画家一覧

画家一覧

竹久夢二(たけひさ ゆめじ)

1884年~1934年。岡山県出身。画家。詩人。

1905年 『文章世界』懸賞応募のコマ絵が1等入選。
1909年 絵入り小唄集『春の巻』発刊。ベストセラーとなる。
1910年 『月刊夢ニカード』第1集発売。
絵入り小唄集の続巻『夏の巻』『花の巻』『旅の巻』『秋の巻』『冬の巻』
『さよなら』などを刊行。
1911年 雑誌『白樺』版画展の最初の入賞者となる。
1912年 京都府立図書館で夢ニ作品展開催。
1913年 詩集『どんたく』『昼夜帯』刊行。
1914年 絵草子店・港屋開店。
1915年 詩画集『三味線草』出版。
1918年 第2回個展開催。
自作『宵待草』全国に流行。
1934年 逝去。

「夢二式美人」と呼ばれる美人画で有名な画家。
しなやかな身体にすらりとした手足、どこか悲しげな愁いを帯びた表情からにじみ出る
女性の色香は、多くの人々を魅了しました。
また、書籍の装丁や浴衣などのデザインは、現代日本のグラフィックデザインにも大きな影響を与えている。



中川 一政(なかがわ かずまさ)

1893年~1991年。東京都出身。洋画家、美術家、歌人、随筆家。

1914年 巽画会展に出品した作品「酒倉」が岸田劉生に見出され、画家を志す。
1920年 初の個展(油彩)を開く。
1922年 二科賞受賞後、小杉放庵らと「春陽会」設立に参加。
1931年 水墨画の個展を開く。
1949年 神奈川県真鶴町にアトリエを構える。
1960年 「漁村凱風」が全国知事会より東宮御所に献納。
1974年 パリで個展を開催。
1975年 文化勲章受章。
1986年 母の故郷である石川県白山市に白山市立松任中川一政記念美術館開館 。
1989年 神奈川県真鶴町に真鶴町立中川一政美術館開館。
1993年 逝去。

豪快な筆遣いと鮮やかな色彩を使った、ダイナミックな作風が特徴的。
油彩画を中心に、版画、水墨画、詩、陶芸の分野にも多くの優れた作品を残しており、
そのすべてを独学で身につけたという。
1993年に逝去するまで精力的に創作活動を続け、多くの作品を残している。



海老原 喜之助(えびはら きのすけ)

1904年~1970年。鹿児島県出身。洋画家。

1923年 渡仏。モンパルナスで藤田嗣治に師事。
1924年 サロン・ドートンヌに出品。
1927年 サロン・ド・レスカリエ第10回展に招待出品。
1929年 ニューヨークで個展。「曲馬」がカーネギー財団に収蔵される。
1934年 帰国。 第1回個展開催。
1935年 第5回独立展に「曲馬」を出品。
1947年 第2回熊日総合美術展に審査員として「蹄鉄」を出品。
1955年 第3回日本国際美術展で「靴屋」が佳作賞受賞。
1957年 第4回日本国際美術展で「燃える」が国立近代美術館賞受賞。
1959年 第5回日本国際美術展で「蝶」が最優秀賞受賞。
1960年 第11回秀作美術展に「蝶」を招待出品。第1回毎日芸術賞受賞。
1964年 第15回記念秀作美術展に「雨の日」を招待出品。芸術選奨文部大臣賞受賞。
1970年 逝去。

「エビハラブルー」と呼ばれる鮮やかな青の色彩を用いた作品が特徴。
また、モチーフとして馬を多く取り入れており、代表作である「曲馬」もその1つである。
馬にこだわるようになったのは、子供の頃に荷馬車に轢かれたことがあるからだ、と自身が明かしている。



斎藤 真一(さいとう しんいち)

