現代アート作家一覧

現代アート作家一覧

アジアの現代アート作家一覧

ロナルド・ヴェンチュ―ラ(Ronald Ventura)
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1973年フィリピンのマニラに生まれ、現在も彼の地に住んで制作を続けるロナルド・ヴェンチューラは、同世代のアーティストのなかでは東南アジア全域で最も高評価を受けているひとりです。ヴェンチューラの絵画と彫刻は、その比喩的なモチーフの連鎖とともに、東南アジアの現代美術シーンで異彩を放っています。彼の作品は、そのイメージとスタイルの複雑なレイヤー(層)を特徴としており、超現実主義から漫画、落書きまでモチーフは多岐にわたります。作品におけるレイヤー化のプロセスには、フィリピンという国家の多様なアイデンティティが隠喩となっています。土着の文化とともに、何世紀にもわたり様々な国―スペイン・日本・アメリカ合衆国―占領されてきた根深い影響は複雑な、時として不安定なアイデンティティを生み出しました。ヴェンチューラはこの歴史的・心理的な現象を、東洋と西洋・社会的身分の高低・老いと若さ、といったイメージを喚起しながら掘り下げてゆきます。これらは、作品中での古典絵画の大家や日米の漫画などの仄めかしにも見て取れます。ヴェンチューラは、我々が知らず知らずのうちに身につけている「文化のシニフィエ(意味するもの)」という「第二の皮膚」を注視、皮膚を「表現的な表面」をみなします。そこはタトゥーが彫られていたり、イメージの連鎖のもとに隠されていたり、内面に抱える幻想や葛藤が露わになる場であるのです。
代表作
ZOO KEEPER
Ronald Caringal
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Ronald Caringalは1980年マニラ生まれ。フィリピンのサント・トーマス大学で広告美術を学び、マニラ、シンガポール、ニューヨーク、ミラノでグループ展や個展を開催。
代表作
無題 - diptych
Ana Victoria Montinola
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Ana Victoria Montinolaのアートは、色、テクスチャー、形を用いて、自発性と偶然性を実験しながら、視覚的に刺激的なイメージを作り出す試みである。
代表作
Thunder Defuser
Horizontal Punchline
Jason Montinola
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Jason Montinola の作品は、愛や死、罪、救済をテーマとしています。彼にとって、絵を描くことは単なる想像的な表現ではなく、意識の解放、隠された現実の共有、驚くべきつながりの暴露の手段でもあります。
代表作
Prophet
Catatonic
Kadin Tiu
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1987年生まれ。フィリピン・マニラ在住
Kadin Tiuは常に知覚とそれに伴う無限の境界線に魅了されてきました。彼女が撮影した写真からヒントを得て、アーティストは肉眼では明らかではない雰囲気や次元を作り出します。彼女は、見ること、見ること、認識することの間の微妙な境界線に挑戦しようとしています。花のイメージは、作家が扱う前は何であったかわからないような、線の渦となって散りばめられています。布地や花や彼女の服の写真から、彼女はキャンバスの奥深くまで伸びる風景を描き出します。彼女は私たちに、被写体の中にある自分の発見を見させ、体験させ、かつてあったものがまったく別のものになることを受け入れさせてくれます。線、ひだ、折り目、折り目、切り口、レイヤー、ラップ、そしてつながりが彼女のキャンバスに寄り添い、私たちはその起源と目的地を果てしなく辿ることができます。彼女の作品はキャンバスに油彩で制作されています。

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代表作
Perpetual
Transitory
ホセ・テンス・ルイス(Jose Tence Ruiz)
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ホセ・テンス・ルイズはマルチメディアアーティストであり、マニラの名門アテネオ・デ・マニラとサント・トーマス大学の卒業生でもあります。30年以上にわたり、絵画、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、メディアプレゼンテーション、本のイラストレーション、出版物のデザイン、セットデザインなど、様々なマルチメディアとビジュアルの実践に携わってきました。また、フィリピンやシンガポールの主要新聞(マニラ・タイムズ、マニラ・クロニクル、シンガポール・ストレイツ・タイムズなど)の論説ページに投稿した政治漫画でも知られています。
その形式的な側面では、ルイズの実践はさまざまなソースから引き出されています。社会的リアリズム、フィリピンの農村部と都市部の環境からの植物や産業廃棄物、またカオス理論とフラクタルの美学-数学者ブノワ・マンデルブロの研究によって記述された対称的な幾何学的な構成-などの様々な情報源を引用しています。奇妙にも詩的な形をしたルイズの作品は、フィリピンの政治的、社会的な風景に強く埋め込まれています。

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代表作
