現代アート作家一覧
中国人現代アート作家一覧
艾未未(アイ・ウェイウェイ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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アイ・ウェイウェイは、中国の現代アート作家・キュレーター・建築家・文化評論家・社会評論家。中国の現代美術がまだ始まったばかりの1980年代から美術家として活躍し、中国の美術および美術評論を先導して世界各地で活動してきた。一方で、社会運動にも力を入れている。妻は芸術家の路青(ろ せい、ルー・チン、Lu Qing)。
本来の名は蒋未未で、艾未未は筆名である。祖籍は浙江省金華県。著名な詩人である艾青(がいせい、アイ・チン、Ai Qing, 本名・蒋正涵)を父に、同じく詩人である高瑛(こうえい、カオ・イン、Gao Ying)を母に北京で生まれた。艾青は文化大革命で非難され中国共産党から除名され、一家で新疆ウイグル自治区の労働改造所(労改、強制収容所)に送られた。幼かった艾未未も5年間を労働改造所で暮らしている。
1978年、艾は授業を再開した北京電影学院に入学した。同期には中国を代表する映画監督となった陳凱歌(チェン・カイコー)、張芸謀(ちょう・げいぼう、チャン・イーモウ)らがいた。同じ年、艾は黄鋭、馬徳昇、王克平らが結成した文革後初の前衛芸術のグループ、星星画会の結成に加わる。このグループは20世紀初頭の美術からポップアート、パフォーマンスアートまでを一気に展開したが、中国当局の圧力を受けて1983年までには活動を停止させられ、主なメンバーは国外へ散っていった。
1981年から1993年まで、艾はアメリカに移り、主にニューヨークに住んでパフォーマンスアートやコンセプチュアル・アートの制作に励み個展を開催しグループ展に参加した。ニューヨークではパーソンズ美術大学に在籍している。
1993年、艾は父の病気のため中国へ戻った。艾は北京の東郊外の大山庄で「北京東村」と呼ばれる実験芸術家のグループの形成を手助けした。このグループには張洹や馬六明といったパフォーマンスアーティストらが参加し1990年代前半の中国現代美術の焦点になった。また艾はこれら若い世代の美術家に関する美術書、『黒皮書』(Black Cover Book、1994年刊)、『白皮書』(White Cover Book、1995年刊行)、『灰皮書』(Gray Cover Book、1997年刊行)を出している。
2000年には馮博一、華天雪とともにグループ展「不合作方式 Fuck Off」をキュレーション(企画)し、上海ビエンナーレにぶつけるように上海市内で開催した。この展覧会は、肉体を酷使するパフォーマンスアーティストのみならず、人間の本物の死体を用いた作品を作るアーティストまでが登場する激しいものであった。
同じ2000年に艾は北京北東郊外の大山子芸術区の近くに草場地芸術区(Caochangdi)を作り、そこに移転した。これは新築の倉庫風の建物や再利用した古い倉庫にアトリエやギャラリーなどを集積させた地域で、艾も自らのスタジオ「REAL/FAKE」をここに開いている。2011年4月に北京空港で勾留されたが、同年6月に保釈された。
2015年よりドイツ在住。
- 代表作
- 鳥の巣
漢時代の壷を落とす
遠近法の研究
蛇の天井
童話―1001の宿舎
平行棒
コカ・コーラの壺
エレン・パウ(Ellen Pau)
- 国別分類
- 香港人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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エレン・パウ(Ellen Pau)は香港を拠点に活動するアーティスト、キュレーター、研究者。Videotageの共同創設者であり、Microwave International New Media Arts Festivalの創設アーティスティック・ディレクターでもある。
2018年には香港での初の回顧展がPara Siteによって開催された。1980年代から現在に至るまでの主要なビデオインスタレーションが展示されていた。
- 代表作
- グローブ
Recycling Cinema
顧徳新(グ・ダァシン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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顧徳新(グ・ダァシン)は1962年中国・北京生まれ。
1980年代から中国現代美術のパイオニア的存在として活躍する。
