画家一覧

中国の画家

陳半丁(ちんはんちょう 1876年~1971年)

中国の画家。

1876年 - 浙江省で生まれる。
1916年 - 北京に移り北京図書館で勤め、後に北平芸術専科学校で教鞭を執った。
1971年 - 死去。

作風はゆたかな筆法で、世俗を超越した感を与える。自らの一派を成す。斉白石・陳師曽・凌文淵とともに京師四大画家の1人。花卉、山水、初、篆刻に長けた。中国美術家協会理事、北京画院副院長、中国画研究会会長を歴任。



王蒙(1308年 - 1385年)

中国の文人画家。元末四大家の一人でもある。

浙江省呉興出身で趙孟頫の外孫で、詩文、書画をよくした。
董源、巨然を学び山水画に優れた。明朝に仕え、山東省泰州の知州となった。
元初期を代表する文人である趙孟頫の外孫であり、名家の生まれで、王蒙の父の王国器も黄公望や倪瓚とも親交があるほどの文人。
祖父趙孟頫の影響を強く受けた。同時に、黄公望にも師事し、唐時代の王維、宋時代の巨然らの影響も受けて緻密ながら壮大な山水画を描いた。このため、王蒙は南宋画の大成者の一人とまで称された。後に国が乱れて各地で騒乱が発生すると、騒乱から避難するために官を辞して杭州北部の黄鶴山に隠棲した。
絵画だけでなく詩作にも優れた才能を発揮した。明初期に洪武帝の招聘を受けて州知事にまで昇進したが、胡惟庸の獄に連座して獄死した。享年88歳。



王石谷(1632年~1717年)

中国の画家。

人物・山水画にすぐれ、南宗画と北宗画を集大成し、画聖と称される。四王呉惲の一人。虞山派の祖。作品は黒~灰の墨と思えないほどの鮮やかさと見事な山の力強さを表現している。画聖と称されたゆえ、この時代以降の山水画、南宗画、北宗画へ大きな影響を与えた。本名は王翬(おうき)という。



何家英(1957年~)

中国の画家。

1957年 - 天津で生まれる。
1977年 - 天津美木学院に入学。
1980年 - 天津美術学院を卒業後、同校で教師を務める。
2012年 - 天津美術学院教授に就任する

津美術学院卒。東洋と西洋を融合させた写実的で細密な作風で女性の裸婦像を描く。
妖艶かつ虚ろな女性の表情や生命力にあふれた姿を描くのが得意で韓国や日本、アメリカで個展活動を現在も行っている。
天津画院院長、天津美術協会副主席、天津美術学院教授など歴任。



李士達(生没年不詳)

中国の画家。

江蘇省蘇州出身。進士であるが,官は不明。蘇州で活躍し,
その画作を入手できないほど人気があったという。
晩年は新郭に隠居し,80歳になっても仙人のようであったという。
山水画・人物画が得意で,万暦期(1573‐1619)の流行である奇想の山水画を描いた。
代表作《山亭眺望図》(1618,東京,静嘉堂文庫)は複製された作品でもある。



陳洪綬(1598年~1652年)

中国の画家、文人

1598年 – 中国の士大夫の家系に生まれる。
1617年 – 諸生となるが試験になかなか合格できず苦労していた。
1642年 - 奨学金を受けて国子監生となる。
1652年 – 死去

藍瑛は陳を天授の才であると褒めている。その後、李公麟・周昉などに師法し、
唐宋の古画の臨模を通じて技法を学んでいた。
画工として扱われることを好まず、すぐに辞めて帰郷してしまう。すぐさま郷里に清軍が侵攻してきたため戦禍を避けて僧籍に身を置き、紹興の徐渭の旧宅に身を寄せた。故郷に戻った同年のうちに没する。無頼漢で女と酒をとにかく愛する。富と名声に屈服することなく生涯を文人としての矜持を貫いた。享年54歳。



劉松年(りゅうしょうねん 生没年不明)

中国の宮廷画家。

画院学生だった劉松年は侍詔になってから張敦礼を師事して様々な山水画と人物画を描いた。作風としては巧みな技を活かした細かい人物描写と動物たちの生き生きとした姿が描かれており、羅漢という代表作では描かれた僧侶の装飾に「金泥」という金を混ぜた手法が使われており、当時の人々を驚かせた。



靳尚宜(1934年~)

中国の画家。

河南省に生まれる。1957年に優秀な成績で中央美術学院絵画学科を卒業し
大学院で修了後、中央美術学院で教師となり現在も教えている。
1980年代初頭にはアメリカで講義を行い、他にもヨーロッパや東洋諸国で
中国の伝統的な美術について広め、世界中を回っている。



陳逸飛(ちんいっぴ)

1946年~2005年 中国浙江省出身 中国の画家

1968年 「上海油画彫塑創作室」が成立すると、最初の専業画家となり1970年には24歳で油画室責任者になる。
1972年 大型油絵『黄河賛歌』を創作し、清新なタッチで頭角を現した。
1980年 香港を経て自費で渡米、1981年には奨学金を得てニューヨーク・ハンターカレッジに入学し、1984年修士修了、以来米国に在住。
1983年 初の個展を開催。
1995年 映画『人约黄昏』がカンヌ映画祭に入選。
2004年 59歳で死去。

厳格な写実手法による中国・西欧の人物画、印象的手法をまじえた中国の風景・少数民族を主題にした作品が多い。
現代中国でもっとも成功した画家である。
また、画家業の他、映画監督やファッション界でも注目を集めた。



呉昌碩(ごしょうせき)

1844年~1927年 中国出身 中国の画家

1866年 施旭臣から詩法を受ける。
1872年 杭州詁経精舎で後期乾嘉学派の漢学を学ぶ。
1873年 潘芝畦に学び始める。
1895年 怡園内で毎月三回の「怡園画集」(書画雅集)を開催。
1912年 中華民国元年。字の「昌碩」を行う。
1913年 上海山西路吉慶里に移る。上海書画協会社長になる。
1914年 上海六三園にて中国絵画史上初の個展を開催。
1927年 84歳で死去

清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高い。
画風は任伯年・徐渭・八大山人・揚州八怪を承け、梅、牡丹、藤花、石等を墨の濃淡で表現したり、西洋紅を中国画に使用する事は呉昌碩に始まるといわれ、呉昌碩は書を書くように、画を描くと言われた。



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