The Night is Restless, The Day is Scornful
Excruciate Ecstasy
ロム・ヴィラセラン
国別分類
フィリピン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
フィリピン出身の現代アート作家。ファインアートを主な活動領域としながら、書籍やCDのデザインも数多く手がけるなど幅広い分野で活躍中のアーティストである。
シュルレアリスムやアクションペインティングといった20世紀美術にも通じる彼の作品は、クラシカルな強度と柔軟なアイディアを併せ持っている。
飛び散ったアクリル絵具を動植物に見立てるなど、即興性や偶然性を活かした制作から生まれるのは、空想の産物のようでありながら私たちを取り巻く現実にも共鳴する世界。
大胆な造形と繊細な描写が共存する画面は多彩な像を宿し、私たちを飽きさせません。家族と自然を愛する彼の芸術は、観る者の心を癒しながら刺激する不思議な魅力を放つ。
代表作
Blue Fruit I
Boom III Lightbox
Ochre Field
カンハ・シクナウォン(Kanha Sikounnavong)
国別分類
ラオス現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1957年、ラオスに生まれる。ビエンチャンにある国立美術学校を卒業後、ブルガリアの芸術アカデミーで修士号を取得。現在は、ラオス情報文化省美術部に勤務。
代表作
カンパとピーノイ
ホンサー・コッスワン(Hongsa Khotsouvanh)
国別分類
ラオス現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
子供の頃から絵を描くのが大好きで、将来は画家になると決めていた。高校卒業後に短期学校で3年間、美術全般について学び、さらに3年間、国立美術大学で絵画を専門に学んだ。大学卒業後は数年間、NGOのスタッフとしてラオス北部の少数民族地域で公衆衛生の啓発活動に従事したが、その際も活動に用いるポスターの作成を手掛けていた。
当初はビエンチャン市内にかつて存在したギャラリーに専属アーティストとして所属していたが、制約のない自由な表現への想いから、現在はギャラリーには所属せず独立したアーティストとして活動している。
代表作
スー・ソックはいつも満ち足りない
反射の中の対比
サイラ・ワシム
国別分類
パキスタン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
サイラ・ワシムはパキスタンの現代アート作家。
福岡アジア美術館に「兵器と星」が所蔵されている。
代表作
兵器と星
アーイシャ・ハーリド
国別分類
パキスタン現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アーイシャ・ハーリドは夫のムハンマド・イムラーン・クレイシーとともに、現代細密画を牽引した作家である。
2001年のオランダでの長期滞在を機に、ムスリム女性の社会的な立場をテーマに制作するようになった。ブルカとは、ムスリム女性が着用する全身を覆う民族衣装の一種だが、ここではイスラーム圏における抑圧された女性を象徴する。しかし、ムスリム女性の中には、外見の評価や欲望の対象から免れるという理由から、自分の意志でベールをまとう者もいて、一方的にブルカが抑圧の象徴だと断定できるものでなく、逆に一見解放されたかにみえる裸体のビーナスの欺瞞性をも明らかにしている。
代表作
ビーナスの誕生
アイ・チョー・クリスティン
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アイ・チョー・クリスティンは、1973年、インドネシア・バンドゥン生まれ。バンドゥン工科大学美術学部を卒業し、テキスタイルデザイナーとして働いたあと、2000年代にアーティストとしてのキャリアをスタートします。彼女の作品は、SongEun Art Spaceでの個展「Christine Ay Tjoe : Perfect Imperfection」(ソウル、2015年)、「The Famous One from Lucas」(Third Floor – Hermès、シンガポール、2011年)また、シンガポール・アート・ミュージアム(2012)や国立台湾美術館(2012)でのグループ展など、世界中の美術館で広く展示されています。
代表作
Study of One August Doll
アンキ・プルバンドノ(Angki Purbandono)
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アンキ・プルバンドノ(Angki Purbandono)は1994年インドネシア生まれ。
日本でも滞在制作を行った経験のあるアンキは既成のモノをスキャンして一つの画面に構成する方法を見つけ、記録的意味を含めた作品を発表している。
代表作
空腹でいこう
エコ・ヌグロホ(Eko Nugroho)
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
エコ・ヌグロホは、1977年、インドネシア・ジョグジャカルタに生まれ、Indonesian Art Institute 在学中の90年代末からキャリアを重ね、インドネシアを代表する現代美術アーティストとして国際的に活躍し続けています。1997年のアジア金融危機に続くスハルト政権の崩壊とインドネシアの民主主義への移行を経験した「レフォルマシ(Reformasi、改革)」世代の一人であるヌグロホは、突然現実的なものとなった表現の自由を享受し多様な作品を発表しつつも、作品には自身の政治社会的な意識が投影されています。
