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世田谷区について

世田谷区は東京23区の南西部に位置する。東京23区の中では都心から遠い位置にあり、多摩地域では吉祥寺、埼玉県では川口市、千葉県の松戸市、市川市と同じ都心15km圏である。神奈川県と接する南側には多摩川が流れ、多摩川が概ね都県境を構成する。都心から放射状に鉄道が通り、鉄道間の連絡や各駅と住宅地を結ぶようにバス路線が走る。

2020年現在、人口と世帯数は東京23区の中で第1位、人口密度では第14位である。面積は1990年代までは東京23区内で最大であった。羽田空港用地の拡大(埋め立て)などにより、現在の最大面積の区は大田区である。

区内には二子玉川・三軒茶屋・下北沢などの商業地があるが、区内の地目別土地面積の9割以上は住宅地区である。

区は世田谷・北沢・玉川・砧(きぬた)・烏山(からすやま)の五つの地域に分けられている。各地域には行政機構の一部として区の総合支所が置かれる。

現・世田谷区の範囲(旧・東京府荏原郡世田ヶ谷町・駒沢町・松沢村・玉川村、北多摩郡砧村・千歳村の範囲)における国調人口は、1920年(大正9年)には39,952人と、現・東京23区に当てはめると16位相当に過ぎなかったが人口増加とともに順位も上がり、戦後は1955年(昭和30年)から1965年(昭和40年)の期間(23区中2位)以外は23区中1位となり、特に高度経済成長期に人口が著増した[5]。しかし、高度経済成長末期になると人口増加が鈍化し始め、1970年(昭和45年)以降は80万人前後で横這いになった。特に、地価が高騰したバブル景気期には人口減少に見舞われた。1995年(平成7年)を底にして2000年代は再び増加傾向を見せており、2010年(平成22年)のそれは87万7138人、世帯数は44万8961世帯、人口密度は1万5102人/km2となった。

世田谷区の推計人口は、1932年(昭和7年)5月7日の発足時には133,249人(北多摩郡の砧・千歳両村未編入)であり、東京35区中で最少であった。2015年(平成27年)4月1日に初めて90万人を突破。2021年1月1日現在、東京23区中で最多の941,985人である。なお、平成の大合併の際の市町村合併支援プランに基く期間限定の人口要件緩和措置により政令指定都市に移行した7市は総て当区の人口より少ないが、これら以外の13政令指定都市は総て移行時も現在も当区より人口が多い。

2005年(平成17年)の夜間人口は820,320人、昼間人口は736,040人であり、昼夜比は0.897倍と昼間に約1割減少するベッドタウン型の日内変動がある。

全国と比べた年齢別の人口比率では、大学生辺りの年齢から40歳代半ばまでの比率が大きいが、未成年、および、40歳代半ばから80歳くらいまでの比率が小さい。

将来推計人口の予測では2028年に人口100万人を超え、その後も増加を続けると予測されている。

画家について

・小田襄
1936年 東京都世田谷に生まれる。
1960年 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
1960年 新制作協会展に出品,1964年会員となる。
1961年 サロン・ド・プランタン賞受賞
1962年 東京芸術大学彫刻専攻科修了、4人の日本作家展(ニューヨーク)出品
1964年 ユーゴスラビア国際彫刻シンポジウム(ラヴネ)参加、現代美術の動向展(京都国立近代美術館)出品
1966年 現代美術の新世代展(東京国立近代美術館)出品、芸術と科学のシンポジウム(ポーランド)招待制作で優秀賞受賞
1967年 国際金属彫刻シンポジウム(チェコスロヴァキア)参加、1968年までイタリア政府留学生としてローマで制作
1968年 チェコスロヴァキア国際彫刻シンポジウム招待
1969年 第3回現代日本彫刻展(宇部市)で毎日新聞社賞受賞
1972年 第7回ジャパン・アートフェスティバル(メキシコ、アルゼンチンで優秀賞受賞
1973年 ブダペスト国際彫刻ビエンナーレ展(ハンガリー)出品
1974年 第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神戸公園協会賞受賞
1975年 第3回長野市野外彫刻賞受賞
1979年 第1回ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞受賞
1980年 第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で国立国際美術館賞受賞
1981年 日本と東欧展(国立国際美術館)出品
1983年 小田襄展(神奈川県立近代美術館)開催、第17回サンパウロ国際ビエンナーレ展(ブラジル)出品
1984年 第9回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞受賞
1986年 札幌芸術の森野外美術館に彫刻設置
1988年 第8回ラベンナ国際彫刻ビエンナーレ展で金メダル受賞
1989年 国際美術コングレス(マドリード)出席
1991年 ファウンデーション アケミで小田襄―彫刻と版画展開催
1993年 個展(イタリア)開催、国際金属彫刻シンポジウム(チェコ)参加
1995年 個展(ニュージーランド国立サージェントギャラリー)開催、パドバ国際彫刻ビエンナーレ展(イタリア)出品
1996年 日本の美術64年展(東京都現代美術館)出品
1997年 第4回緑の彫刻賞受賞(倉吉)、個展(倉吉博物館)開催
1998年 第13回ラベンナ国際彫刻ビエンナーレ展(イタリア)で国際審査員
1999年 国際美術コングレス(ニューデリー)出席、洞爺湖村国際ビエンナーレ(北海道洞爺湖町)審査員
2002年 紫綬褒章受章
2003年 夢ーK2・アートスペースエリコーナ・若松光一郎・若松紀志子記念館モニュメント・作成
2004年 東京で歿
2007年 国際彫刻ビエンナーレ07・小田襄賞が設けられ主催者賞で準大賞に並ぶ賞金額150万円(北海道洞爺湖町)