2009年に発表されたインスタレーション作品《2009-05-02》では赤い文字が整然と繰り返されたパネルのインスタレーションが会場を囲む。これは日本でも有名な中国の思想家魯迅の1918年の名作「狂人日記」からの引用である。顧徳新(グ・ダァシン)この作品を最後に美術界から去った。
- 代表作
- 《2009-05-02》
張大千(Zhang Daqian)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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出生時の名は正権、後に爰に改めた。大千は号である。祖籍は広東省番禺県。清朝時代、1899年(光緒25年、日本では明治32年にあたる)5月10日(旧暦4月1日)の四川省内江に生まれ、若い頃より伝統的な中国画の技法の修行を積む。また1917年、19歳の時に日本の京都へ留学し、京都芸術専門学校で3年間染色を学んだ。1920~30年代には上海等での個展で認められ、南張(南に張あり)とたたえられた。楊継仁著『張大千伝』(文化芸術出版社、1985年)によれば、1931年に「唐宋元明中国画展」代表として日本を短期訪問している。1933年には中央大学芸術専攻教授を務め1936年に上海中華書局が「張大千画集」を出版、徐悲鴻が序を書き500年に1人の画家と称賛される。
1940年から約2年7ヶ月に渡り敦煌の莫高窟に住み込み、壁画の模写に取り組む。模写は、芸術的で美しい作品となるように古ぼけた各時代の壁画の変色・剥落した部分を推定で補いながら制作された。ちなみに敦煌莫高窟における最初の模写を行ったのは、大千であるとされる。1942年にその成果が発表されるが、それによって敦煌壁画の素晴らしさが大きく広まる事になった。この時、共に莫高窟に赴いた書画家の謝稚柳(1910年 - 1997年)が「敦煌石室記」「敦煌芸術叙録」という記録を残している。
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ボストン美術館蔵の伝 関同(後梁の山水画家。関仝とも。読み:かんどう、ピンイン:Guán Tóng)の湖山清暁図軸。研究の結果、大千による贋作と確実視されている
国共内戦が始まった後の1948年に香港に移り、以降はブラジル、アメリカなど国外に20年以上滞在する。1951年にアルゼンチンに移り、1953年にブラジルに移住している。海外で当時流行していた印象派や立体派などに触れ、中国画に西洋の技法を取り入れた作品を制作し始める。ピカソに面会しに行ったこともあり、写真が残っている。1957年、「秋海棠」という作品が評価され、ニューヨーク国際芸術学会において金賞を受賞。1959年にはかねてからの眼病の治療のため渡米するついでに日本に立ち寄り、在英の中国人作家・凌叔華(1900年~1990年)と画家の王済遠(1893年~1972年)と鎌倉旅行を行っている。1974年にアメリカ・カリフォルニア州太平洋大学名誉人文博士号を授与される。1978年に台湾に移住。晩年は台北に住み、水墨画に専念。1982年、中華文化の特別芸術家として中正勲章(→勲章>12 中国・台湾の勲章>12.4 台湾)受賞。1983年4月2日8時15分、同地で心臓病により没。享年84。没後、遺族が四合院式の住居を台湾の国立故宮博物院に寄贈し、張大千紀念館(台北市士林区至善路二段三百四十二巷二号)として現在一般公開されている。
2011年現在、オークションで彼の作品は高値で取引されている。例えば2010年5月17日、1968年制作の作品でオーストリア西部、チロル州にあるアーヘン湖(アッヘン湖)を描いた絹本色彩「愛痕湖(この作品は2003年ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された大型の中国近代芸術展《2つの文化の間》(Between Two Cultures)で展示された事がある)」が1億80万元(2010年当時日本円にして約13億円)で落札(この時中国の近現代書画で初めて億元の大台を突破した)、2011年5月31日、香港蘇富比拍売公司(サザビーズ)主催のオークションで、1947年制作の作品「嘉耦図」が1億9100万香港ドル(2450万米ドル、2011年当時日本円にして約20億円)で落札、2016年4月5日にはやはり香港蘇富比拍売公司(サザビーズ)主催のオークションで、1983年制作の作品「桃花春」(Peach Blossom Spring)が2億7070万香港ドル(3491万米ドル)で落札されている。
代表作に「廬山図(台北国立故宮博物院所蔵)」「撥墨荷花図」「中郎授女図」「渓橋行船図」などがある。
