽差大臣となる。
1868年 直隷総督となる。
1870年 両江総督に復帰する。
1872年 61歳で死去。

曽国藩を中心とした郷勇(後の湘軍)により太平天国の乱を鎮圧する活躍をし、最終的には政府に警戒されながらも地方官としては最高位に当たる直隷総督の地位になった。
ヨーロッパ近代文明の科学技術を導入する運動である洋務運動にも参加。
文人、朱子学者としても一流と評価されており、その作品は『曽文正公全集』『曽文正公手書日記』にまとめられている。



何紹基(かしょうき)

1799年~1873年 中国湖南省道州 中国の書道家

1836年 進士となる。
1852年 四川学政となったが誹謗を受けて解任された。
1873年 75歳で死去。

書を最も得意とし清代を代表する書道家として内外の評価は高く、他にも顔真卿を研究し、蘭・竹・石等の画にも巧みであった。



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