画家一覧

陶芸家

小泉淳作(こいずみ じゅんさく)

1924年~ 2012年
日本画家、陶芸家。

特定の画壇に属さない独自の画風が特徴。

慶応大文学部中退し 東京美術学校(現・東京芸大)に入学
50代後半になって 水墨画に開眼し 独自の世界を開いた
鎌倉の建長寺 京都の建仁寺に 天井画を制作
2002年 建長寺創建750年記念事業として雲龍図を作成。
2010年 東大寺本坊のふすま絵を完成させる。



奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )

世界的に評価されているポップアート作家。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。

1984年 初の個展 (名古屋市)
1984年 グループ展「奈良美智、三浦孝治二人展」 SPACE DENEGA 弘前市での初の展覧会
1999年1月13日 - 2月14日 個展「Walking alone」 ザ・ギンザアートスペース(現 資生堂ギャラリー。東京)
2000年3月18日 - 6月25日 個展「Walk On」 シカゴ現代美術館
2000年3月24日 - 5月20日 個展「Lullaby Supermarket」 サンタモニカ美術館

個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001年8月-2002年9月)

個展「Nothing Ever Happens」(2003年9月-2005年5月) クリーブランド現代美術館、2003年9月12日 - 2004年1月4日
ペンシルベニア大学現代美術館、2004年1月24日 - 4月3日
サンノゼ美術館、2004年7月25日 - 10月31日
セントルイス現代美術館、2004年12月3日 - 2005年2月26日
ホノルル現代美術館、2005年3月25日 - 5月22日

2004年8月11日 - 10月11日 個展「From the Depth of My Drawer」 原美術館(以後、金津創作の森(福井県)、米子市美術館、吉井酒造煉瓦倉庫(下記)、ロダンギャラリー(ソウル)を巡回)
2005年4月16日 - 5月22日 個展「From the Depth of My Drawer」 吉井酒造煉瓦倉庫
2005年9月28日 - 12月18日 グループ展 奈良美智+graf「A to Z」 横浜トリエンナーレ
2005年10月8日 - 10月9日 グループ展 「とがびアートプロジェクト2005」長野県千曲市戸倉上山田中学校
2006年7月29日 - 10月22日 個展 奈良美智+graf「A to Z」 吉井酒造煉瓦倉庫
2006年9月30日 - 2007年3月21日 個展「Moonlight Serenade -月夜曲」 金沢21世紀美術館
2006年11月3日 - 2007年1月14日 グループ展「広島市現代美術館コレクションによる『この20年の、20のアート』」 札幌芸術の森美術館
2007年6月2日 - 2007年10月7日 個展 奈良美智「Yoshitomo Nara 奈良美智展」 ハーグ現代美術館
2007年9月21日 - 2008年1月6日 個展 奈良美智+graf「Torre de Malaga (Tower of Malaga)」 マラガ現代美術館
2008年6月12日 - 10月26日 個展  BALTIC現代美術センター イギリス
2012年7月14日 - 9月23日 横浜美術館 『[nara yoshitomo:a bit like you and me] 奈良美智:君や僕にちょっと似ている』
2014年10月3日 - 12月7日 「Greetings from a Place in My Heart」 Dairy Art Center ロンドン
2014年11月7日 - 11月9日 沢田マンションギャラリーroom38 『3日間の奈良美智・ドローイングショウ』
2015年3月6日 - 7月26日 「Life is Only One / 無常人生」 Asia society Hong Kong 香港


にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。見た目の親しみやすさからイラスト的という批判も受けるが、自身のスタイルを変えることはない姿勢で、高い評価を受けている。
自身の作品の他には著名な音楽アーティストのCDジャケットのデザインを手掛けている。
2009年国内オークション会社高額落札TOP10に2点ランクイン。3位「ASH NIGHT」2000年制作(落札額5,700万円)、6位「Winter Long」1999年制作(落札額4,025万円)。

受賞
名古屋市芸術奨励賞(1995年)
ニューヨーク国際センター賞(2010)
芸術選奨文部科学大臣賞(2013)



翁同龢(おうどうわ・翁同和 1830年~1904年)

