画家一覧

画家一覧

江寒汀(こうかんてい 1903年~1963年)

中国の画家。

江寒汀は花鳥画が得意で作風としてはリアリティのある絵柄が特徴。見事な花と鳥を
花鳥画のお手本のように仕上げる画家である。上海中国画院画師や上海美専国画系教師も務めていた。代表作の孔雀图轴は画面に収まりきらない程の美しい羽の細やかさを独自の筆使いで仕上げている。



郎世寧(ろうせいねい・カスティリオーネ 1688年7月19日 - 1766年7月17日)

清朝に仕えたイタリアのイエズス会修道士・宮廷画家

1688年 - イタリアに生まれる。
1715年 - 27歳の時に北京へ移住、伝教活動を開始。
1723年 - 静物画「聚瑞図」を製作
1736年 - 乾隆帝・皇后・11人の貴妃を描いた「心写治平」を製作
1766年 - 北京で没し、侍郎の官位を贈られた。

郎世寧は中国名。原名はジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)。康熙帝、雍正帝、乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国へ伝え、美術や建築に影響を与えた。絵画作品では乾隆帝大閲図、ジュンガル討伐戦の情景画、香妃肖像画などが有名である。バロック様式を取り入れた離宮である円明園西洋楼を設計した。人物、花卉、鳥獣画が得意。享年78歳。



陳半丁(ちんはんちょう 1876年~1971年)

中国の画家。

1876年 - 浙江省で生まれる。
1916年 - 北京に移り北京図書館で勤め、後に北平芸術専科学校で教鞭を執った。
1971年 - 死去。

作風はゆたかな筆法で、世俗を超越した感を与える。自らの一派を成す。斉白石・陳師曽・凌文淵とともに京師四大画家の1人。花卉、山水、初、篆刻に長けた。中国美術家協会理事、北京画院副院長、中国画研究会会長を歴任。



李鴻章(りこうしょう 1823年2月15日~1901年11月7日)

中国の政治家

1823年 – 北京で生まれる。
1852年 - 曽国藩が江西省へ転勤。そこで政府の命令を受けて湖南省へ移動し湘軍を創設して太平天国との戦いを開始する。
1855年 - 父が亡くなり家族揃って曽国藩の庇護に入った。
1867年 - 湖広総督に任命される。
1885年 - 天津条約を締結させる。
1901年 - 辛丑条約を締結し、その年の11月7日に病死した。

清朝末期の内政・外交・軍事において国を支えた人物。7洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣となり、調印を行ったことでも知られる。日清戦争の講和条約(下関条約)では、清国の全権大使として調印を行った。活人剣の碑という石碑もあり、日本とも深く関わりのあった人物。彼の残した書物もいくつか存在している。



王蒙(1308年 - 1385年)

中国の文人画家。元末四大家の一人でもある。

浙江省呉興出身で趙孟頫の外孫で、詩文、書画をよくした。
董源、巨然を学び山水画に優れた。明朝に仕え、山東省泰州の知州となった。
元初期を代表する文人である趙孟頫の外孫であり、名家の生まれで、王蒙の父の王国器も黄公望や倪瓚とも親交があるほどの文人。
祖父趙孟頫の影響を強く受けた。同時に、黄公望にも師事し、唐時代の王維、宋時代の巨然らの影響も受けて緻密ながら壮大な山水画を描いた。このため、王蒙は南宋画の大成者の一人とまで称された。後に国が乱れて各地で騒乱が発生すると、騒乱から避難するために官を辞して杭州北部の黄鶴山に隠棲した。
絵画だけでなく詩作にも優れた才能を発揮した。明初期に洪武帝の招聘を受けて州知事にまで昇進したが、胡惟庸の獄に連座して獄死した。享年88歳。



王石谷(1632年~1717年)

中国の画家。

人物・山水画にすぐれ、南宗画と北宗画を集大成し、画聖と称される。四王呉惲の一人。虞山派の祖。作品は黒~灰の墨と思えないほどの鮮やかさと見事な山の力強さを表現している。画聖と称されたゆえ、この時代以降の山水画、南宗画、北宗画へ大きな影響を与えた。本名は王翬(おうき)という。



何家英(1957年~)

中国の画家。

1957年 - 天津で生まれる。
1977年 - 天津美木学院に入学。
1980年 - 天津美術学院を卒業後、同校で教師を務める。
2012年 - 天津美術学院教授に就任する

津美術学院卒。東洋と西洋を融合させた写実的で細密な作風で女性の裸婦像を描く。
妖艶かつ虚ろな女性の表情や生命力にあふれた姿を描くのが得意で韓国や日本、アメリカで個展活動を現在も行っている。
天津画院院長、天津美術協会副主席、天津美術学院教授など歴任。



李士達(生没年不詳)

中国の画家。

江蘇省蘇州出身。進士であるが,官は不明。蘇州で活躍し,
その画作を入手できないほど人気があったという。
晩年は新郭に隠居し,80歳になっても仙人のようであったという。
山水画・人物画が得意で,万暦期(1573‐1619)の流行である奇想の山水画を描いた。
代表作《山亭眺望図》(1618,東京,静嘉堂文庫)は複製された作品でもある。



金農(1687年~1762年)

中国の書画家。

浙江省杭州出身。考証学者・何焯を師事して金石を研究。
30歳になると地方を行脚して刻石拓本を収集していた。ばしば揚州を訪れ、晩年はそこに定住した。揚州八怪と呼ばれる人物の一人。金農の書いた書は漢隷をもとに独特な方形の書体をしている。画もまた花卉雑画を古拙な画風で描き、揚州八怪の他の画家に影響した。
画は唐宋の諸家を学び、梅竹、花果、馬、仏を描いた、特に墨梅がすぐれ、代表作に大作の墨梅図・四幅対がある。



陳洪綬(1598年~1652年)

中国の画家、文人

1598年 – 中国の士大夫の家系に生まれる。
1617年 – 諸生となるが試験になかなか合格できず苦労していた。
1642年 - 奨学金を受けて国子監生となる。
1652年 – 死去

藍瑛は陳を天授の才であると褒めている。その後、李公麟・周昉などに師法し、
唐宋の古画の臨模を通じて技法を学んでいた。
画工として扱われることを好まず、すぐに辞めて帰郷してしまう。すぐさま郷里に清軍が侵攻してきたため戦禍を避けて僧籍に身を置き、紹興の徐渭の旧宅に身を寄せた。故郷に戻った同年のうちに没する。無頼漢で女と酒をとにかく愛する。富と名声に屈服することなく生涯を文人としての矜持を貫いた。享年54歳。



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