山水画の他に花卉の描写を得意とし、とりわけ蓮の花の画題で独自性を発揮した。彼の画風は優雅で、連綿と続く中国の伝統を強く感じさせる。晩年は水墨画に専念し、溌墨という技法により絵に動きを出したり色彩のコントラストを強めたりする等、力強く気韻に満ち溢れた作品を生み出した。古典的な中国画の技法と現代の新しい技法を融合させたと評価されている。
非常に猿が好きだったとされる。
- 代表作
- 秋海棠
絹本色彩
嘉耦図
撥墨荷花図
中郎授女図
渓橋行船図
趙無極(ザオ・ウーキー)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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中国水墨画の伝統に根ざした、東洋と西洋の美意識が融合した独自の“叙情的抽象”の世界を創り出す。風景、自然をテーマに空間の奥行きを感じさせる抽象絵画はヨーロッパの抽象画に新しい可能性を開いた。
1921年、宗王朝にまでさかのぼる北京の名門の家系に生まれる。14歳で杭州の国立美術学校に入学。48年、アンフォルメル(非定形絵画)が胎動し始めたパリへ移住、グランド・ショミエールのアトリエに通う。翌年には早くも個展をひらき“中国のボナール”と評され大成功を収める。フランス各地を始め、ヨーロッパをよく旅し、古典から現代美術に至るまで、その美術を貪欲に吸収していった。彼は「パリの影響が私の技術形成すべてに及んでいることを否定できなくとも、私の個性が確立されるにしたがって、次第に中国を再発見した」と言っている。
64年、ウーキーの最大の支持者アンドレ・マルローの助力でフランス国籍を取得。83年には北京で個展を開く。日本にもしばしば訪れており、大作「アンドレ・マルローに捧ぐ」(1976)が箱根・彫刻の森美術館に収蔵されている。
- 代表作
- Bonne année
Untitled
アンドレ・マルローに捧ぐ
07.06.85
草原
赵赵(ザオ・ザオ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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赵赵(ザオ・ザオ)は1982年新疆ウイグル自治区生まれ、現在は北京とロサンゼルスで活動中。
赵赵(ザオ・ザオ)は一貫して自らの破壊的な魅力を通じて作品を制作、アートフォームの現実や伝統的な実践に対して様々なメディアを通じて挑戦してきました。またザオ・ザオ(赵赵)は、個人の自由意志、そして国家統制のダイナミクスを調べるような彫刻や絵画、インスタレーションで有名です。ザオ・ザオ(赵赵)の作品は、ダイナミックな変化に直面する世代の認識を表し、そこに影響を及ぼす。
世界における迫害の問題に常に対峙し、脅迫や危険といった概念はしばしば彼の作品に現れ、現代社会における歴史的無情に疑問を投げかける方法として、自分が地元や今日の世界的文脈の中で送る人生に言及する。
- 代表作
- 破片
プロジェクト・タクラマカン
スーツ
曾梵志(ザン・ファンジィ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1964年、湖北省武汉市生まれ。文化大革命の時代に育ち、湖北美術学院で学ぶ。第二次大戦後のアメリカで開花した非幾何学的な抽象表現主義に影響を受ける。1990年に北京へ。2012年5月にShanghART Galleryで発表された彼の作品はすでに独自のスタイルが表現されており、中国のアートシーンで歓迎された。
1994年には彼の代表作となる「マスクシリーズ」の制作へとシフトしていく。以前の病院シリーズに見られた痛々しさと残忍さは消えており、よりコミカルな印象に。技術的にはパレットナイフを筆のように使う新しいテクニックが模索されている。
このシリーズで描かれているのは、経済発展とともに豊かになる人々、しかし、まるで仮面をつけたかのように個性は失われ、無関心になってゆく人々の姿。そこには現代社会の偽りの人間関係が提示されている。
1997年以降、彼の作品の背後には海のような背景が描かれるようになり、ネガティブで濃厚な感情は抑制され、快適に鑑賞しやすいスタイリッシュな作品に洗練されてゆく。
2001年に制作された「最後の晩餐」は、2013年、サザビースに出品され、1億8,044万香港ドル(22億5,550万円)で落札された。アジア現代美術アーティストで、初めて1億香港ドルを超えた作品となり、アジア現代美術の世界記録を樹立。人気、名実ともにアジアのコンテンポラリーアートでNo.1の作家となった。
- 代表作
- 病院シリーズ
マスクシリーズ
最後の晩餐