ジャワ島におけるアートの中心地ジョグジャカルタで制作されるヌグロホの作品からは、インドネシアの伝統と現代的なポップカルチャーの引用という二つの要素に基づいていることが分かります。伝統的なバティックと刺繍のスタイルを作品に取り入れる一方で、現代のストリートアート、グラフィティ、コミックからも強力なインスピレーションを受けています。彼はドローイングやペインティングのみならず、壁画、彫刻、アニメーション、タペストリーなど、さまざまなメディアで作品を制作しています。
代表作
Bookmark of dried flowers
アイ・チョー・クリスティン(Ay Tjoe Christine)
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アイ・チョー・クリスティン(Ay Tjoe Christine)は、1973年、インドネシア・バンドゥン生まれ。バンドゥン工科大学美術学部を卒業し、テキスタイルデザイナーとして働いたあと、2000年代にアーティストとしてのキャリアをスタートします。彼女の作品は、SongEun Art Spaceでの個展「Christine Ay Tjoe : Perfect Imperfection」(ソウル、2015年)、「The Famous One from Lucas」(Third Floor – Hermès、シンガポール、2011年)また、シンガポール・アート・ミュージアム(2012)や国立台湾美術館(2012)でのグループ展など、世界中の美術館で広く展示されています。
代表作
Study of One August Doll
FX ハルソノ
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
東ジャワ生まれのインスタレーション作家。日用品や廃物を使い、環境問題や都市化などをテーマとした作品を制作。
代表作
声なき声
ジム・スパンカット
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1948年ウジュン・パンダン(インドネシア)生まれ。1975年にバンドゥン工科大学美術デザイン学部卒業後、彫刻家として出発し、インドネシア・ニューアートムーブメントに関わる。1980年代後半以降、美術評論家/キュレイターとして活動。90年代より、海外でのインドネシア美術の紹介と東南アジアを中心とするアジア地域の美術フォーラムに関わる。ジャカルタ在住。
代表作
ケン・デデス
ジョンペット・クスウィダナント
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1976年ジョグジャカルタ生まれ。ジョグジャカルタに在住。
電子楽器、カメラ、パソコンなど様々な機器を用いたパフォーマンスを行なうアーティスト。電子楽器、カメラ、パソコンなど、ローテク感あふれるガジェットを駆使して、ユーモアとメッセージ性に富んだパフォーマンス、映像作品、インスタレーションを発表している。「他者のまなざしによって自己を見つめる」という、ジャワの人々が歴史的に強いられてきた慣習を踏まえながら、社会における自己と他者の関係を問い直す。
代表作
Java-Amplified
Dolorosa Sinaga(ドロドロサシナガ)
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1952年インドネシア出身の彫刻家。1977年にジャカルタ芸術大学を卒業後、ロンドンのマーチンズ・スクール・オブ・アート、サンフランシスコ・アート・インスティテュート、アメリカのメリーランド大学で美術、彫刻、ブロンズ鋳造を学びました。彼女の主な意図の一つは、女性の経験と女性の状態を描写することである。彼女の彫刻の多くは女性の身体を描いています。
彼女のテーマは、信仰、希望、幻想、危機、連帯、多文化の緊張、女性の暴力との闘いなど。彼女の作品はインドネシアで数々の賞を受賞し、2000年には「Institut Kesenian」の学長に就任しました。
代表作
Solidaritas
Nyoman Masriadi
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
彼の絵画に描かれている視覚的なイメージや物語は、社会生活や行動の特徴を鋭く知的に観察して導き出されたものです。彼の視覚的な語彙は目を見張るものがあり、常に新鮮で同時代的なものである。キュビズムを装って西洋のモダニズムと格闘しながらも、風刺画、街頭広告や落書きの言語と融合させています。完成した絵画にマーカーを使って過剰に描いた方法は、その伝統の中に、あるいはその伝統に反して自分自身を刻み込むための手段として見ることができます。
代表作
GreatDaddy
ヘリ・ドノ
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1960年ジャカルタ生まれ,ジョグジャカルタを拠点に活動.1990年代初頭にインドネシアから初めてグローバルなアートシーンに参入したアーティスト.特に,ジャワの複雑な影絵人形芝居・ワヤンの実践から着想を得たインスタレーション作品で知られている.その表現は,芸術的要素と非芸術的要素で構成されるワヤンのパフォーマンスを,物語的でより一般的な解釈へと統合しながら,様々なメディア・テクノロジーを組み合わせている.インドネシアの伝統に深く根差したアートを実現し,創造性を発揮したインスタレーションやパフォーマンス作品では,パフォーマティヴィティとインタラクティヴィティが有する表現の可能性を効果的に生かし,鑑賞者との多様な対話を促している.
