画家一覧

世界の芸術家

パブロ・ピカソ(1881年10月25日 - 1973年4月8日)

世界で最も有名な芸術家。数々の有名作品を多く世に残し、キュビズムという新しい表現を生み出した天才画家である。今もなお影響を受けるアーティストがいるほど強烈な個性と作風を持った人物。代表作は「ゲルニカ」「泣く女」「アヴィニョンの娘たち」

1881年 - スペインのアンダルシア地方で生まれる
1892年 - ラ・コルーニャの美術学校に入学
1894年 - 父ドン・ホセは絵の道具を息子に譲り自らが描くことをやめる
1901年 - 個展「青の時代」の始まり。
1905年 -「桃色の時代」が始まる
1907年 - 『アビニヨンの娘たち』製作。
1937年 - 『フランコの夢と嘘』(エッチング)出版、『ゲルニカ』製作。
1970年 - アヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展。バルセロナのピカソ美術館開館。
1973年 - 南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去。

何人もの別人格がいるかのように絵のタッチが進化・変化していった画家であり、
また彫刻作品も数多く世に残している。最大の特徴は、キュビズムという「物体をありのまま見えるものとしてキャンパスに描くのではなく、自分の世界に映るものを描く」もの。その斬新かつ革新的な絵は世界中の人々に今も愛され支持されている。
有名作品のゲルニカは戦争の激しさを独自のキュビズムで巨大なキャンバスに描ききった。
この絵の訴えかけるメッセージ性は当時の社会全体に大きな影響を与え、人々の戦争への
反対メッセージが芸術の枠を超えて様々な民衆の心をわしづかみにした。



アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)

アメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。

1928年 - ペンシルバニア州で生まれる
1949年 - カーネギー工科大学を卒業
1952年 - 「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞
1960年 - イラストレーションの世界を捨て、ファインアートの世界へ移る。
1961年 - ポップアートを描き始める
1962年 - シルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになる。
後の代表作「マリリン・モンロー」が作られた。
1965年 -「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のプロデュースを行う
1968年 – S.C.U.Mという全男性抹殺団という組織に銃で撃たれ重傷、後に映画化
1987年 - 心臓発作で死去

アメリカを代表するポップアートの先駆者で、マリリン・モンローの絵はあまりにも有名。
1963年から1968年にかけ、60を超える映画も手掛けた。ただし実験映画的な作風から、一般公開されたものは少ない。画業廃業宣言をするほど映画にのめり込んだり、バンドを前衛的な音楽とともにプロデュースしたりと常に挑戦を続ける人物。支持は少なかったが、今もなお沢山の人々に愛されている。
彼の名言として、In the future, everyone will be world famous for fifteen minutes.
(将来、誰でも15分は世界的な有名人になることができるだろう。)というものがある。
この言葉は当時のアメリカの人々に大きな夢と希望を与えた。



マルク・シャガール

1887年~1985年 ロシア出身 フランスの画家

1907年 ペテルスブルグの美術学校で学ぶ。
1910年 パリでアカデミー・ジュリアンに通い、アンデパンダ展に出品。
1914年 ロシアに戻り、ベルリンで初の個展を開催。
1922年 最初の銅版画『わが生涯』を制作。
1923年 『死せる魂』『寓話』『聖書』等の挿画のための版画を制作。
1939年 カーネギー賞受賞。
1948年 カラー石版画『アラビアンナイト』を発表。第25回ヴェニスビエンナーレ版画賞受賞。
1956年 サーカスをテーマに石版画を制作。銅版画『バイブル』を発表。この翌々年には『デッサンバイブル』カラー石版画25点を制作。
1973年 ニースの国立シャガール聖書のメッセージ美術館が開館。
1977年 レジオン・ドヌール最高勲章受賞。
1985年 97歳で死去。

ロシア時代のシャガールはロシア・アヴァンギャルドに参加し、構成主義の影響の濃い作品やデザイン的作品を制作していたが、出国後の作品は「愛」を表現した作品が多くなる。
一生涯、妻であるベラ・ローゼンフェルトを一途に敬愛していたことや妻への愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれた。



ロイ・リキテンシュタイン

1923年~1997年 アメリカ出身 アメリカの画家

1940年 オハイオ州立大学美術学部に入学。1946年美術学士、1949年美術修士を取得。卒業後も大学にとどまり1951年まで講師を務める。
1951年 ニューヨークのカール・バック画廊で初の個展を開催
1950年代 製図工、大学講師などで生計を立てながら、最新の抽象表現主義風の作品を制作。
1961年 最初のポップ絵画を描き始める。『見て!ミッキー』『ボールと少女』などの漫画や広告のイメージを直接引用した作品を制作。
1964年 絵画に専念。回顧展が世界を巡回し多数の個展が開かれる。
1995年 第11回京都賞(精神科学・表現芸術部門 / 美術(絵画・彫刻))を受賞。また、東京現代美術館に『ヘアリボンの少女』が6億円で購入され話題になる。
1997年 73歳で死去


特徴的な漫画のコマを拡大したような作品は1960年代初頭に登場。
自分の子供にミッキーマウスの漫画を描いてあげた際に、従来のいわゆる芸術としての絵画よりも漫画の方が強烈なインパクトと表現力を持っていることに気が付き、制作を開始した。
作品は全て太い輪郭線で囲まれた平面として表現され、色は原則として三原色のベタ塗り、陰影はドットの大小や密度で表現されている。



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