徐震(シュー・ジェン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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徐震(シュー・ジェン)は1977年中国・上海生まれ。上海工芸美術職業学院卒業後、現在も上海を拠点に活動。インスタレーションをはじめ、写真や映像など多岐にわたる作品を制作するとともに、キュレーターとしても活動する。98年、中国のアートシーンを発信する上海比翼芸術中心(BizArt Art Center)を共同設立し、99年に上海ショッピング・モールで開催された「アート・フォー・セール」などの展覧会を企画。巨大なタンポンや、ダミアン・ハーストのパロディとして実物大の恐竜をホルムアルデヒドに浮かばせたガラスケースといった、社会的な既成概念を覆すようなインスタレーションを制作し、話題を呼ぶ。
マルチメディア作品《18日間》(2006)では、徐が中国の国境に行き、リモコンの戦車、飛行機、ボートを使って、隣国に軍事進攻のスペクタクルを展開した。また《動物》(2006)では、パンダのような動物が手助けされて射精している風景を録画している。2009年には自身のアートプロダクション「MadeIn Company」を設立し、アーティスト、技術者、コーディネーター約10名とともに組織で活動すると発表。13年からはブランドとして「徐震®」を展開。16年には「徐震®」として「Xu Zhen Store」をオープンさせた。これまで2度、ヴェネチア・ビエンナーレ(2001、2005)に参加。主な個展に「Xu Zhen Solo Exhibition」(Long Museum、上海、2015)、「Civilization Iteration」(ペロタン、パリ、2017)、「Movement Field」(James Cohan Gallery、ニューヨーク、2018)、「Xu Zhen Store」(AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMA、東京、2018)など。
- 代表作
- アマゾンとバーバリアン
龍の六朝彩色土器と眠れる女神
I’m fine!
張曉剛(ジャン・シャオ・ガン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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張曉剛(ジャン・シャオガン)は中国の現代アート作家。 家族の肖像画のような独特の画風が特徴。
1958年に中国の雲南省に生まれる。
1982年、四川造形芸術院油彩画学部を卒業
1986年、西洋芸術研究振興委員会」の設立メンバーとなる。
1995年、ベネチア・ビエンナーレに出展。
- 代表作
- 若い娘としての母と画家
Amnesia and Memory
血縁シリーズ
ジャン・ホァン(Zhang Huan)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1965年安陽生まれ、上海とニューヨークに在住。
ジャンは、“生き残る”ということにおける“命”を表現するための手段として、自分自身を使うことに強い関心を持っていた。「12平方メートル」で、自らの身体をキャンバスにみたて、人が感じる人生に対する不満や、その逆で、人が持つ生存することに対する意志力を表現した。このパフォーマンスのすぐ後、中国のアートシーンから姿を消したジャンは、世界のアートの舞台に立つようになった。そんなダイナミックな文化圏で活躍の幅を広げ、自身やその周りの環境の限界を打ち破るため自分自身との挑戦をするようになる。そこで、彼は自身の原点に立ち返り、最新作となる展覧会「創世記」を開催した。
- 代表作
- 12平方メートル
大運河
創世記
孫原(スン・ユアン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1972年北京生まれ。
2000年よりペン・ユーとユニット活動を始め、中国の現代美術を牽引する作家として各地で活躍している。人体、動物等を多用した、従来の表現方法を超えた大胆な手法で、現代に生きる人々を取り巻く生と死の状況をシニカルに浮き彫りにする。
- 代表作
- I am here
文明柱
堕天使
宋冬(ソン・ドン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
- 1966年北京生まれ。89年、首都師範大学美術学部を卒業。北京を本拠地として、主に写真、ビデオ、インスタレーション作品を制作・発表する。これまで開催した個展は『もう一度、私と遊んでくれますか?』(94年、北京)、『Song Dong in London』(2000年、ロンドン)、『物を最後まで使いきる』(05年、北京)など。95年と02年の光州ビエンナーレ、『Cities on the Move 7』(99年、ヘルシンキ)、02年の台北ビエンナーレなど多数の国際展にも参加している。
