画家一覧

日本の洋画家

椿貞雄(ツバキサダオ)

1896年~1957年 山形県出身 洋画家

1914年 岸田劉生に師事する。
1915年 岸田、木村とともに草土社を結成。
1920年 第1回個展を京都で開催。
1912年 岸田、中川一政等と春陽会の創立に参加。
1933年 4月銀座紀国屋ギャラリーで滞欧作品展開催、第8回国展「家族」。
1956年 第30回国画会展「孫二人」「工場裏」「孫」。
1957年 第31回国展「桜島風景」「泰山木」を出品。61歳で死去。

自身の生き方は岸田劉生と行動を共にし、作品にも影響を強く受けている。
また、白樺同人武者小路実篤、長与善郎と知り合い、その人生観、芸術観は終生、椿貞雄に大きな感化を与えたという。
1929年に国画会に招かれて会員となってからは没年まで同会に所属、出品を続けた。



鶴岡政男(つるおかまさお)

1907年~1979年 群馬県出身 洋画家

1922年 太平洋画研究所に入る。
1928年 第3回1930年協会展に入選する。また、洪原会を結成する。
1930年 NOVA美術協会を創立する。
1943年 靉光、松本竣介らと新人画会を結成する。
1944年 自由美術家協会会員となる。
1963年 第7回日本国際美術展で最優秀賞を受賞する
1979年 72歳で死去。

戦前は様々な職業に従事しながら『髯の連作』のような風刺的作品を発表し、また新人画会はファシズム、戦時下の暗黒の時代に抵抗した例として評価されているが、戦前の作品はほとんど焼失してしまった。
戦後は、『夜の群像』『重い手』等の作品が、敗戦後の現実に対する鋭い批判と風刺をもち、さらに『人間気化』『落下する人体』と混迷する社会と人間の姿を形象化した作品を描きつづけて注目された。
その後は、『青いカーテン』『視点B』等、ユーモアを秘めた現実風刺の作品を制作した。
終始、ヒューマニズムに立ち、醒めた眼で現実を把え造形化した作品を発表し、戦後の現代絵画界の中で重要な役目を果たした。



寺内萬治郎(寺内万治郎)

1890年~1964年 大阪府出身 洋画家・日本芸術院会員

1911年 東京美術学校西洋画科入学。
1916年 東京美術学校卒業。黒田清輝に師事する。
1922年 金塔社結成。
1925年 第6回帝展で『裸婦』が特選。
1926年 石榴社を結成。
1927年 第8回帝展で『インコと女』が特選。
1933年 帝展審査員。
1944年 門下生21名(須田剋太、里見明正、藤本東一良、岡田又三郎、渡辺武夫など)と武蔵野会を結成。
1951年 『横臥裸婦』で日本芸術院賞受賞。
1958年 日展評議員。
1960年 日本芸術院会員。
1964年 74歳で死去。

日本人の裸婦のかたちに愛着をもって、これをモチーフとした。
コローやドランの影響を受け、青灰色や黒をバックに配した質感ある小麦色に輝く日本の裸婦を描き続けた。
当たり前で奥深いものをめざし「デッサンの神様」といわれた描写力により、重厚で品位ある作品を描き「裸婦を描く聖者」とも呼ばれた。
また、素朴で温かい人柄で多くの画家に慕われ、後進の育成にも力を注ぎ、浦和画家の指導者としての役割も果たした。



中川紀元(なかがわきげん)

1892年~1972年 長野県出身 洋画家

1915年 第2回二科展で初入選。
1919年 渡仏し、アンリ・マティスに師事する。
1920年 第7回二科展で『ロダンの家』樗牛賞を受賞。
1922年 前衛的なグループ・アクションを結成する。
1930年 六潮会を結成し、洋画を離れる。
1937年 海軍従軍画家として上海・南京戦に参加する。
1947年 二紀会を結成する。
1964年 第20回日本芸術院恩賜賞を受賞。
1969年 辰野町初の名誉市民に選ばれる。
1972年 80歳で死去。

本名を紀元次。
はじめ彫刻を学んでいたが、のちに本郷洋画研究所、太平洋画会研究所で洋画を学び、石井柏亭・正宗得三郎にも師事した。
また、中村岳陵・福田平八郎らと六潮会を結成し日本画も描いた。
さらに、正宗得三郎・熊谷守一らと二紀会の創立に参加し、次第に油絵による南画的傾向の作品へと作風が移行していった。



中谷泰(なかたにやすし)

1909年~1993年 三重県出身 洋画家

1929年 上京し川端画学校に入り石膏デッサンを始める。
1930年 第8回春陽展に出品した『街かど』が初入選。
1939年 第3回新文展で『秋日』が特選。春陽会会友に推挙される。
1942年 第20回春陽展に『窓外風景』『婦人像』、第5回文展に『水浴』を出品し、特選。また、春陽会洋画研究所の移転に伴い退所し、以後木村荘八に師事する。
1951年 美術評論家の水沢澄夫のすすめで、日本美術会に入会。
1959年 日本国際美術展で優秀賞。
1966年 日本美術会総会で代表に選出。
1971年 東京藝術大学美術学部教授に任命される。
1993年 84歳で死去。

本名は中谷泰一。
絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。
戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学「善太と三平」の挿絵や戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻の多くで挿絵を担当した。
日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長や日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した人物である。



中西利雄(なかにしとしお)

1900年~1948年 東京都 洋画家

1924年 日本水彩画会の会員となる。
1927年 東京美術学校西洋学科を卒業。
1934年 第15回帝展で特選。
1936年 新制作派協会結成に参加。
1948年 48歳で死去。

