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福井県にお住いの方へ
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福井県について

福井県は、日本海と山に囲まれた地域でもあり、幾つかの景勝地や史跡、有名な寺社仏閣等が存在します。
まず景勝地として有名なのは、東尋坊・気比の松原・三方五湖、蘇洞門が自然の観光地としてあります。
寺社仏閣としては、永平寺、気比神宮、吉崎御坊、平泉寺、史跡については一乗谷朝倉氏遺跡、大野城、丸岡城、金ヶ崎城といった城址、その他最近では福井県の勝山市が恐竜の発掘でも全国的に有名となり、恐竜の里でもあることで博物館が建設され多くの観光客で賑わっています。
また温泉地としては芦原温泉、冬になれば今庄365や六呂師高原がスキー場でも有名です。

北陸三県のひとつ、福井県は石川県の西南、京都府の北東に位置しており、若狭湾と日本海に接しています。

福井県は海の幸に非常に恵まれており、11月上旬になると越前ガニ漁が解禁されます。
越前ガニは高価でなかなか手が出ないという人はセイコとよばれる小振りで比較的安価なものを味わってもよいでしょう。
越前ガニは福井県の魚となっているほど、地元ではポピュラーな食べ物です。
もし観光するなら坂井市三国町にある東尋坊に出掛けてみてはいかがですか。
国の天然記念物や名勝に指定されている高さ約25mの絶壁は大規模な輝石安山岩の柱状節理という世界的にも非常に珍しい種類の地形です。
崖には柵などなく、自由に散策ができるようになっていますが、充分注意して観光して下さい。
また、永平寺町には日本曹洞宗の中心寺院である大本山永平寺があり、約200人の修行僧が暮らしています。
入場料を払えば、その一部の施設をみて回ることができます。

画家について

渡辺悟仙
福井県福井市出身の日本を代表する世界的水墨画家。「日本南画院」元理事長。「福井県水墨画協会」創立者 兼 初代会長。紺綬褒章受章者。
生まれながらにして画才をもち、少年期には父である久吉(雅号・旭光)や文人画家の小川春峰に日本画の手ほどきを受け、青年期には南画家である飯原如堂に習う。雅号「静山」。
拓殖大学卒業後、福井県庁に勤めるかたわら画家への夢があきらめきれず、1969年(昭和44年)、 馬来田愛岳(社団法人日本南画院理事)や鳥海二楽子(社団法人日本南画院常務理事)に師事。
雅号を「悟仙」と改める。1971年(昭和46年)以来、日本南画院展入賞を重ね、昭和50年代以降は日本国内はもとより海外においても水墨画家として高く評価され広く知られるに至った。
1996年(平成10年)11月、「社団法人日本南画院」理事長就任。「墨に生きる」を信念に東尋坊や越前海岸などを題材にした多くの大作を残している。
2000年(平成12年)8月、故郷の福井市にて逝去。享年73(満71歳)


西山真一
福井県鯖江市出身。福井師範学校(現・福井大学教育地域科学部)卒。鈴木千久馬、辻永に師事。1931年帝展初入選。人物画で出発し、戦後のパリ留学時代に風景画に転換。
1980年日本芸術院賞受賞[1]。1984年日本芸術院会員。光風会常任理事。『西山真一画集』(六芸書房、2000)がある。


鈴木千久馬
福井県出身。1921年東京美術学校西洋画科卒、帝展に出品、1925年特選。1930年同審査員。1935年多摩美術大学教授[1]、1936年文展委員。1941年創元会を創立。
1950年日展運営会参事。1957年日本芸術院賞受賞。1972年日本芸術院会員。1974年勲三等瑞宝章受章。

堀田清治
日本の洋画壇を代表するフォーブ(野獣派)の巨匠。日展文部大臣賞ほか受賞歴多数。
福井中学入学後油絵を描き始め、1920年(大正9年)に上京、太平洋美術研究所に入所し高間惣七に師事する。同研究所や高間らが結成した新光洋画会で最高賞を受賞後、
帰郷した際に同郷の土岡秀太郎らとともに北荘画会を創立、福井の文化的地盤の形成に尽力する。分厚いマチエールによるダイナミックで力強い画風を特徴とする。
1924年(大正13年)再度上京し、創立当初から槐樹社に加わり、1926年(昭和元年)には『大樹のある風景』で初入選。1929年(昭和4年)には『靴屋』を出品し槐樹社賞受賞、
その後『飢餓』『基礎工事』でも同賞を受ける。1933年(昭和8年)第14回帝展に『炭鉱夫』で特選、プロレタリア作家としての名声を確立する。1936年(昭和11年)には新文展無監査となる。
日展には1956年(昭和31年)から出品、1962年(昭和37年)日展評議員、1969年(昭和44年)からは日展参与。
この間、1958年(昭和33年)にはアトリエを構えた武蔵野を拠点に新槐樹社を創立し代表となる。1959年(昭和34年)から2年間渡仏、アカデミー・ジュリアンに学び、
宗教をモチーフにした作品を中心に描いた。1975年(昭和50年)の日展出品作『麿崖不動明王』で文部大臣賞受賞。晩年まで各地の麿崖仏や観音像を題材に現地での取材と制作を精力的に行った。
1979年(昭和54年)日本橋三越で画業55年展開催、1981年(昭和56年)福井県立美術館で回顧展開催。勲四等旭日小綬章受章。
1984年(昭和59年)2月17日、三鷹市厚生会病院にて心不全で死去。享年85。


新道繁
福井県三国町(現・坂井市)出身。1924年東京府立工芸学校卒業。1934年光風会会員。1951年日展審査員。1955年女子美術大学講師、1958年文部大臣賞受賞、日展評議員、
1961年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1971年光風会常務理事、1975年日展常務理事、1977年日本芸術院会員、1979年勲三等瑞宝章受章。



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