- 代表作
- 物尽其用
張培莉(チャン・ペイリー)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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張培莉(チャン・ペイリー)は1957年杭州生まれ。
中国アートで初めてのビデオ作品30 x 30(1988)が披露された。鏡を壊しては接着するという行為を3時間繰り返す単調な映像である。一見無意味な行為は、当時抑圧的な文化革命に続いて激動と再生を経験していた中国のアートシーンにおいて画期的なものだった。
- 代表作
- 30 x 30
陳箴(チェン・ゼン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1955年上海生まれ、上海演劇学院舞台デザイン専攻を卒業し、1986年にフランスに移住。
1989年以降、世界各地で数百の展覧会を開催し、参加し、1990年代後半の国際現代美術界で重要なアーティストとして活動。
2000年、パリで癌で亡くなり、ペールラシェーズ墓地に埋葬された。
- 代表作
- 佛倒/福到
蔡國強(ツァイ・グォチャン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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福建省泉州市で生まれ育ち、文化大革命時に少年時代を送った。1981年から1985年まで上海演劇大学で舞台美術を学び、1986年から1995年にかけて夫婦で日本に移住した。最初は日本語学校に通いながら作品の発表を重ね、天安門事件後に周囲の尽力で筑波大学芸術学群に研究生として在籍した。1988年から1995年の間は福島県いわき市を中心に(内5ヶ月四倉に住み)芸術活動を行った。
当初は油彩を塗ったキャンバスや壁画の拓本の表面で火薬を爆発させることで、自身の中の衝動を促進し、中国の抑圧的で管理色の強い美術の伝統や社会の空気に対抗していた。日本に住んで火薬や現代美術の研究を進めるうち、火薬のみを用いたドローイングや、野外で火薬を爆発させる大規模なパフォーマンスやアースワーク的なプロジェクトを開始し、日本や欧州で発表し始めた。
蔡は様々な象徴、物語、その土地の伝統や文化にかかわるもの(たとえば風水、漢方薬、気、龍、火薬、花火、ローラーコースター、自動車のエンジン、コンピュータ、自動販売機、野生生物、肖像画や肖像彫刻、漢民族以外の中国の少数民族やその文化など)を作品に取り入れている。またかつての毛沢東主義や社会主義のスローガンからの引用も行われる。
1990年代半ばには日本各地や西ヨーロッパの美術館での現代美術展に招待されたほか、中国西部の万里の長城、京都市の平安建都千二百年事業、広島市の1994年アジア競技大会などのイベントにも起用された。1995年暮れにはアジアン・カルチュラル・カウンシルの奨学金を受けてニューヨークに移った。その後も1996年のグッゲンハイム美術館のヒューゴ・ボス賞受賞、1999年の第48回ヴェネツィア・ビエンナーレでの金獅子賞受賞など多くの賞を得て国際的注目を集めるようになり、様々な展覧会のオープニングや大イベントに起用されて火薬や花火を使ったプロジェクトを行っている。2008年には北京オリンピックの開会式・閉会式でもヴィジュアルディレクターに起用され花火を使ったパフォーマンスを行った。また、同年初頭にグッゲンハイム美術館にて行われた回顧展は、オリンピックの開催に合わせて北京の中国美術館を巡回している。
1999年のヴェネツィア・ビエンナーレでは『ベネチア収租院』と題し、新中国建国後に作られた、小作農に対するかつての収奪を再現した社会主義リアリズムのプロパガンダ彫刻(地主の家の小作料取立て場・収租院で作物を収める小作農たちの像)を、オリジナルを作った老作家や中国の美術学生らとともにヴェネツィアで再制作するプロジェクトを行い、金獅子賞を受賞するなど国際的注目を集めた。2005年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、初登場の中国館のキュレーターとして展覧会を企画する側に回った。
一方では非難を浴びることもあり、中国国内では『ベネチア収租院』は、オリジナルを作った彫刻家の精神的財産を奪うものだという批判を受けている[2]。また彼の作品は政治や思想を参照する一方で、制作する国にあわせて立場を変える機会主義的な部分があるという批評もある[3]。彼が北京オリンピックに係わることになったとき、中国の他の美術家、たとえばヘルツォーク&ド・ムーロンと協力し北京国家体育場・鳥の巣をデザインした美術家及び建築家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)らとの間で論争となった[4]。