大正~昭和時代に活躍した洋画家。
水彩画の風景画・肖像画の描写力、表現力に定評があり、近代的作風として評価された。
また、病の為に途中で描くのを辞めてしまうが、大仏次郎の「帰郷」の挿絵を毎日新聞に連載したことでも有名。
代表的な作品は、『森のカフェ』『夏の海岸』『ノートルダム寺院』等がある。



田村 能里子 (たむら のりこ)

1944年~。愛知県出身。洋画家、壁画家。

1962年 愛知県立旭丘高等学校美術課程卒業
1966年 武蔵野美術大学油絵学科卒業
1982年 昭和会展優秀賞受賞
1986年 文化庁芸術家在外研修員として中国に派遣、滞在
1988年 西安の飯店に壁画制作
1989年 中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作
1999年 JR東海名古屋駅ビル、テレビ東京で壁画制作
2003年 ファンケルスクエアで壁画制作
2005年 マルホ株式会社創剤技術研究所に壁画「季のきらめき」を制作
2012年 ホテル椿山荘東京に壁画、アクリル画、デッサンを制作設置
2013年 福岡女子大学学生会館の壁画制作
2014年 高島屋日本橋店8Fの壁画制作



中川 一政(なかがわ かずまさ)

1893年~1991年。東京都出身。洋画家、美術家、歌人、随筆家。

1914年 巽画会展に出品した作品「酒倉」が岸田劉生に見出され、画家を志す。
1920年 初の個展(油彩)を開く。
1922年 二科賞受賞後、小杉放庵らと「春陽会」設立に参加。
1931年 水墨画の個展を開く。
1949年 神奈川県真鶴町にアトリエを構える。
1960年 「漁村凱風」が全国知事会より東宮御所に献納。
1974年 パリで個展を開催。
1975年 文化勲章受章。
1986年 母の故郷である石川県白山市に白山市立松任中川一政記念美術館開館 。
1989年 神奈川県真鶴町に真鶴町立中川一政美術館開館。
1993年 逝去。

豪快な筆遣いと鮮やかな色彩を使った、ダイナミックな作風が特徴的。
油彩画を中心に、版画、水墨画、詩、陶芸の分野にも多くの優れた作品を残しており、
そのすべてを独学で身につけたという。
1993年に逝去するまで精力的に創作活動を続け、多くの作品を残している。



海老原 喜之助(えびはら きのすけ)

1904年~1970年。鹿児島県出身。洋画家。

1923年 渡仏。モンパルナスで藤田嗣治に師事。
1924年 サロン・ドートンヌに出品。
1927年 サロン・ド・レスカリエ第10回展に招待出品。
1929年 ニューヨークで個展。「曲馬」がカーネギー財団に収蔵される。
1934年 帰国。 第1回個展開催。
1935年 第5回独立展に「曲馬」を出品。
1947年 第2回熊日総合美術展に審査員として「蹄鉄」を出品。
1955年 第3回日本国際美術展で「靴屋」が佳作賞受賞。
1957年 第4回日本国際美術展で「燃える」が国立近代美術館賞受賞。
1959年 第5回日本国際美術展で「蝶」が最優秀賞受賞。
1960年 第11回秀作美術展に「蝶」を招待出品。第1回毎日芸術賞受賞。
1964年 第15回記念秀作美術展に「雨の日」を招待出品。芸術選奨文部大臣賞受賞。
1970年 逝去。

「エビハラブルー」と呼ばれる鮮やかな青の色彩を用いた作品が特徴。
また、モチーフとして馬を多く取り入れており、代表作である「曲馬」もその1つである。
馬にこだわるようになったのは、子供の頃に荷馬車に轢かれたことがあるからだ、と自身が明かしている。



斎藤 真一(さいとう しんいち)

1922年~1994年。岡山県出身。洋画家、作家。

1948年 第4回日展に「鶏小屋」が初入選。
1957年 光風会第43回展に「立春の道」を出展し、プールヴ賞を受賞。
1960年 パリから帰国。文藝春秋画廊(東京)にて帰国後初の個展を開く。
1972年 『瞽女=盲目の旅芸人』(日本放送協会)を刊行。
『越後瞽女日記』(河原書房新社)を刊行。
1973年 『瞽女=盲目の旅芸人』で第21回日本エッセイストクラブ賞を受賞。
『越後瞽女日記』でADC賞(美術出版社)を受賞。
1977年 『瞽女斎藤真一画集』(毎日新聞社)を刊行。
カルド・マディニオン画廊(パリ)にて個展を開催。
1978年 『絵日記瞽女を訪ねて』(日本放送出版協会)を刊行。
1980年 『さすらい―斎藤真一画集』(講談社)を刊行。
不忍画廊にて「斎藤真一・さすらい画集原画展」を開催。
1986年 不忍画廊にて「浪漫の女たち〈水墨淡彩掛軸シリーズ〉展」を開催。
1987年 日本橋高島屋にて「明治の吉原とその女たち―斎藤真一展」。
1990年 岡山県立美術館にて第7回洋画常設特別陳列「斎藤真一展」を開催。
1991年 倉敷市立美術館にて「第4回郷土作家展 斎藤真一」を開催。
1992年 不忍画廊にて「哀愁の街角ポルトガルにて斎藤真一新作小品展」を開催。
1993年 山形県天童市に出羽桜美術館分館、斎藤真一心の美術館を開館。
斎藤真一心の美術館にて「風のうたれ雨にぬれて…斎藤真一展」を開催。
1994年 逝去。

故郷の思い出を大切にし、人生や人間の心を繊細に描く作風が特徴。
東北地方を旅行している時に出会った、盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」をモチーフにした作品を多く展開しており、その作品群は「瞽女」シリーズと呼ばれている。
また、ヨーロッパへの留学経験もあり、アンリ・ルソー作品などの西洋絵画から
影響を受け、制作した作品も展開している。



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