画家一覧

日本画家

鶴岡政男(つるおかまさお)

1907年~1979年 群馬県出身 洋画家

1922年 太平洋画研究所に入る。
1928年 第3回1930年協会展に入選する。また、洪原会を結成する。
1930年 NOVA美術協会を創立する。
1943年 靉光、松本竣介らと新人画会を結成する。
1944年 自由美術家協会会員となる。
1963年 第7回日本国際美術展で最優秀賞を受賞する
1979年 72歳で死去。

戦前は様々な職業に従事しながら『髯の連作』のような風刺的作品を発表し、また新人画会はファシズム、戦時下の暗黒の時代に抵抗した例として評価されているが、戦前の作品はほとんど焼失してしまった。
戦後は、『夜の群像』『重い手』等の作品が、敗戦後の現実に対する鋭い批判と風刺をもち、さらに『人間気化』『落下する人体』と混迷する社会と人間の姿を形象化した作品を描きつづけて注目された。
その後は、『青いカーテン』『視点B』等、ユーモアを秘めた現実風刺の作品を制作した。
終始、ヒューマニズムに立ち、醒めた眼で現実を把え造形化した作品を発表し、戦後の現代絵画界の中で重要な役目を果たした。



寺内萬治郎(寺内万治郎)

1890年~1964年 大阪府出身 洋画家・日本芸術院会員

1911年 東京美術学校西洋画科入学。
1916年 東京美術学校卒業。黒田清輝に師事する。
1922年 金塔社結成。
1925年 第6回帝展で『裸婦』が特選。
1926年 石榴社を結成。
1927年 第8回帝展で『インコと女』が特選。
1933年 帝展審査員。
1944年 門下生21名(須田剋太、里見明正、藤本東一良、岡田又三郎、渡辺武夫など)と武蔵野会を結成。
1951年 『横臥裸婦』で日本芸術院賞受賞。
1958年 日展評議員。
1960年 日本芸術院会員。
1964年 74歳で死去。

日本人の裸婦のかたちに愛着をもって、これをモチーフとした。
コローやドランの影響を受け、青灰色や黒をバックに配した質感ある小麦色に輝く日本の裸婦を描き続けた。
当たり前で奥深いものをめざし「デッサンの神様」といわれた描写力により、重厚で品位ある作品を描き「裸婦を描く聖者」とも呼ばれた。
また、素朴で温かい人柄で多くの画家に慕われ、後進の育成にも力を注ぎ、浦和画家の指導者としての役割も果たした。



中川紀元(なかがわきげん)

1892年~1972年 長野県出身 洋画家

1915年 第2回二科展で初入選。
1919年 渡仏し、アンリ・マティスに師事する。
1920年 第7回二科展で『ロダンの家』樗牛賞を受賞。
1922年 前衛的なグループ・アクションを結成する。
1930年 六潮会を結成し、洋画を離れる。
1937年 海軍従軍画家として上海・南京戦に参加する。
1947年 二紀会を結成する。
1964年 第20回日本芸術院恩賜賞を受賞。
1969年 辰野町初の名誉市民に選ばれる。
1972年 80歳で死去。

本名を紀元次。
はじめ彫刻を学んでいたが、のちに本郷洋画研究所、太平洋画会研究所で洋画を学び、石井柏亭・正宗得三郎にも師事した。
また、中村岳陵・福田平八郎らと六潮会を結成し日本画も描いた。
さらに、正宗得三郎・熊谷守一らと二紀会の創立に参加し、次第に油絵による南画的傾向の作品へと作風が移行していった。



中谷泰(なかたにやすし)

1909年~1993年 三重県出身 洋画家

1929年 上京し川端画学校に入り石膏デッサンを始める。
1930年 第8回春陽展に出品した『街かど』が初入選。
1939年 第3回新文展で『秋日』が特選。春陽会会友に推挙される。
1942年 第20回春陽展に『窓外風景』『婦人像』、第5回文展に『水浴』を出品し、特選。また、春陽会洋画研究所の移転に伴い退所し、以後木村荘八に師事する。
1951年 美術評論家の水沢澄夫のすすめで、日本美術会に入会。
1959年 日本国際美術展で優秀賞。
1966年 日本美術会総会で代表に選出。
1971年 東京藝術大学美術学部教授に任命される。
1993年 84歳で死去。

本名は中谷泰一。
絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。
戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学「善太と三平」の挿絵や戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻の多くで挿絵を担当した。
日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長や日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した人物である。



中西利雄(なかにしとしお)

1900年~1948年 東京都 洋画家

1924年 日本水彩画会の会員となる。
1927年 東京美術学校西洋学科を卒業。
1934年 第15回帝展で特選。
1936年 新制作派協会結成に参加。
1948年 48歳で死去。

大正~昭和時代に活躍した洋画家。
水彩画の風景画・肖像画の描写力、表現力に定評があり、近代的作風として評価された。
また、病の為に途中で描くのを辞めてしまうが、大仏次郎の「帰郷」の挿絵を毎日新聞に連載したことでも有名。
代表的な作品は、『森のカフェ』『夏の海岸』『ノートルダム寺院』等がある。



田中 敦子(たなか あつこ)