2009年、福岡アジア文化賞を受賞。
2012年、第24回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。
2016年、2016年国際交流基金賞を受賞。
- 代表作
- 蓬莱山
火薬絵画
曹斐(ツァオ・フェイ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1978年広州生まれ。北京在住。
10代前半から香港を経由して入ってくるポップカルチャーに強い興味を持ち、大学入学後は映像に関心を寄せたツァオ・フェイは、1999年には中国において先駆的なデジタルビデオ作品《失調257》を制作した。最近ではヴェネチア・ビエンナーレ(2007)に合わせて、オンラインゲームである「セカンドライフ」にヴァーチャルな中国パヴィリオンを制作し話題となった。
01年 ベルリン・ビエンナーレ、02年 光州ビエンナーレ、03年 ヴェネチア・ビエンナーレ(07年も)、04年 上海ビエンナーレ、05年 モスクワ・ビエンナーレ、福岡アジア美術トリエンナーレ、広州トリエンナーレ、06年 シンガポール・ビエンナーレ、シドニー・ビエンナーレ、釜山ビエンナーレ、07年イスタンブール・ビエンナーレ、リヨン・ビエンナーレなどに参加。日本では、07年CCA 北九州で個展開催、05年 森美術館「フォロー・ミー!:新しい世紀の中国現代美術」、08年 森美術館「アートは心のためにある」に出品。03年 最優秀若手賞(第12回中国現代美術賞展)を受賞。
- 代表作
- 失調257
Hip Hop
Cosplayers
Un-Cosplayers
潘天寿(ハン・テンジュ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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潘天寿は、20世紀半ばに活躍した画家であり、教育者でもあります。
画家としては花卉画を得意とし、大胆な構図と繊細な筆致で高い評価を得ました。 1960~1970年代の文化大革命の時代には激しい批判と迫害を受けますが、文革後は名誉が回復され、現在その作品はいずれも高い価値を誇ります。 『中国絵画史』『中国書法史』などの著述もあり、現在では名著として知られています。
- 代表作
- 黄山松図
松石図
猫石図
ファン・ユーシン
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
- 北京に生まれたファン・ユーシンは、2000年に中央美術学校を卒業(壁画専攻)。彼は余徳耀美術館(上海)プロジェクト・ルーム初のゲスト・アーティストに選出されている。ファン・ユーシンの作品は、ある種の理想的な造形美の基準に達しているのみならず、絵画の根底から自然に発光しているかのような魅力をもつ。そのキャリアの初期には、水・渦巻・森林・鉱物・結晶・建築などがユーシンの得意とするモチーフであった。彼はこれらのモチーフをあるがままの自然体で描こうともしなかったが、それらのリアルな形状を 完全に否定する訳でもなかった。むしろ、これら物体が与える印象を再構築しようとしている感さえある。例えば、人が川を前に佇むとき、通常は無心な心で見つめるものだ。ファン・ユーシンがカンヴァス上にのせる色彩は、観る者をこれと同じような空虚さに没入させる。しかしながら印象派後期の点描画法と異なる点は、ユーシンは観る者の目が濃厚な色彩と調和してゆくのをただ受け身で待つのではなく、色を重ねることで幾度となく彩 度を調整し、最終的に自らが満足する地点へと至らしめる。すなわち、持続的にこのプロセスを繰り返すことで、エネルギー喚起を強化するのである。色彩・形状・構図の変容はアーティストを支配し、熱中させる。
- 代表作
- Pretentious Ideal Family
Land Of Growth
方 力鈞(ファン・リジュン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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方 力鈞(ファン・リジュン)は、中国の現代美術画家。河北省邯鄲市生まれ、1989年中央美術学院版画系卒業
