画家一覧

現代美術家

宮島達男(みやじま たつお)

1957年~
日本の現代美術家

1984年 東京藝術大学美術学部油画科を卒業。
1986年 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
1987年 初めてLEDの作品を発表。
1990年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの招待によりニューヨークに転居。
1990年 ドイツ文化省芸術家留学基金留学生としてベルリンに転居。
1992年 茨城県守谷市に転居、
1993年 カルティエ現代美術財団アーティスト・イン・レジデンスプログラムによりパリに滞在。
2006年 東北芸術工科大学副学長に就任。
2014年 京都造形芸術大学副学長も兼任。
2016年両校を退職。
現在は両校の客員教授。

油絵では自分の言いたいことを表現できないもどかしさがあると感じ、現在においても
作品制作のテーマとなっている「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」の3つのコンセプトを形にする手段を模索の中でLEDと出会う。

「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家。
コンピュータグラフィックスやビデオなどを使用した作品も手掛けている。



村上隆(むらかみ たかし)

1962年~
日本を代表する現代美術家、ポップアーティスト

1962年生まれ。
東京都板橋区出身。
本郷高等学校経て、2浪ののち、1986年 東京藝術大学美術学部日本画科卒業。
1988年 同大学大学院美術研究科修士課程修了。
1993年 同博士後期課程修了。
1994年 ロックフェラー財団のACCグラントを得て、「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在。 
1998年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授に就任。
2001年 アメリカロサンゼルスで、展覧会『SUPER FLAT』展が開催され全米で話題になる。
2005年 ニューヨークで個展 『リトルボーイ展』を開催。
2006年 リトルボーイ展はキュレーターに送られる世界で唯一の賞であるニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞。
2005年 PHS会社・ウィルコムのCMに出演。
2006年 「リトルボーイ展」の成果として芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。
2008年 米Time誌の"The World's Most Influential People - The 2008 TIME 100"(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)に選出。
2008年 GQ MEN OF THE YEAR 2008を受賞。

2010年 『クール・ジャパノロジーの可能性』では、「アート界における"クール・ジャパン"の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」と題した講演。
講演では、日本のマンガやアニメを生み出した日本自体を肯定的に解釈し、それらの前提のもと、今日ではクール・ジャパンと呼ばれている観点を日本人作家作品によっていかに西洋アート界に体現させていけるか、とのテーマについて初期から漸進的に取り組んできた軌跡を発表。
2016年 「村上隆の五百羅漢図展」の成果として平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

有限会社カイカイキキ2001年に設立された村上隆が代表取締役を務める会社を通じて、若手芸術家の支援などを行う。

アニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。
デビュー当初はタミヤや加瀬大周等をモチーフにした作品を発表していた。
2003年 ニューヨークのオークション会社・サザビーズにて等身大フィギュア『Miss Ko2』が50万ドル(約5,800万円)で落札されて話題になる。
2003年 村上がルイ・ヴィトンの依頼でデザインした鞄が3月1日に発売。
2003年 海洋堂とのコラボレーションにより、自らのフィギュア作品をわずか350円の小さなフィギュアにしてナンバリングされた証明書を添付したアート食玩『村上隆のSUPER FLAT MUSEUM~コンビニ エディション~』を発売したことで話題。
2004年 ナルミヤ・インターナショナルによるキャラクター、『マウスくん』が、村上のキャラクター、『DOB君』に酷似しているとして、同社を著作権侵害で提訴。
2006年 和解が成立して4,000万円の和解金をナルミヤ・インターナショナルが支払う。
2008年 サザビーズにて等身大フィギュア『My Lonesome CowBoy』が1516万ドルで落札され話題となる。
2010年 フランス・ベルサイユ宮殿で村上の作品展『Murakami Versailles』が開催。



嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - 2013年1月25日)

日本の芸術家、現代美術家。京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学教授、日本障害者芸術協会会長。現代を代表する前衛アーティスト。