中国の政治家・書家。

1830年 - 江蘇州に生まれる。
1856年 - 光緒帝の師傅(しふ)をつとめ皇帝の信任を得る。
1904年 – 死去。

中国,清末の官僚。江蘇省常熟県の人状元で進士に及第し,刑・工・戸各部の尚書,軍機大臣を歴任,皇帝と西太后の対立が深まると帝党の中心として李鴻章らと争い,日清戦争では主戦論を唱えた。皇族の親政を強化するべく康有為らの変法維新の主張をとりあげ戊戌変法を企てたが,変法の詔から4日目に西太后は皇帝に迫って翁同龢を解任帰郷させた。
作品の書物はどれも力強い筆の勢いと翁同龢の厳しく己を省みる意志が込められたものが数多く存在する。



郎世寧(ろうせいねい・カスティリオーネ 1688年7月19日 - 1766年7月17日)

清朝に仕えたイタリアのイエズス会修道士・宮廷画家

1688年 - イタリアに生まれる。
1715年 - 27歳の時に北京へ移住、伝教活動を開始。
1723年 - 静物画「聚瑞図」を製作
1736年 - 乾隆帝・皇后・11人の貴妃を描いた「心写治平」を製作
1766年 - 北京で没し、侍郎の官位を贈られた。

郎世寧は中国名。原名はジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)。康熙帝、雍正帝、乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国へ伝え、美術や建築に影響を与えた。絵画作品では乾隆帝大閲図、ジュンガル討伐戦の情景画、香妃肖像画などが有名である。バロック様式を取り入れた離宮である円明園西洋楼を設計した。人物、花卉、鳥獣画が得意。享年78歳。



李鴻章(りこうしょう 1823年2月15日~1901年11月7日)

中国の政治家

1823年 – 北京で生まれる。
1852年 - 曽国藩が江西省へ転勤。そこで政府の命令を受けて湖南省へ移動し湘軍を創設して太平天国との戦いを開始する。
1855年 - 父が亡くなり家族揃って曽国藩の庇護に入った。
1867年 - 湖広総督に任命される。
1885年 - 天津条約を締結させる。
1901年 - 辛丑条約を締結し、その年の11月7日に病死した。

清朝末期の内政・外交・軍事において国を支えた人物。7洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣となり、調印を行ったことでも知られる。日清戦争の講和条約(下関条約)では、清国の全権大使として調印を行った。活人剣の碑という石碑もあり、日本とも深く関わりのあった人物。彼の残した書物もいくつか存在している。



金農(1687年~1762年)

中国の書画家。

浙江省杭州出身。考証学者・何焯を師事して金石を研究。
30歳になると地方を行脚して刻石拓本を収集していた。ばしば揚州を訪れ、晩年はそこに定住した。揚州八怪と呼ばれる人物の一人。金農の書いた書は漢隷をもとに独特な方形の書体をしている。画もまた花卉雑画を古拙な画風で描き、揚州八怪の他の画家に影響した。
画は唐宋の諸家を学び、梅竹、花果、馬、仏を描いた、特に墨梅がすぐれ、代表作に大作の墨梅図・四幅対がある。



荒川 豊藏(あらかわ とよぞう)

1894年~1985年。岐阜県出身。陶芸家。

1922年 京都宮永陶山窯の工場長となる。
1930年 美濃大萓で桃山時代の志野・瀬戸黒の古窯跡を発見。
1944年 金重陶陽の窯を訪問滞在し、備前焼きを制作。
1952年 志野の無形文化財に指定。
1963年 瀬戸黒の無形文化財に指定。
1954年 「桃李会」結成。
1955年 重要無形文化財保持者に認定。
1958年 第10回中日文化賞受賞。
1962年 第3回プラハ国際陶芸展出品、金賞受賞。
1965年 紫綬褒章受章。
1968年 文化勲章受章。多治見市名誉市民となる。
1984年 大萓に荒川豊蔵資料館開館。
1985年 逝去。