代表作
The Two Generals
Political Player
angels fall from the sky
Mulyana(ムイヤーナ)
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Mulyana(ムイヤーナ)はバンドン生まれ、ジャカルタ在住の現代アート作家。10年以上もの間、糸を使って作品を制作する。
現在は複雑な編み方であるかぎ針編みで等身大のインスタレーションを制作しています。
代表作
Mogus
ルアンルパ
国別分類
インドネシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
2001年にジャカルタ芸術大学と国立芸術院ジョグジャカルタ校出身者6名で結成したアーティスト集団である。結成当初から、首都ジャカルタで同世代のアーティストを巻き込んで活発に活動してきた。その活動範囲はレジデンス・プログラム、ワークショップ、展覧会企画、討論会、ラジオ放送などと手広い。ルアンルパが企画開催するさまざまなイヴェントのなかでも、多様なジャンルの関係者が一堂に集まってクリエイションを発表し合う場となっているOKビデオ-インドネシア・メディア・アート祭(OK Video-Indonesia Media Arts Festival)は、海外のアーティストも参加する活気あるイベントである。
代表作
Gudang Sarinah Ekosistem
ナリニ・マラニ(Nalini Malani)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1946年カラチ生まれ。暴力や抑圧といった社会的矛盾や寓意的、宗教的、土着的図像を混淆した絵画や映像、インスタレーションで90年代以降国際的な注目を集めるアジアを代表するアーティストのひとり。印パ分離独立時に難民としてインドに移住。ムンバイで絵画を学んだ後に、1970年代初頭の渡仏を経て、90年代に入るとそれまでの絵画制作に加え、映像作品やパフォーマンス、ビデオ・インスタレーションへと表現を展開させていく。
代表作
In Search of Vanished Blood
Splitting the Other
グラームモハンマド・シェイク
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
グラームモハンマド・シェイクはインド出身の美術家。
西洋の模倣でなく、自国の伝統への回帰でもなく、現在の現実を描く美術を提唱した。
代表作
カーヴァド : 旅する聖堂(家)
JITISH KALLAT
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
JITISH KALLATはインドの現代アート作家。ムンバイを拠点に活動している。
1996年に絵画の学士号を取得したKallatは、Chemould Prescott Roadで「PTO」と題した初の個展を開催しました。彼の大判のペインティングとドローイングには、今日に至るまでの彼の作品の中で繰り返されるテーマがすでに含まれていました。展開される物語の中心に自己を置き、これらの絵画は、時間、死、生命のサイクル、天界への参照、家族の祖先などの概念と結びついていました。それまでは絵画の端っこにしか描かれていなかった都市のイメージが、その後の3、4年の間に中心的な舞台に立つようになったのです。当時、カラットは街の通りを自分の大学と呼んでいたが、その中には、彼の作品のサブテキストであり続け、様々なメディアで形作られてきた人生の永遠のテーマを示唆するものがしばしば含まれていた。
代表作
Field Notes
マクバル・フィダ・フセイン(M.F.Husain)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
マクバル・フィダ・フセイン(M.F.Husain)は大胆で鮮やかな色彩の物語性のある絵画を制作したことで知られるインドの芸術家。彼は20世紀の最も有名で国際的に認められたインドの芸術家の一人であった。
代表作
赤い砂漠の最後の晩餐
フランシス・ニュートン・ソウザ(F.N.Souza)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
フランシス・ニュートン・ソウザ(F.N.Souza)は1924年生まれのインド生まれ。
1947年、ガンジーのインド独立運動での暴動に影響を受け、プログレッシブ・アーチト・グループを創立。
彼の作品はテートを含む主要な美術館にコレクションもされている。
代表作
はりつけ
バルセロナの街並み
S.H.Raza(サイード・ハイダー・ラザ)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
S.H.Raza(サイード・ハイダー・ラザ)はインド出身の画家。
初めは表現主義的な風景画を描いていましたが、1950年代初頭にパリに移り住んでからは、フランスの町や村を幾何学的に表現するようになりました。表現主義的な風景画から始まり、1950年代初頭にパリに移住してからは、フランスの町や村を幾何学的に表現するようになりました。その後、境界線が曖昧になり、色が支配的になっていきました。
代表作
Village en Fête
Saurashtra
Atul Dodiya(アトゥール・ドディヤ)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1959年ムンバイに生まれ、サー・ J. J. スクール・オブ・アート で絵画を学ぶ。1982年卒業。80年代初めより絵画作品を発表し始め、1989年にムンバイで初めての個展をギャラリー・ケモルドで開き、1993年には、アムステルダムのギャラリー・アプントをはじめ海外での個展も増える。グループ展としては、「Indian Contemporary Art: Post Independence(独立後のインド現代美術)」(1997年)、「Embarkations (船出)」(2000年)、「Family Resemblance (家族の肖像)」(2000年)、「Anonymously Yours (匿名希望)」(2000年)など国内の展覧会のほか、ニューヨークにおける「Out of India: Contemporary Art of the South Asian Diaspora(インドから:南アジア・ディアスポラの現代美術)」(1997年)など海外の展覧会にも多数出品。今年に入って、イギリスのテート・モダンの「Century City: Art & Culture in the Modern Metropolis(センチュリー・シティ:近代都市の美術と文化)」では、シャッターに絵画を描くという新しい手法を用いた作品を発表。2001年9月から開催される横浜トリエンナーレにも出品予定。ムンバイ在住。