1922年~1994年。岡山県出身。洋画家、作家。

1948年 第4回日展に「鶏小屋」が初入選。
1957年 光風会第43回展に「立春の道」を出展し、プールヴ賞を受賞。
1960年 パリから帰国。文藝春秋画廊(東京)にて帰国後初の個展を開く。
1972年 『瞽女=盲目の旅芸人』(日本放送協会)を刊行。
『越後瞽女日記』(河原書房新社)を刊行。
1973年 『瞽女=盲目の旅芸人』で第21回日本エッセイストクラブ賞を受賞。
『越後瞽女日記』でADC賞(美術出版社)を受賞。
1977年 『瞽女斎藤真一画集』(毎日新聞社)を刊行。
カルド・マディニオン画廊(パリ)にて個展を開催。
1978年 『絵日記瞽女を訪ねて』(日本放送出版協会)を刊行。
1980年 『さすらい―斎藤真一画集』(講談社)を刊行。
不忍画廊にて「斎藤真一・さすらい画集原画展」を開催。
1986年 不忍画廊にて「浪漫の女たち〈水墨淡彩掛軸シリーズ〉展」を開催。
1987年 日本橋高島屋にて「明治の吉原とその女たち―斎藤真一展」。
1990年 岡山県立美術館にて第7回洋画常設特別陳列「斎藤真一展」を開催。
1991年 倉敷市立美術館にて「第4回郷土作家展 斎藤真一」を開催。
1992年 不忍画廊にて「哀愁の街角ポルトガルにて斎藤真一新作小品展」を開催。
1993年 山形県天童市に出羽桜美術館分館、斎藤真一心の美術館を開館。
斎藤真一心の美術館にて「風のうたれ雨にぬれて…斎藤真一展」を開催。
1994年 逝去。

故郷の思い出を大切にし、人生や人間の心を繊細に描く作風が特徴。
東北地方を旅行している時に出会った、盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」をモチーフにした作品を多く展開しており、その作品群は「瞽女」シリーズと呼ばれている。
また、ヨーロッパへの留学経験もあり、アンリ・ルソー作品などの西洋絵画から
影響を受け、制作した作品も展開している。



加藤 栄三(かとう えいぞう)

1906年~1972年。岐阜県出身。日本画家。

1929年 第10回帝展「夏日小景」初入選。
1931年 東京美術学校卒業。結城素明に師事。
1936年 文展に出品した「薄暮」で文部大臣賞を受賞。
1939年 第3回新文展で『月夜』が特選を受賞。
1958年 第1回新日展「空」出品。
1959年 前年の日展出品作「空」で日本芸術院賞受賞。
1969年 日展理事となる。
1971年 第3回改組日展「流離の灯」出品。日展出品作としては絶筆となる。
1972年 逝去。

昭和を代表する日本画家の1人。
弟・東一と共に、故郷である岐阜県の風景を多く描き上げた。
豊かな自然を、繊細に柔らかく描く作風が特徴的である。
描かれた多くの美しい作品群は、人々の心を魅了する。



荒川 豊藏(あらかわ とよぞう)

1894年~1985年。岐阜県出身。陶芸家。

1922年 京都宮永陶山窯の工場長となる。
1930年 美濃大萓で桃山時代の志野・瀬戸黒の古窯跡を発見。
1944年 金重陶陽の窯を訪問滞在し、備前焼きを制作。
1952年 志野の無形文化財に指定。
1963年 瀬戸黒の無形文化財に指定。
1954年 「桃李会」結成。
1955年 重要無形文化財保持者に認定。
1958年 第10回中日文化賞受賞。
1962年 第3回プラハ国際陶芸展出品、金賞受賞。
1965年 紫綬褒章受章。
1968年 文化勲章受章。多治見市名誉市民となる。
1984年 大萓に荒川豊蔵資料館開館。
1985年 逝去。

桃山時代に栄えた美濃焼を再興し、それに加えて志野、黄瀬戸、瀬戸黒の技術を
現代に蘇らせた、陶芸史上に名を残す巨匠。
おだやかでありながら風格を感じさせる作品群は、多くの陶芸家に影響を与えた。
また、残した数々の功績を讃え、文化勲章や人間国宝に認定されている。



石黒 宗麿(いしぐろ むねまろ)