90年代初頭、天安門事件(1989年6月4日)の余波のなかで、若いアーティストは表現の不自由さや、美術家として先行きの見えない不安、矛盾にみちた体制への漠然とした失望感を抱えていた。当時画家としてスタートしたばかりのファン・リジュンは、そうした自分の立場と社会の雰囲気を鋭敏に感じ取り、表現した作家である。彼は、90年頃からスキンヘッドの自分をモデルに一連の油彩画を描き出した。奇妙に歪んだ顔をもつ男や不敵な笑いを浮かべる男。同じ男が一枚の絵の中に反復される。この現実にはあり得ない風景は社会の不条理を、幾つもの歪んだ同じ顔は、没個性を要求し、顔を歪ませる社会の不気味さを意味する。世の中を皮肉に表現する態度は「シニカル・リアリズム」といわれ、89年以降の中国現代美術界で主流をなした。彼はその旗手である。
- 代表作
- シリーズ 2 No.3
フロッグ・キング
- 国別分類
- 香港人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1947年中国、広東省生まれ、香港在住。1960年代後半から活動する中華圏で最も初期のコンセプチュアルおよびパフォーマンスアーティストの一人。もともと学んでいた墨絵、書道を現代芸術に導入し、インスタレーション、絵画、彫刻、映像など5000点以上の作品をこれまでに制作。演
者と観客の垣根を超えた参加型パフォーマンス、即興性を重視したライブイベントなどを展開している。国際展への参加、受賞多数。2011年、ヴェネツィア・ビエンナーレの香港パビリオンで個展開催。
- 代表作
- E074 UFrogOは香港ハウスに侵入
何云昌(ヘ・ユンチャン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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何云昌(ヘ・ユンチャン)は、中国で有名かつ最も過激だと言われているパフォーマンスアーティスト。
自らの身体を麻酔なしで手術し、肋骨を摘出するなどどれもかなり過激かつグロテスクな内容である。
また彼は、自らをコンクリートで固めて封じ込め24時間我慢したり、10000wの電球を1時間見続け視力を低下されたり、クレーンで身体をつり上げ、川に血を垂らし続けるなど常人には理解しがたいパフォーマンスに挑戦している。
- 代表作
- 1メーター民主主義
彭禹(ペン・ユー)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1973年黒竜江省生まれ。
2000年よりスン・ユアンとユニット活動を始め、中国の現代美術を牽引する作家として各地で活躍している。人体、動物等を多用した、従来の表現方法を超えた大胆な手法で、現代に生きる人々を取り巻く生と死の状況をシニカルに浮き彫りにする。
- 代表作
- Dogs Cannot Touch Each Other
堕天使
黄永砅(ホワン・ヨンピン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1945年中国福建省生まれ。
1982年江蘇省美術学院油絵科を卒業。
天安門事件を機に、中国からパリに移住。
昆虫、洗濯機、飛行機などあらゆるものを素材として作品に用いている。常に緊張感と危険を表した作品を制作。
2019年10月20日フランス・パリで65歳で死去
- 代表作
- ニシキヘビの尾
世界文化の家
中国絵画史と2分間洗濯機に入れた簡潔な近代絵画史
李明鑄(リ・ミンジュ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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李明鑄(リ・ミンジュ)は1973年天津生まれ。
毛沢東を食材に見立て、日常の中で消費されるさまを表した陶器作品《EAT MAO》には、未だ強い影響力を持つ毛沢東のイメージを安易に利用し続ける美術表現や中国社会全体に対する批判が込められています。
- 代表作
- EAT MAO
刘錚(リウ・ジャン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1969年、中国河北省生まれ。
8年間に渡る中国の旅を綴った写真集「The Chinese」で国際的に高い評価を得る。
アルル、ベニス、相模原、本国の北京、広州などで個展を開催。
- 代表作
- 老齢の北京オペラ女形俳優 北京
劉國松(リュウ・コクショウ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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現代美術運動を推進、「中国絵画の近代化」を提唱する
香港中文大学芸術学科学長 主要大学の名誉教授を歴任
現在は台湾師範大学の学長教授
現代水墨画の父として知られている
1932年 安徽省出身