代表作
ガンボージ色のガッバル
Mithu Sen(ミトゥ・セン)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Mithu Sen(ミトゥ・セン)はインド・ニューデリー在住の現代アート作家。
彼女の辛らつな作品、比喩に富んだ探求、グロテスクな嘲弄は、明らかに肉体、性、欲望の姿、さらには人間界と動物界の近さを連想させます。柔らかい線と氾濫するグラフィックが特徴の彼女の作品はデッサンが最も重要な位置を占め、時には、大判紙による壮大な作品となります。
代表作
ケノプシア(人のいない空間)
Pushpamala N
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Pushpamala Nは1956年バンガロール生まれ。
彫刻家としてキャリアをスタートさせ、1990年代半ばから写真とビデオを使い始め、様々な役割に扮したタブローやフォトロマンスを制作しています。歴史と文化的記憶の概念に興味を持ち、美術史、写真、映画、演劇、ポピュラーカルチャーなどの身近なフレームに同時に潜り込み、疑問を投げかける一連の仮装作品の中で、彼女は自分自身を社会的、政治的な問いかけの中心に置いています。
インドの様々な都市に住んでいた経験を経て、バンガロールを拠点に活動しています。インド国内外で幅広く展示を行い、セミナーや会議でも講演を行っている。
代表作
The Arrival of Vasco da Gama
Navjot Altaf
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
Navjot Altafはインド、ムンバイを拠点に活動するアーティストである。
40年以上のキャリアの中で、絵画、ドローイング、写真、彫刻、ビデオ、インスタレーション、ミクストメディア、パブリックアートなど、様々なメディアで作品を制作してきた。
彼女の作品はロンドンのテート・モダン、ニューデリーのナショナル・ギャラリー・オブ・モダン・アート、オーストラリアのシドニーの第15回シドニー・ビエンナーレ、ニューヨークとニューデリーのタルワール・ギャラリーなど、世界中のギャラリーや美術館で展示されています。
代表作
Samakaalik Earth Democracy and Women’s Liberation
N・S・ハルシャ(N. S. Harsha)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1969年、インド南部、カルナータカ州マイスール生まれ。現在もマイスールを拠点に活動。1995年、ヴァドーダラーのマハーラージャ・サヤジラオ(MS)大学絵画修士課程修了。ドイツ学術交流(DAAD)奨学金(2012年)を受ける。また、アルテス・ムンディ大賞(2008年)などを受賞。コーチ=ムジリス・ビエンナーレ(インド、2014年)、モスクワ現代美術ビエンナーレ(2013年)、堂島リバービエンナーレ(大阪、2013年)、アデレード・フェスティバル(オーストラリア、2012年)、横浜トリエンナーレ(2011年)、サンパウロ・ビエンナーレ(ブラジル、2010年)などを含む多数の国際展に参加、また2009年にロンドンの国際美術研究所(INIVA)、2008年に東京の銀座メゾンエルメスフォーラムにてそれぞれ個展を開催。他、インド現代美術を包括的に紹介した大型国際巡回展「インディアン・ハイウェイ」(2008年、ロンドン、サーペンタイン・ギャラリー/2012年まで世界5都市巡回)、「チャロー!インディア:インド美術の新時代」(2008年、森美術館/2009年、ソウルとウィーンへ巡回)にも参加。
代表作
Come Give Us a Speech
Reversed Gaze
ダヤニータ・シン
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
961年、ニューデリー生まれ。1980年から86年までアーメダバードの国立デザイン大学に学び、1987年から88年までニューヨークの 国際写真センター(ICP)でドキュメンタリー写真を学んだ。その後8年間にわたり、ボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困など のインドの社会問題を追いかけ、欧米の雑誌に掲載された。『ロンドン・タイムズ』で13年にわたりオールド・デリーを撮り続け、 『マイセルフ・モナ・アハメド』(2001年) として出版。1990年代後半にフォトジャーナリストとしての仕事を完全に辞め、インドの 富裕層やミドル・クラスへとテーマを転じた。ヴェネチア・ビエンナーレ(2011年、2013年)やシドニー・ビエンナーレ(2016年)など の数々の国際展に招聘されている。京都国立近代美術館と東京国立近代美術館の「映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから 始まる」展(2013年~14年)に出品。
代表作
マイセルフ・モナ・アハメド
ミュージアム・オブ・チャンス
スボード・グプタ(Subodh Gupta)
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
スボード・グプタ(Subodh Gupta)は、インドの現代アート作家。ビハール州パトナ出身。
1989年パトナ芸術工芸大学卒業。1990年からニューデリー在住で作品制作を行っている。
1999年福岡アジア美術トリエンナーレ、2000年光州ビエンナーレなどの国際展に出品している。
