画家一覧

陶芸家

藤本 能道(ふじもと よしみち)

1919年~1992年。東京都出身。陶芸家。

1942年 講習所講師加藤土師萌に陶芸を学び始める。
1944年 東京美術学校教授兼同講習所教授となった富本憲吉に師事、その後助手となる。
1947年 富本を中心に結成された新匠美術工芸会に参加。
1956年 日本陶磁協会賞を受賞する。
1964年 日本伝統工芸展に出品し、以来同会に所属。
1965年 ジュネーブ国際陶芸展にて銀賞を受賞する。
1966年 日本工芸会の正会員となる。
1970年 東京藝術大学教授に就任する。
1973年 東京都青梅市梅郷に築窯する。
1981年 日本陶磁協会賞金賞を受賞する。 紺綬褒章を受章。
1986年 「色絵磁器」による重要無形文化財(人間国宝)の保持者に認定される。
1991年 勲二等旭日重光章を授与される。
1992年 逝去。

色彩や釉薬の研究に尽力し、「釉描加彩」の技法を開発し、「色絵磁器」の保持者(人間国宝)にも認定されている。
その独特の技法は国内外で大きく評価され、繊細で色鮮やかな作品を多く生み出している。



バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach)

1887年~1979年。香港出身。陶芸家。

1912年 尾形換算に陶芸を学ぶ
1917年 窯を開き、陶芸家として作陶活動を始める。
1920年 イギリスに移り登り窯を開く
1963年 大英帝国勲章
1974年 国際交流基金賞

大皿の真ん中に大きく動物を描いたり、指で描かれた波線や、様々な模様を組み合わせながら、ユーモラスで温かみのある作品を創り上げる。
イギリス人の陶芸家ということもあり、西洋の文化と陶芸を上手く組み合わせ、多くの作品を残している。



濱田 庄司(はまだ しょうじ)

1894年~1978年。神奈川県出身。陶芸家。

1923年 ロンドンにて個展開催
1926年 柳、河井らとともに「日本民藝美術館設立趣意書」起草に参加。
1930年 栃木県益子に移り住み、作陶を開始。
1955年 民芸陶器にて重要無形文化財(人間国宝)に指定される。
1964年 紫綬褒章受章。
1968年 文化勲章受章。
1977年 自身の蒐集した民芸品を展示した益子参考館を開館
1978年 逝去。

「用の美」を追求し、日常の中に溶け込みながらも存在感を放つような作品を多く残している。
造形、模様、釉薬をシンプルかつ大胆に作ることが多く、和洋問わず、暮らしの中に溶けこむ多くの作品は、民衆に広く愛されていた。



三浦 小平二(みうら こへいじ)

1933年~2006年。新潟県出身。陶芸家。

1953年 高田直彦と陶磁研究会をつくり、加藤土師萌に師事し、
    芸大最初の窯を築窯。
1961年 第4回新日展入選。
1967年 第7回日本伝統工芸新作展にて「均窯花瓶」出品、最優秀賞受賞。
1968年 東京・日本橋にて「第1回三浦小平二展」開催。
1976年 第23回日本伝統工芸展に青磁大鉢を出品、文部大臣賞受賞。
1977年 日本陶磁協会賞受賞。
1983年 「カナダ巡回日本陶芸展」招待出品。
    スミソニアン協会自然史博物館(ワシントン)、ビクトリア&アルバート美術館
にて開催された、「菊池コレクション今日の日本陶芸展」に招待出品、渡米。
1990年 パリとニュウヨークのぎゃらりーアーバンにて個展開催。
1992年 佐渡相川に「三浦小平二、小さな美術館」設立。
1993年 日本陶磁協会金賞受賞。
1995年 第42回日本伝統工芸展日本工芸会保持者賞受賞。
1996年 紫綬褒章受章
1997年 重要無形文化財保持者認定。
    第44回日本伝統工芸展監査委員。
1999年 東京芸術大学大学美術館にて「退官記念三浦小平二展」開催。
2000年 東京芸術大学名誉教授、文星芸術大学教授就任。
2006年 逝去。
東京・日本橋、新潟にて「作陶50年 人間国宝三浦小平二展」開催。

青磁の伝統技法を学び、その後アジア各国を巡る中で多くの影響を受け、
研究を重ねた末に、地元である佐渡の朱色の土を下地とした器に青磁釉をかけ、
更に人物や風物の色絵を組み合わせるという独特な技法を開発する。
その作風が高く評価され、人間国宝や紫綬褒章を受章している。



瑛九(えいきゅう)