桃山時代に栄えた美濃焼を再興し、それに加えて志野、黄瀬戸、瀬戸黒の技術を
現代に蘇らせた、陶芸史上に名を残す巨匠。
おだやかでありながら風格を感じさせる作品群は、多くの陶芸家に影響を与えた。
また、残した数々の功績を讃え、文化勲章や人間国宝に認定されている。



石黒 宗麿(いしぐろ むねまろ)

1893年~1968年。富山県出身。陶芸家。

1925年 作陶活動を始める。伊賀・三島・刷毛目など制作。
1927年 均窯・唐三彩・絵高麗などの中国陶磁器の研究を行う。
1929年 唐津に滞在し、中里太郎右衛門などの窯で制作。
1936年 京都市左京区八瀬に築窯、柿釉の焼成に成功する。
1937年 中国、朝鮮半島で陶芸を視察。この年、木の葉天目の焼成に成功。
1946年 小山富士夫・荒川豊蔵らと「日本農村工業振興会」を設立、
     窯業部門の指導者となる。チョウ-ク描の技法を創案。
1947年 小山富士夫・荒川豊蔵・水町和三郎・日野根作三らと「日本陶磁振興会」を設立。
     理事となり北陸を担当、九谷焼の改革に取り組む。
1952年 「天目釉」の無形文化財記録保持者に認定。
     荒川豊蔵・ 金重陶陽・加藤唐九郎・宇野三吾らと日本工芸会の設立を協議。
1954年 「桃李会」結成。第1回日本工芸会に出品。
1955年 「鉄釉陶芸」で重要無形文化財保持者に認定。
    「日本工芸会」の結成に参加、理事に就任。
1956年 新湊市の名誉市民となる。若手陶芸家育成の為に「八瀬陶窯」を設立。
1963年 紫綬褒章受章。
1968年 逝去。勲三等瑞宝章受章。

特定の師の下につかず、中国古陶磁の研究をほぼ独学で行いながら陶芸の幅広い技法を習得し、独創的で自由な精神に溢れながらも品格を感じさせる作品を多く作り上げた。
その功績が讃えられ、人間国宝や紫綬褒章を受章している。



鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう)

1898年~1982年。福岡県出身。人形作家。

1913年 有岡米次郎に博多人形の制作を学ぶ。
1920年 テラコッタで個展を開催。
1932年 紙塑人形制作を始める。
1936年 帝展で入選する。
1942年 日本文学報国会短歌部会初代常任理事となる。 
1946年 日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協会理事、専門委員を務める。
1954年 日本工芸会正会員、日本伝統工芸展鑑査委員、 鑑審査委員専攻委員長、常任理事、
     人形部部長を務める。
1957年 第1回紙塑人形個展を開催。
     第13回日展で依嘱出品。
1961年 人間国宝となる。
1967年 文化財保護審議会専門委員に任命される。
     紫綬褒章を受章。
1968年 第2回迢空賞を受賞。
     勲三等瑞宝章を受章。
1982年 逝去。

博多人形を学び、テラコッタ人形を手掛けた後、紙塑人形の技法を創始する。
塑像の材料作りや貼り付ける和紙の塗りを自ら行い、その芸術性の高さと作品の美しさが評価され、人間国宝にも認定されている。



加藤 唐九郎(かとう とうくろう)

1898年~1985年。愛知県出身。陶芸家。

1914年 父の製陶工場の一部の使用権を譲り受け、本格的な作陶生活に入る。
1934年 港区青山の私邸に「陶壁」を試行する。
1943年 愛知県西加茂郡に築窯。
1952年 織部焼の技術で国の無形文化財有資格者に認定。
1956年 中日文化賞。
1960年 永仁の壺事件。
1961年 国の無形文化財有資格者の認定取り消し。
漢学者服部担風翁より「一無斎」の号を贈られる。
1965年 毎日芸術賞受賞。
1976年 財団法人・翠松園陶芸記念館設立。
1985年 逝去。

桃山時代の陶芸と再現に努め、自らの作品にも古来の技法を多く用いている。
その作域の広さと磨かれた技術は、現代陶芸に大きな影響を与えた。
1952年にパブロ・ピカソと作品を交換したことがあり、当時大きな話題を呼んだ。



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