代表作
Gandhi's Three Monkeys
What does the vessel contain, that the river does not
プリヤ・スンダルヴァリ
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
プリヤ・スンダルヴァリはインド出身の現代アート作家。
2012年に始まったコチ=ムジリス・ビエンナーレにて、開花ー花のなかで、佇むを出展。
代表作
開花ー花のなかで、佇む
アルーンクマールHG
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アルーンクマールはインド出身の現代アート作家。
遺伝子組み換え種子が原因で田畑を手放して都市に来た出稼ぎ農民たちがモデルにしたか弱き警備員たちを出展。
代表作
か弱き警備員たち
バールティ・ケール
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
バールティ・ケールは1969 年ロンドン生まれのアーティスト。87年から88年にかけて、ミドルセックス・ポリテクニックで学んだのち、91年までニューカッスル・ポリテクニックのファウンデーション・コースにてファインアートと絵画における学士号を取得した。現在は、インド・ニューデリーに在住、活動を行っている。

 近年はスイス、カナダ、アメリカ、ドイツ、中国などの美術館やギャラリーで個展を開催するほか、美術館やギャラリーでのグループ展にも出展してきたケール。20年以上にわたって築かれた、絵画、彫刻、レディ・メイド、インスタレーションといった多彩な作品群は、いずれもシュルレアリスムや物語性、そして物事の本質との揺るぎない結びつきを見せるものだ。その作品は大英博物館、テート・モダン、ノースカロライナ美術館、グッゲンハイム・アブ・ダビなどに収蔵されている。
代表作
The intermediaries
ジティッシュ・カラット
国別分類
インド現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
瀬戸内国際芸術祭2016にて港を守る防波堤にを使った作品「Rippled Sky for Hitomaro」を設置。
代表作
Rippled Sky for Hitomaro
パーク・ソン・テン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
パーク・ソン・テンは韓国の現代アート作家。
薄い鉄製の金網を「ヘタ」という道具を使用し手で形を作ることにより
一本一本の鉄の動きと、それに光が当たった時にできる影を表現する。
モチーフの基本は人物が多いですが、馬もよく作るモチーフです。特に馬は躍動感があり、迫力があります。
代表作
無題
ジョン・ユジン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
迷信や物語が想像・イメージ化(imagination)を経て、如何にして生み出されているかに注目し、インスタレーションなどに展開する。その作品の多くはスタイロフォームなどの軽い素材で制作され、偽物らしさを強調している。同時に、まるで漫画から そのまま飛び出てきたかのように、イメージを扱うことの軽さも表している。そこでイメージ化された対象は、未来の空想として映るのか。あるいは想像の顕在化なのか。韓国芸術総合学校 造形芸術科 大学院在籍、現在東京藝術大学 彫刻科 大学院に交換留学中。
代表作
アフター10.12
キム・アヨン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
キム・アヨンは韓国生まれの現代アート作家。
韓国美術家賞2019では韓国国内で近年、社会問題となっている済州島に押し寄せるイエメンからの難民の流入を連想させるような、世界的に起きている移民をめぐるさまざまな事象と偽のモンゴル神話を組み合わせたスペキュレイティブ・フィクション《Porosity Valley 2》を発表。
代表作
Porosity Valley 2
キム・ソングン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1960年
韓国 京畿道 加平(キョンギド ガピョン)生まれ。
1981年
韓国美術文化展 銅賞。
1982年
東京フィナール国際展(日本)。
1984年
世宗(セゾン)大学 芸体能大学 絵画科 卒業。
1991年
第1回個人展(クァンフンギャラリー、ソウル)。
1992年
具象展特選(芸術の殿堂、ソウル)。
1996年
第15回大韓民国美術大展具象部門特選(ヒョンデー美術館、クァチョン)。
1997年
第16回大韓民国美術大展具象部門特選(ヒョンデー美術館、クァチョン)。
1998年
第2回個人展(ソウルギャラリー、ソウル)。
2001年
第3回個人展(デリムアートギャラリー、ソウル)。
2002年
第4回個人展(ボンソンギャラリー招待展、テグ)、テグーアートエキスポ2002(テグー文化芸術会館、テグー)、ファンソンアートショー(キョンギ文化芸術会、スウォン)、ファラン美術際(芸術の殿堂、ソウル)。
2003年
二人展―韓国の自然とライフ(LA韓国文化院、アメリカ)。
2004年
第5回個人展(横浜水平線ギャラリー招待展、日本)。
2005年
第6回個人展(ロックギャラリー企画招待展、ソウル)。
2006年
第7回個人展(スピドムギャラリー、クァンミョン)、韓国具象美術大祭典(芸術の殿堂、ソウル)。
2008年
個人展(インサイトセンター、ソウル)、ファラン美術際(プサンBEXCO展示場、プサン)、KIAF2008国際アートフェアー(COEX太平洋ホール、インド洋ホール、ソウル)。2008年7月
FCAでの初個展 『青空の画家 キム・ソングン展』 を開催し、『セサンバクロ ~日常の向こうへ~シリーズ』を発表。
2008年9月
「FCA海外ツアー第1弾:キム・ソングンアトリエツアー」を開催。お客様と共にキム・ソングン画伯のアトリエを訪問。
2009年4月
FCAでの初来日展『セサンバクロ ~日常の向こうへ~シリーズ』を開催。
2009年10月