1948年 南京国家革命軍の学校に入学
1956年 台湾師範大学芸術学部卒業 5月絵画協会設立
1971年 香港中華大学芸術学部の教師
- 代表作
- 香江歳月
月之律働
楊飛雲(ヤン・フェイユン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1954年生まれ。画家でありながら、中国藝術研究院中国油画院の院長を務める。
中国美術家協会理事、中国油画学会理事、北京油画学会副主席。
- 代表作
- 驀然
荷花屏風
19歳
严培明(ヤンペイミン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1960年 上海出身
1981年 フランスのディジョンにある国立美術アカデミー入学
1988年 フランスのパリにあるアドバンスト・プラスチック・インスティテュートで研究
中国の才能ある油絵画家の一人、一連のブラックカーボンスモークポートレートで世界に知られる
彼の作品は通常サイズが大きく、繊細な質感が白黒の構図で強調されています。現在、彼の作品はそれぞれ約100,000ドルで販売されている
- 代表作
- ルイ・ヴィトン肖像画
毛沢東肖像画
楊福東(ヤン フードン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
- 1971年、北京生まれ。撮影にフィルムを用いた映像作品を多く手掛け、その静謐な映像美と、虚構をもって本質に迫るような作風が高く評価される、若手中国作家の代表格のひとり。世俗を避けて竹林で清談する賢人たちの故事に材を得た、現代中国の若者の内面に迫るシリーズ『竹林の七賢人』などで国際的に知られる。近年はマルチスクリーンを始めとする空間表現としてのインスタレーションなど、様々な形での表現を行っている。
- 代表作
- 竹林の七賢人
断絶された未来
雀村往東
青麒麟
The Coloured Sky:New WomenⅡ
喩紅(ユー・ホン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
- 喩紅(ユー・ホン)は日常の生活と環境からインスピレーションを受け、個人的な内的世界に関連する時間や記憶、感情的状態の変化、また女性の生活が発展している中国の社会的、政治的、文化的な環境における変化を示した作品を制作。
- 代表作
- New Age
愚公還在移山
王广义(ワン・グワンギ)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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1957 中国黒劉江省に生まれる
1984 浙江美術学院油絵学部卒業
1993 Bellefroidギャラリーでの個展シンガポール、フランス、スイス、韓国など各地で個展
- 代表作
- 無題(赤い格子の後ろの聖母)
大批判
唯物主義者
王晋(ワン・ジン)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
- 1994年4月に、北京郊外の大興県でおこなわれたパフォーマンスを行う。当時、97年の香港の中国返還時の開通を目指して北京駅から香港・九龍駅をつなぐ北九鉄道の建設が進められていた。作者は、その線路に、漢方薬やコーラ、歯磨き粉、靴磨きの油、口紅、マニキュア、洗剤などを混ぜた赤い塗料を200メートルにわたってかけた。香港返還を前に、すでに香港経由で資本主義化は進んでいたが、それは赤色に象徴されるように、堅牢な社会主義下で経済面においてのみ自由化を目指すという矛盾をはらんでいた。ワン・ジンはそれに疑問を投げかけた。
- 代表作
- Red, Beijing-Jiulong
王光樂(ワン・グァングル)
- 国別分類
- 中国人現代アート作家
- 人物・来歴・経歴・その他
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王光樂(ワン・グァングル)は中国・福建省の画家です。
現在は北京を拠点に活動を行っています。2000年に同国・北京のChina Academy of Fine Artsの油画コースを卒業し、2005年には北京のWaterstone・Onemoon Galleryにて初個展を開催。
2012年、2014年にはアメリカ・ニューヨークのPace Galleryにて古典を行っています。
キャンバスに描かれた小さな点やストライプそして色彩は、静と動という東洋的なテーマを伺わせますが、技法や方法は西洋の絵画の系譜を感じさせます。
厚く塗られた絵の具と抽象的な表現で活発に活動を行っているアーティストです。
- 代表作
- Coffin Paint 141027