1928 年  大阪に生まれる。
1947 年  関西学院大学(社会学部哲学科)入学。在学中に全関西美術展朝日賞受賞。
1950 年  関西学院大学文学部卒業。
    このころ新聞紙に複数の穴をあけた作品《穴》を発表する。
1954 年  「具体美術協会」の結成に参加、以後中心メンバーとして活躍。
1955 年  第 1 回具体美術展(小原会館・東京)で体感型作品《この上を歩いてください》を発表。
1956 年  第 2 回具体美術展で「投擲(とうてき)絵画」を発表。
1957 年  機関誌『具体』第 6 号に「絵筆処刑論」を寄稿。
1962 年  グタイピナコテカにおける会員の連続個展の第 1 弾として嶋本昭三展が開催。
1970 年  万国博覧会お祭り広場 1000 人花嫁のアートのプロデュース。関西女子学園(現・宝塚造形芸術大学)主催。
1972 年  具体美術協会解散。嶋本は解散前に退会。
     コズミック・アート、アラン・カプローと共同制作などを行う。
1975 年  アーティストユニオン(現・AU)に参加。翌年、全国合議体事務局長に就任する。
1976 年  メールアートを本格的に始め、年間 60 ヶ国のネットワーク交流を持つ。
1992 年  日本障害者芸術文化協会の会長を務め、海遊館(大阪)で日本初の障害者の大規模芸術展を企画。
1996 年  広島に投下した原爆製造の原子物理学者バーン・ポーターが来宅し、以後平和運動の推進者となる。
1997 年  アメリカ芸術大学の教科書『Art HISTORY』( ABRUM 社)に明治以降ただひとり日本人で名が掲載される。
1998 年  アメリカ MOCA「戦後の世界展」にポロック、ジョン・ケージ、フォンタナと共に世界4大アーティストの一人に選ばれる。
1999 年  紺綬褒章受章。デヴィット・ボウイ、オノ・ヨーコと共に再びヴェネツィア・ビエンナーレに招待出品。
2000 年  フランスの城でコラボレーションアート宣言(日本ユネスコ・フェリシモ美術館共催)世界の
     元旦の新聞をならべアートを発表。作品はパリ・ユネスコにて展覧会。
2005 年  世界最小の「ナノアート」を発表。ナノテクノロジーにより歯ブラシの先にアートを制作する。
2013 年  死去(享年 85 歳)。


瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名。
主な受賞には、95年に井植記念館文化賞、99年に紫綬褒章、2000年に兵庫県文化賞(現代美術)などがある。



斎藤 義重(さいとう よししげ、1904年5月4日 – 2001年6月13日)

現代美術家。

1904年 東京に生まれる
1933年 アヴァンガルド洋画研究所に入る(1935年離籍)
1936年 第23回二科展(東京府美術館)出品、初入選
1938年 絶対象派協会を結成(2月)、九室会に参加(12月)
1957年 第4回日本国際美術展(東京都美術館)出品、K氏賞受賞
1958年 初個展「斎藤義重展」(東京画廊)
1960年 第3回グッゲンハイム国際美術賞展出品、優秀賞受賞
1963年 「現代絵画の動向―西洋と日本―」展(国立近代美術館京都分館)出品
1964年 第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ出品
     多摩美術大学教授に就任(1973年退職)
1965年(-1967年)「日本の新しい絵画と彫刻」展
     (サンフランシスコ美術館ほかアメリカ巡回)出品
     ニューヨークに滞在(翌年帰国)
1974年 針生一郎、中原佑介らと「現代文化センター(CCC)」を開設
1978年 「斎藤義重展」(東京国立近代美術館)
1984年 「斎藤義重展」
     (東京都美術館、栃木県立美術館、兵庫県立美術館、大原美術館、ほか)
1993年 「斎藤義重による斎藤義重展 時空の木―Time・Space, Wood―」
     (横浜美術館ほか)
1999年 「斎藤義重展」(神奈川県立近代美術館)
2000年 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000、出品
2001年 97歳で死去