1893年~1968年。富山県出身。陶芸家。

1925年 作陶活動を始める。伊賀・三島・刷毛目など制作。
1927年 均窯・唐三彩・絵高麗などの中国陶磁器の研究を行う。
1929年 唐津に滞在し、中里太郎右衛門などの窯で制作。
1936年 京都市左京区八瀬に築窯、柿釉の焼成に成功する。
1937年 中国、朝鮮半島で陶芸を視察。この年、木の葉天目の焼成に成功。
1946年 小山富士夫・荒川豊蔵らと「日本農村工業振興会」を設立、
     窯業部門の指導者となる。チョウ-ク描の技法を創案。
1947年 小山富士夫・荒川豊蔵・水町和三郎・日野根作三らと「日本陶磁振興会」を設立。
     理事となり北陸を担当、九谷焼の改革に取り組む。
1952年 「天目釉」の無形文化財記録保持者に認定。
     荒川豊蔵・ 金重陶陽・加藤唐九郎・宇野三吾らと日本工芸会の設立を協議。
1954年 「桃李会」結成。第1回日本工芸会に出品。
1955年 「鉄釉陶芸」で重要無形文化財保持者に認定。
    「日本工芸会」の結成に参加、理事に就任。
1956年 新湊市の名誉市民となる。若手陶芸家育成の為に「八瀬陶窯」を設立。
1963年 紫綬褒章受章。
1968年 逝去。勲三等瑞宝章受章。

特定の師の下につかず、中国古陶磁の研究をほぼ独学で行いながら陶芸の幅広い技法を習得し、独創的で自由な精神に溢れながらも品格を感じさせる作品を多く作り上げた。
その功績が讃えられ、人間国宝や紫綬褒章を受章している。



鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう)

1898年~1982年。福岡県出身。人形作家。

1913年 有岡米次郎に博多人形の制作を学ぶ。
1920年 テラコッタで個展を開催。
1932年 紙塑人形制作を始める。
1936年 帝展で入選する。
1942年 日本文学報国会短歌部会初代常任理事となる。 
1946年 日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協会理事、専門委員を務める。
1954年 日本工芸会正会員、日本伝統工芸展鑑査委員、 鑑審査委員専攻委員長、常任理事、
     人形部部長を務める。
1957年 第1回紙塑人形個展を開催。
     第13回日展で依嘱出品。
1961年 人間国宝となる。
1967年 文化財保護審議会専門委員に任命される。
     紫綬褒章を受章。
1968年 第2回迢空賞を受賞。
     勲三等瑞宝章を受章。
1982年 逝去。

博多人形を学び、テラコッタ人形を手掛けた後、紙塑人形の技法を創始する。
塑像の材料作りや貼り付ける和紙の塗りを自ら行い、その芸術性の高さと作品の美しさが評価され、人間国宝にも認定されている。



加藤 唐九郎(かとう とうくろう)

1898年~1985年。愛知県出身。陶芸家。

1914年 父の製陶工場の一部の使用権を譲り受け、本格的な作陶生活に入る。
1934年 港区青山の私邸に「陶壁」を試行する。
1943年 愛知県西加茂郡に築窯。
1952年 織部焼の技術で国の無形文化財有資格者に認定。
1956年 中日文化賞。
1960年 永仁の壺事件。
1961年 国の無形文化財有資格者の認定取り消し。
漢学者服部担風翁より「一無斎」の号を贈られる。
1965年 毎日芸術賞受賞。
1976年 財団法人・翠松園陶芸記念館設立。
1985年 逝去。

桃山時代の陶芸と再現に努め、自らの作品にも古来の技法を多く用いている。
その作域の広さと磨かれた技術は、現代陶芸に大きな影響を与えた。
1952年にパブロ・ピカソと作品を交換したことがあり、当時大きな話題を呼んだ。



加藤土師萌(かとう はじめ)

1900年~1968年。愛知県出身。陶芸家。

1914年 日野厚に陶芸図案を学ぶ。
以後、1921年まで愛知県窯業学校助手等を務め、陶磁器の図案を習得。
1926年 美濃に移る。岐阜県陶磁器試験場に勤務、研究と作陶を行う。
1927年 第8回帝展初入選(工芸部門が新設された回である)。
新文展、日展に出品を続け、その後日本伝統工芸展へと発表の場を移している。
1937年 パリ万国博覧会でグランプリ受賞。
1940年 横浜市日吉に築窯、独立。中国明朝の黄地紅彩を復元。
1951年 黄地紅彩が重要無形文化財に指定。その後も金襴手・青白磁など磁器を研究。
1955年 東京藝術大学に陶芸科が創られ初代教授就任。
1961年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)認定。
1966年 日本工芸会理事長就任。他、文化財保護審議会専門委員等を歴任。
1967年 東京藝術大学名誉教授、紫綬褒章受章。
1968年 逝去。

桃山時代の作品や、中国古陶磁の研究に努め、多彩で華やかな作風を展開しました。
特に、16世紀の中国の「色絵磁器」を応用した作品に優れており、高い評価を受けて
人間国宝にも認定されている。



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