「FCA海外ツアー第2弾:キム・ミンヒアトリエツアー」を開催。
2010年3月
『SPECIAL ART WORKS SHOW』 来日展を開催。『セサンバクロ - BOX ART -』を発表。
2015年3月~4月
企画展を開催し 『日常の向こうへ ―デペイズマンの世界―』 を発表。
2016年4月
企画展を開催し 『セサンバクロ ~日常の向こうへ~』 を発表。
2016年5月~6月
企画展を開催し 『KIM SUNG-GEUN来日記念展2016 -セサンバクロ-“安息”』 を発表。
2018年12月
企画展を開催し KIM SUNG-GEUN来日展2018『光 -HIKARI-』 を発表。
代表作
セサンバクロ - BOX AR
セサンバクロ ~日常の向こうへ~シリーズ
キム・グリム
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
キム・グリムは、1960年代後半から1970年代初頭に、キネティック・アート、メール・アート、アースワーク、「第4集団」などの路上パフォーマンスなどの実験をたて続けに行ない、近年再評価のすすむ作家である。この作品は韓国史上初の前衛映画といわれ、題名はフィルムの一秒が24コマから成ることを示す。開通したばかりの高架道路を走る車からの眺めに始まり、ランダムにつながる無数の都市の映像は経済成長のなかで急速に発展していく都市の活気を伝える。だが、あまりに短かく部分的な映像は見る人をいらだたせ、やや長いシャワーや煙のカットは謎めいている。あくびをしたり白い液体を吐く男(パフォーマンスも行なった美術家チョン・チャンスン)や瞬時の暴力的なシーンには、独裁政権による都市改造への無言の抗議がひそんでいるのかもしれない。
代表作
第4集団
1/24 秒の意味
キム・スージャ
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1957年大邱(テグ)生まれ。ニューヨーク、パリ、ソウルを拠点に活動を行う。音や光、その文化特有の素材を用いながら、パフォーマンスや映像、写真、インスタレーション等多様なメディアで、様々な文化が複雑に重なり合い共存する社会を表現している。これまでも朝鮮半島の伝統的な布や裁縫をテーマにしてきたが、近年は、この針と鏡というコンセプトを進化させ、私たちの存在、世界、そしてこの時代に直面している大きな課題に疑問を投げかける。第5回イスタンブール・ビエンナーレ(1997年)を皮切りにヴェネツィア・ビエンナーレ(1999~2007年)、横浜トリエンナーレ2005、釜山ビエンナーレ(2002年、2014年)など積極的に国際展へ参加するほか、近年の個展として「MMCA Hyundai Motors Series 2016: KIMSOOJA - Archive of Mind」(国立現代美術館、ソウル、2016年)、「To Breathe」(ポンピドゥー・センター・メス、フランス、2016年)など多数
代表作
A Needle Woman
金昌烈(キム・チャンギョル)
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1970年代初期から水滴ないし水玉をテーマに作品を描き始めた韓国の現代美術作家。水玉の持っている造形的な特徴に惹かれるだけでなく、水玉にふくまれている東洋的な精神性に強く惹かれ作品を制作。その表現は晩年、立体まで広がりを見せていた。
1969年以後パリに移り同地で作品を作り続けた。2016年、韓国の済州島に金昌烈美術館が開館。そして晩年は韓国のソウルとフランスのパリに住んで活動していた。
代表作
Recurrence
ソ・ミンジョン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1972年、韓国釜山生まれ。現在はベルリンを拠点に創作活動を行っています。 版画や陶芸、ファインアートの分野における豊富な知識を活かし、多様な素材を用いて、ドローイング、映像、写真や彫 刻から立体作品、インスタレーションにいたる様々な媒体の作品制作を行っています。さらに、作家の母国である韓国に加え、日本、ドイツでの学びや経験を通して多文化的で普遍的な視点を併せ持っています。あいちトリエンナーレ 2013 では、ポリスチレン製の巨大なインスタレーション作品《Sum in a Point of Time-III (ある時点の総 体 III)》を発表。2010 年、ドイツのベルヴューザール(Bellevue-Saal / ヴィースバーデン)にて発表された《Summe im Augenblick》の流れに位置づけられる本作は、吹き飛ばされた廃墟のような白い建物が、シンプルながらもドラマティック かつ詩的な雰囲気を醸し出し、作家の創作活動において最も重要なテーマである、時(瞬間、過去、あるいは未来)の概念 や、生の儚さと不確定性を詩的に表現しています。
代表作
The Remains
Sum In a Point of Time-III
ホン・ソンダム
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1955年韓国全羅南道生まれ。軍の武力弾圧によって多数の市民が犠牲となった1980年「光州民衆抗争」において、文化宣伝隊として活動。その後も「市民美術学校」を開設しながら文化芸術運動を推進。たび重なる弾圧や投獄に屈せず、80年代民主化運動と呼応して生まれた民衆美術運動のもっとも先鋭的な担い手となる。光州ビエンナーレ、NYクイーンズ美術館、沖縄佐喜眞美術館などで個展多数、国際的にも活躍。
代表作
銃、わがいのち
セウォルの五月
ホン・ヨンイン
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1972年生まれ。
ロンドン大学ゴールドミスカレッジ、ファインアート修士修了。
2004年光州ビエンナーレ参加。

主な個展
2003「The Pillars」、ループギャラリー、ソウル

主なグループ展
2004「Korea Express」光州ビエンナーレ、光州、韓国
Secret-The Spectacle Within' Queen's Gallery」
ブリティッシュ・カウンシル、ニューデリー
代表作
The Performing City