父の書斎でヨーロッパの美術・建築風景などの写真アルバムを興味深く見ていたという幼少期を経て、中学時代から絵を描き始める。絵画と彫刻の垣根を超えた表現を追求して作品を制作した。1960 年代、ドリルを用いて合板の表面に素早く傷つける作風がはじまり、70年代、シンプルな造形と単色の合板レリーフによる、「四つの位置」や「反対称」シリーズを発表。さらに80年代は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の造形と構成主義的作品を制作した。2000年には越後妻有トリエンナーレに出品するなど、97歳でその生涯を終えるまで精力的に活動を続けた。



関根伸夫(せきね のぶお 1942年9月19日 -)

埼玉県出身の現代美術家、彫刻家。多摩美術大学客員教授。
彼の作品はシンプル且つダイナミックで、とてつもない存在感を持つオブジェクトは
街の公共施設の前で異彩を放っている。その中でも有名な「水の神殿」は
東京都庁舎シティーホール前に設置されている。

1942年 埼玉県大宮市に生まれる。
1962年 多摩美術大学油絵科に入学。
1968年 第1回現代日本野外彫刻展に《位相-大地》を出品。
その圧倒的な作品の強度が注目され、「もの派」が生まれるきっかけとなった。
1969年 4月 東京画廊での初個展に《位相-油土》を出品。
1970年 ヴェネツィア・ビエンナーレに《空相》を出品。1973年 環境美術研究所設立。
1987年 「位相絵画展」を日本で巡回。
2012年 11月 「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde 」(ニューヨーク近代美術館)に 参加。
関根は木や鉄、土などを使ったり、組み合わせたりするアートを手掛けている。
雄大な作風で、現在もカリフォルニア州に住みながら世界で活躍している。
代表作「位相 – 大地」(1968年)は土を円柱状に抜き取ったような巨大な作品で当時の見る者を圧倒させた。「もの派」と呼ばれる『空間と「もの」との本質的に相互依存的な関係、または「もの」と「もの」自体の関係性に焦点を当てている』作品を作る人々と共感し合っていた時代を生き抜いた人物でもある。



祭国強(1957年12月8~)

中国の現代美術家。

1957年 - 福建省泉州市で生まれ育ち、文化大革命時に少年時代を送る。
1981年 - 上海演劇大学で舞台美術を学ぶ
1986年 - 日本に移住、火薬のみを用いたドローイングや、野外で火薬を爆発させる大規模なパフォーマンスを続ける。
1999年 - 第48回ヴェネツィア・ビエンナーレでの金獅子賞受賞。
2005年 - 中国館のキュレーターとして展覧会を企画。
2009年 - 福岡アジア文化賞を受賞。
2012年 - 第24回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。
2016年 - 2016年国際交流基金賞を受賞。

祭国強の芸術における火薬は「中国の歴史と人類の文化にかかわりが深く、薬の一種である一方、爆発によりすべてを破壊し無に帰し暴力衝動を発散させるものである」と唱える。彼は火薬をコントロールし爆発させることで、暴力衝動や破壊を創造へと転化させ、生命や存在の根源に繋げる表現を今も続けている。



ロッカクアヤコ


1982年〜 千葉県出身 日本の現代芸術家

2001年 独学の絵を描き始め、アーティストである村上隆が主催する「GEISAI」で注目を集める。
2006年 スイスでのアートバーゼル出展時に行ったライブペインティングで100枚以上を描き完売。現在では人気・評価ともに日本よりもヨーロッパで高く、海外での活動が中心。
2007年 国内初となる大規模な個展を開催

筆など一般的な道具を一切使わず、アクリル絵の具を使い、手で直接キャンパスや段ボールに描く独特のスタイルで行われるライブペインティングや色彩豊かな作品が特徴。
女の子をモチーフにカラフルでポップな作品が多い。



山口晃(やまぐち あきら)

1969年~ 東京都 日本の画家・現代美術家

1994年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1996年 東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了
1997年 会田誠に誘われこたつ派展に参加。
2001年 岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。
2013年 ヘンな日本美術史で第12回小林秀雄賞を受賞。

大和絵や浮世絵のような筆さばきで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風で知られる。
馬型のバイクに武士が乗っていたり、瓦屋根が載った超高層ビルを描く等、作品の多くが自由でユーモラスな発想で描かれる。
書籍の装丁や広告のポスターの原画も数多く手掛けている。



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