・鬼頭曄
1925年 東京、世田谷に生まれる。
1948年 東京美術学校日本画科卒業
1948年 独立展出品。
1949年 自由美術家協会会員。
1950~52年 読売アンデパンダン展(東京都美術館)
1952年 フランス政府保護留学生として渡仏する。
1953年 パリ国立美術学校スヴェルビー教室に学ぶ。
1955-67年ギャラリー・ララ・ヴアンシー画廊と契約。
1957年アマトゥール・ダール賞や抽象絵画スイス賞を受賞。
1960年 サロン・コンパーレゾン(パリ国立近代美術館)
1965年 サロン・コンフロルタション展(ディジョン、フランス)
アトリエ・ムルローリトグラフ展

1973年 アトリエ・クロー版画100人展(パリ、ラ・ギャラリー・ド・フランス)
1974年 パリ新鋭15人展(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー国立美術館巡回展、ギャラリー・リーヴゴーシュ画廊主催)
1975年 在外日本人作家展ヨーロッパとアメリカ(東京国立近代美術館)
1994年 逝去

・進藤蕃
昭和7(1932)年、東京都に生まれ、同27年、東京芸術大学美術学部油画科に入学、在学中は小磯良平の指導をうけ、同31年に首席で卒業、大橋賞をうけた。同35年、フランス政府給費留学生として渡仏、パリのエコール・ド・ボーザールにて、モーリス・ブリアンションに師事した。帰国後、安井賞展に5回出品するほか、女子美術大学、東京芸術大学、愛知県立芸術大学などで、非常勤講師をつとめた。同42年には、中根寛、小松崎邦雄とともに濤々会を結成、また同49年には井上悟、橋本博英、大沼映夫、山川輝夫などと黎の会を結成、東京セントラル美術館で展覧会を開催した。国内外を取材のため精力的に歩くが、なかでも中国の風景をテーマに、同58年にパリのグランパレ美術館にて、第10回FIAC展(国際現代美術展)において個展を開催した。平成6年には、「両洋の眼」展に出品、また笠井誠一、福本章とともに三申会展を開催した。南ヨーロッパをおもわせる明るい陽光のもとでの風景画、あるいは室内の静物画を得意としたが、ことに中国の桂林などでの取材旅行からうまれた80年代の一連の風景画は、明快な色彩構成のうちに深い情感をたたえるもので、コロリストとしての画家の資質がもっとも発揮され、質の高い具象表現となっていた。
1998年 頸部腫瘍のため東京都港区の病院で死去した。享年65。

・難波田史男
東京都世田谷区経堂抽象画家・難波田龍起の二男として生まれる。1957年早稲田大学高等学院に入学、このころは美術や学業よりも読書に熱中していた。大学進学よりも絵画の道を志し1960年文化学院美術科に入学するが、1962年父の知人の勧めで(本人の美術的方向性を生かすため)、文化学院を退学。その後、1965年早稲田大学第一文学部(美術専攻)入学。教授の青柳正広や大沢武雄に師事し、1970年早稲田大学を卒業。文化学院退学後、本格的に画家としての活動を開始(独自の美術制作活動が盛んになる)。1963年「土竜の道」、「終着駅は宇宙ステーション」(絵画)ほか、多数のペンによる素描・色彩画を制作する。1964年、父の知人で画商の伊藤にイラストレーターとしての道を進められ、イラスト「大相撲」シリーズを描くものの、イラストの道にはいりこめなかった。大学在学中も絵画制作活動をしていたが、1966年に始まった大学紛争に衝撃を受ける。1970年以降、美術活動の傍ら、旅行及び放浪することが多い。高校時代から放浪癖はあったらしく、北海道の知人が営む牧場で晴耕雨読の生活を試みたが、挫折している。