1911年~1960年。宮崎県出身。画家、版画家、写真家。

1925年 上京して日本美術学校洋画科に入学。
1927年 「アトリエ」「みずゑ」等に投稿するなど盛んに執筆活動を行なう。
1930年 オリエンタル写真学校に入学。フォトグラムを試作。
1935年 久保貞次郎と交友。中央美術展で「海辺」が入選。ふるさと社を結成。
1936年 フォトデッサン集「眠りの理由」刊行。新時代洋画展同人となる。
1937年 第1回展にフォトコラージュ連作「レアル」を出品。
1940年 独立美術協会の研究所などで学ぶ。
1951年 デモクラート美術家協会を結成。
1952年 久保貞次郎、北川民次らと「創造美育協会」を創設。
1960年 逝去。

自由な精神で自由な表現をすることを生涯貫き通し、様々な技法や表現を追求し、
多くの作品を残した。
また、優れた芸術家であると同時に熱心な啓蒙家でもあり、多くの若い画家に影響を与えた。



曽国藩(そうこくはん)

1811年~1872年 中国湖南省湘郷出身 軍人・政治家

1838年 進士となる。
1851年 太平天国の乱が勃発、清国政府の命により郷勇を組織し、これを鎮圧する。
1861年 両江総督、欽差大臣となる。
1868年 直隷総督となる。
1870年 両江総督に復帰する。
1872年 61歳で死去。

曽国藩を中心とした郷勇(後の湘軍)により太平天国の乱を鎮圧する活躍をし、最終的には政府に警戒されながらも地方官としては最高位に当たる直隷総督の地位になった。
ヨーロッパ近代文明の科学技術を導入する運動である洋務運動にも参加。
文人、朱子学者としても一流と評価されており、その作品は『曽文正公全集』『曽文正公手書日記』にまとめられている。



何紹基(かしょうき)

1799年~1873年 中国湖南省道州 中国の書道家

1836年 進士となる。
1852年 四川学政となったが誹謗を受けて解任された。
1873年 75歳で死去。

書を最も得意とし清代を代表する書道家として内外の評価は高く、他にも顔真卿を研究し、蘭・竹・石等の画にも巧みであった。



羅振玉(らしんぎょく)

1866年~1940年 中国浙江省上虞出身 考古学者・教育者

1891年 劉鶚と知り合い、劉鶚の持つ亀甲獣骨文字の拓本を目にする機会を得る。羅振玉はそのあとを継いで甲骨文字の研究に打ち込み、『殷墟書契考釈』を発表。
1896年 上海に東文学社を設立し、日本語を翻訳できる人材を育成、沈肱・樊少泉・王国維らを輩出した。
1911年 辛亥革命時には、日本に亡命し京都で内藤湖南、狩野直喜らと交流。
1930年代 満州国の成立とともに溥儀に仕え、晩年は満州国で参議府参議、日満文化協会会長などを歴任した。
1940年 74歳で死去。

劉鶚の持つ亀甲獣骨文字の拓本を目にする機会を得えることにより、そのあとを継いで甲骨文字の研究に打ち込み、『殷墟書契考釈』を発表した。そのため王国維・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称されている。
甲骨文字研究以外では敦煌学の分野にも大きな役割を果たしている。1900年代、敦煌文献を獲得したポール・ペリオと会い、まだ残されているものがあると知ると、敦煌から残りのものを北京に運ばせて、京師図書館に収蔵させた。
紫禁城に保存されていた明清時代の档案(行政文書)が古紙として処分されそうになっているのを知り、古紙業者から買い戻し、貴重な歴史資料が失われるのを防いだ。



乾隆帝(けんりゅうてい)

1711年~1799年 清の第6代皇帝

清の皇帝に25歳で即位すると、その後はジュンガル、四川の金川、グルカに2回ずつ、回部及びバダフシャーン、台湾、緬甸、越南に1回ずつの計10回の遠征(十全武功)を行い、領土の拡大を行った。
内政として、古今の優れた書物を書き写し、四庫全書を残した。
また、本人も数多くの漢詩を作成した。
88歳で死去。



康煕帝(こうきてい)

1654年~1722年 清の第4代皇帝

1661年 順治帝は同年に崩御した為、8歳で皇帝に即位。
1673年 三藩の乱(呉三桂を筆頭とした尚可喜、耿精忠の3人の藩王の反乱)が起こる。1683年に反清勢力を完全に滅ぼした。
1722年 68歳で死去。

諱は玄燁。君主としての称号はモンゴル語でアムフラン・ハーン、廟号は聖祖、諡号は合天弘運文武睿哲恭倹寛裕孝敬誠信功徳大成仁皇帝、在世時の元号康熙を取って康熙帝と呼ばれる。
西洋文化を積極的に取り入れ、唐の太宗とともに中国歴代最高の名君とされる。
文化的にも、『康熙字典』『大清会典』『歴代題画』『全唐詩』『佩文韻府』などを編纂させ、『古今図書集成』の編纂を命じた。



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