1932年~2005年。大阪府出身。画家。

1950年 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)西洋画科中退
1954年 0(ゼロ)会展(そごう百貨店、大阪)
1955年 具体美術協会会員となり、 第1回具体美術協会展出品
1959年 「アルテ・ノーヴァ―新しい絵画展」
(Circolo degli Artisti, Palazzo Graneri, Torino)出品
1961年 「現代美術の実験」展(東京国立近代美術館)出品
1963年 「現代絵画の動向―西洋と日本」展(国立近代美術館京都分館)出品
1964年 第6回現代日本美術展(東京都美術館)出品、優秀賞受賞
1965年 ヌル国際芸術展(ステデリック美術館、アムステルダム)出品
(-1967年)「日本の新しい絵画と彫刻」展
(サンフランシスコ美術館ほかアメリカ巡回)出品
1973年 「戦後日本美術の展開―抽象表現の多様化」展(東京国立近代美術館)出品
1975年 「田中敦子展」(カサハラ画廊、大阪)
1979年 「吉原治良と具体のその後」(兵庫県立近代美術館)出品
1981年 「1960年代―現代美術の転換期」展
 (東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)出品
1987年 「ATSUKO TANAKA, Peintures」展(スタドラ―画廊、パリ)
1990年 「田中敦子展」(喜多美術館、奈良)
1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ出品
1999年 「アクション 行為がアートになるとき 1949-1979」展
 (東京都現代美術館)出品
2001年 「田中敦子 未知への探求 1954-2000」展
 (芦屋市美術博物館、静岡県立美術館)
2005年 逝去。

金山明に助言を受け、抽象美術に興味を持つ。その後、「0(ゼロ)会」の結成を経て、
1955年に「具体美術協会」に入会。主要メンバーとして活躍する。
1957年には、大阪市の産経会館で開催された「部隊を使用する具体美術展」で、
自身の作品である「電気服」を実際に着てパフォーマンスを行い、大きな話題を集めた。
豊かな色彩と絡み合う曲線美による前衛的作風は世界的にも高い評価を得ており、
2001年に開かれた大規模な個展では、草間弥生、オノヨーコに並ぶ偉才と評された。



田村 能里子 (たむら のりこ)

1944年~。愛知県出身。洋画家、壁画家。

1962年 愛知県立旭丘高等学校美術課程卒業
1966年 武蔵野美術大学油絵学科卒業
1982年 昭和会展優秀賞受賞
1986年 文化庁芸術家在外研修員として中国に派遣、滞在
1988年 西安の飯店に壁画制作
1989年 中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作
1999年 JR東海名古屋駅ビル、テレビ東京で壁画制作
2003年 ファンケルスクエアで壁画制作
2005年 マルホ株式会社創剤技術研究所に壁画「季のきらめき」を制作
2012年 ホテル椿山荘東京に壁画、アクリル画、デッサンを制作設置
2013年 福岡女子大学学生会館の壁画制作
2014年 高島屋日本橋店8Fの壁画制作



小倉 遊亀 (おぐら ゆき)

1895年~2000年。滋賀県出身。日本画家。

1920年 安田靫彦に師事。
1926年 「胡瓜」が院展に入選する。
以後1998年に「椿三題」を出品するまで連続入選する。
1932年 女性として初めて日本美術院同人。
1954年 「O夫人坐像」などで第4回上村松園賞
1955年 「裸婦」(第39回院展出品)で芸術選奨美術部門文部大臣賞
1957年 「小女」(第41回院展出品)で第8回毎日美術賞
1962年 「母子」(第46回院展出品)で第18回日本芸術院賞
1975年 神奈川文化賞
1976年 日本芸術院会員。
1978年 文化功労者に選ばれる。
1979年 滋賀県文化賞
1980年 上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章を受章する。
1990年 1996年まで日本美術院理事長を務めた。
1999年 パリで個展を開催。
2000年 逝去。

日本美術院に属する画家として活躍。
女性として初の日本美術院理事長になるなど、女性日本画家のトップと呼ぶべき画家である。
その時代の女性像や静物などを、独特の柔らかい表現で描き上げている。
また、105歳の没年まで絵筆を執り続け多くの作品を生み出している。
多くの賞も受賞しており、日本を代表する画家の1人である。



高山 辰雄(たかやま たつお)

1912年~2007年。大分県出身。日本画家。

1934年 第15回帝展に「湯泉」を出品し、初入選。
1946年 第2回日展に「浴室」を出品し、特選。
1949年 第5回日展に出品の「少女」で再び特選となる。
1960年 日本芸術院賞受賞。
1965年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1970年 日本芸術大賞を受賞。
1973年 日月星辰-高山辰雄展(日本橋・髙島屋)開催。
日展常務理事となる。
1975年 1977年まで日展理事長を務める。
1979年 文化功労者となる。
1982年 文化勲章を受章。
1985年 日月星辰-高山辰雄展1985(日本橋・高島屋)開催。
1989年 高山辰雄展(東京国立近代美術館、京都府京都文化博物館)開催。
1993年 高山辰雄展「聖家族1993年」(弥生美術館)開催。
1995年 高山辰雄展(パリ・三越エトワール)開催。
2007年 逝去。

人物や風景を題材に、独特の深い色彩と幻想的な表現で、
自然観と生命の存在感を日本画で表現した日本画家。
日本芸術院会員、文化功労者となり、文化勲章を受章するなど、
名実ともに現代日本を代表する画家といえるだろう。



小茂田 青樹(おもだ せいじゅ)

1891年~1933年。埼玉県出身。日本画家。

1908年 画家を志して上京、安雅堂画塾で松本楓湖に師事。
1913年 速水御舟らと古画を研究。第13回巽画会に「野趣四題」が入賞。
1916年 第3回院展に「金沢八景」を出品、「小泉夜雨」が初入選。
1918年 第5回院展で「菜園」が入選。
1921年 第8回院展に「出雲江角港」を出品、日本美術院同人に推挙される。
1922年 代表作「ポンポンダリア」制作。
1933年 逝去。

洋画的な手法や、緻密な表現を特徴とする絵画を発表している。
主に、独特で幻想的な作風を作り出した山水、花鳥画が高く評価された。
自然豊かな華やかさの中にも、独特のユーモアが感じられ、
個性あふれる作品は多くの関心と共感を得た。



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