1974年九州旅行の帰り道、瀬戸内海にてフェリーより転落溺死、享年32歳。死後、ほぼ毎年、難波田の展覧会が催されている。

・彦坂尚嘉
彦坂尚嘉は、1946年(昭和21年)6月26日、私生児として生まれた。戸籍上の母は、彦坂静。しかし静は実の祖母で、実母は戸籍上の姉であった和子であった[1]。幼い頃、腸結核に罹患して、小学校1年・2年は学校には半分ほどしか出席していない。中学2年には肋膜炎と、腸結核、そして慢性盲腸を併発して生死をさまよって1年間入院。そのために世田谷区立富士中学校を1年休学して、一年遅れの学校生活を送る。高校3年で肋膜炎が再発し、高校卒業後に、関東中央病院に1年間入院して、肋骨を半分切る手術をする。1年間の浪人中は病院生活であったが、翌年多摩美術大学油彩科に入学。

小学校一年から、光風会・日展系の画家:清原啓一(1927〜2008年、日本芸術院会員・日展常務理事)が家庭教師になり、以後1966年の多摩美大学入学の直前まで、油絵の指導を受ける。中学生から東京国立博物館に通う様になり、国宝・重要文化財の作品を眼で、暗記する。中学2年生の一年間の入院生活で、講談社の『世界美術体系』(全28巻)と『日本近代絵画全集』(全24巻)を購入する。

多摩美術大学に入学し、斎藤義重の存在を知って、神奈川県立近代美術館まで見に行く。1969年多摩美術大学が社会党系の社青同解放派の学生によってバリケードが築かれ、支援を要請されて参加する。学内で開かれた造型作家同盟展で、床を使ったフロアイベントと、木の支持体を使ったウッドペインティングを制作して、アーティストとして出発した。同年、宮本隆司、石内都、刀根康尚、山中信夫、堀浩哉らと美術家共闘会議(美共闘 BIKYOTO)の結成に参加する。

1969年には、青山デザインスクールの講師で現代音楽家の刀根康尚と知り合い、現象学研究会を結成して、エトムント・フッサールの著作の読書会を始める。この刀根康尚とともに1971年には、『美術手帖』の編集長であった福住治夫(高島平吾)の協力で、1960年代美術の総括を企画して、8ヶ月間の調査批評活動を展開して、『年表/現代美術の50年』400頁を編纂する。

1972年に第一次美共闘レボリューション委員会を組織して、美術館・画廊を使わない美術展を組織する。さらに1974年に、第2次美共闘レボリューション委員会をつくり、一年間の作品の制作発表の中止という現象学的還元(エポケー)を実践する活動を組織した。

1946年 東京都世田谷区生まれ。
1962年 東京都立駒場高等学校入学。
1969年 宮本隆司、石内都、刀根康尚、堀浩哉らと美術家共闘会議(美共闘 BIKYOTO)結成に参加。
1970年 多摩美術大学絵画科を中退。
1975年 第9回パリ青年ビエンナーレ(フランス)
1982〜1983年 文化庁在外研修員としてフィラデルフィア大学院グラデュエイトスクール・オブ・ファインアーツに特別生として留学。
1982年 第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ(イタリア)
1987年 第19回サンパウロ国際ビエンナーレ(ブラジル)
1988年 オリンピアード・オブ・アート(韓国現代美術館、ソウル)
1989年 ユーロパリア・ジャパン(ゲント美術館、ベルギー)
1999年 グローバル・コンセプチュアリズム展(クイーンズ美術館、ニューヨーク)
2000〜2009年 第1回〜4回越後妻有トリエンナーレ
2001年 センチュリー・シティ展(テート・モダン、ロンドン)
2005年 リュブリアナ国際版画ビエンナーレ(リュブリアナ美術館、スベロニア)
2007年 リスボン建築トリエンナーレ(ポルトガル)
2008年 こんぴらアート2008(四国、琴平)
2009年 立教大学大学院特任教授に就任。
2013年 あいちトリエンナーレ2013(名古屋市)

・福田美蘭
東京都世田谷区出身。父はグラフィックデザイナーの福田繁雄、祖父は童画家の林義雄。小学校から高等学校まで聖心女子学院に学ぶ。1981年東京芸術大学美術学部絵画科に入学、1985年卒業、同年、東京芸術大学大学院に進み、1987年修了。1988年6月ギャルリーユマニテ東京にて初個展を開催する。1988年10月から朝日新聞(夕刊)連載小説、赤川次郎『人形たちの椅子』の挿絵を担当(1989年5月まで)。1989年には「第32回安井賞展」において、当時史上最年少の26歳で同賞を受賞した。過去の名画にデジタル加工するなど手を加えたり、食材など身の回りの素材を組み合わせたりした作品が多い。

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