イ・ジュヨ
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
イ・ジュヨは、《Night Studio》、《Two》、《Commonly Newcomer》などの作品に代表されるように、移ろいやすくはかない日常的な素材を心理的、物理的な側面から組み合わせ、私的領域と公的領域の境界を探求し、社会とその周縁に存在するものに価値を見出す実践に関心を抱いてきた。1995年に梨花女子大学を卒業し、フィラデルフィア州のペンシルベニア大学を経て、2000年にロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得。活動初期は制作環境や制作過程を書籍のかたちで記録した作品を発表し、並行する形で韓国やヨーロッパを中心に展示形式での作品発表の機会を重ねた。2002年に『アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代』(東京オペラシティ アートギャラリー)に参加し、2005年には第51回ヴェネツィア・ビエンナーレ韓国館のグループ展の出品作家のひとりに選出される。国際展への参加や韓国のヤン・ヒョン財団による美術賞の受賞(2010)を経て、2013年には個展『Walk to Talk to』をファンアッベ美術館(フランクフルト近代美術館に巡回)で開催し、同展の一部を紹介する個展『Night Studio』(2013)をアートソンジェ・センターで開催した(ファンアッベ美術館では美術史家のイレーネ・フェーンストラと協働で書籍『Outside the Comfort Zone』を作成)。同年、クイーンズ美術館のスタジオ・プログラムでニューヨークに滞在し、2014年に個展『Commonly Newcomer』を開催。同展以来、チョン・ジヒョンとの協働プロジェクトを開始し、2016年には第11回光州ビエンナーレに参加、2017年にはアートソンジェ・センターとロンドンのショールームで展覧会『Dawn Breaks』を開催している。
代表作
Night Studio
Two
Commonly Newcomer
金煥基(キム・ファンギ)
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1930年代の東京
に留学した韓国抽象絵画の先駆者と呼ばれる画家である。1945年の植民地解放後は、
1950年代後半をパリで、1960年代前半から亡くなるまでをニューヨークで過ごした。解放直
後から美術学部で教鞭をとり国際舞台で活躍する美術家の養成に努めるなど、植民地期世代
の知識人層として韓国画壇を牽引した人物である。
 金煥基の作品の傾向は、主に二つに分けられる。ひとつは植民地期の自由美術家協会活動
期と晩年のニューヨーク活動期に描かれた抽象絵画、もうひとつはその間の1940年代後半か
ら1950年代末、朝鮮陶磁や金剛山といった朝鮮の芸術文化のモチーフを組み合わせて描い
たいわゆる伝統表象の絵画である。本発表はこの後者の作品に焦点をあてる。
 金煥基の伝統表象については、これまで朝鮮時代の白磁壺を描いた作品群と植民地期の影
響のみに議論が集中してきた。先行研究では、金煥基の著述と柳宗悦の朝鮮陶磁観や自由美
術家協会の長谷川三郎の前衛美術論との類似性が指摘され、植民地政策下の日本的東洋主
義の影響が強調されてきたと言える。
 しかしながら、実際に金煥基が朝鮮陶磁を描き始めたのは日本からの帰国後十年以上が
経過した1948年以降のことである。しかもこの時期は植民地解放から南北分断、大韓民国
政府の樹立と朝鮮戦争という社会の激変期にあるにも関わらず、当時の社会背景と画家の
制作との関連が詳細に分析されることはなかった。また個々の伝統表象については、「朝鮮
陶磁を描いた時代」という枠組の中で画一的に述べられてきたと言える。そこで、激動の時
代である当時の社会背景に即して画家の制作を考察し、伝統表象のモチーフについても陶
磁器以外の様々な主題に注目し等しく分析を行うことが必要ではないかというのが本発表の
問題意識である。
 本発表では、1948年の大韓民国政府樹立以降から、朝鮮戦争を経た1956年の渡仏直前
までの金煥基の伝統表象を考察する。解放後、金煥基は文学者たちとの親交を端緒に朝鮮の
陶磁器を描き始めた。1950年代に入ると、朝鮮陶磁のほか「石窟庵の印象」(1952年)のよ
うに仏像を描いた作品や、蓮の花、鹿などのモチーフが新たに加わり、渡仏期まで描かれた。
 こうしたモチーフは、新羅時代や朝鮮時代の文化を称揚することで愛国、軍事強化をはかっ
た国民国家形成期の韓国の社会的背景を下敷きとしつつ、画家が交友した文学作家、金東里
(キム・ドンニ/1913-1995)や徐廷柱(ソ・ジョンジュ/1915-2000)ら同世代の文化知識
人たちの作品への共鳴の中で生まれたものであった。パリ行きを決意し独自の表現を求めて模
索していた金煥基であるが、渡仏直前までの彼の伝統表象はこうした極めて国内的な文脈と
問題意識の中から培われたものであったと言える。
代表作
宇宙
20-V-74
白南準(ペク・ナムジュン)
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
韓国生まれのアメリカ合衆国の現代アート作家。ビデオ・アートの開拓者であるとともに、その代表的な存在である。
「白」が苗字で「南準」が名前なので、通常の表記形式では「ペク・ナムジュン」などとなるが、ドイツで活動を始めた時に名乗った名前がナム・ジュン・パイクであり、これが公称として定着している。
1932年7月20日、日本統治時代の京城(現在のソウル)で、繊維業を営む裕福な家庭に生まれる。1949年、朝鮮戦争の戦禍を逃れて一家で香港に移住。翌1950年、日本に移住。1956年、東京大学文学部美学・美術史学科を卒業。在学中から20世紀音楽に興味を持つ。卒業論文は『アーノルト・シェーンベルク研究』。大学の同窓生に山口昌男・宇波彰がいる。
1956年にドイツに渡り、ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。カールハインツ・シュトックハウゼンと出会い、大きな影響を受ける。またフライブルク高等音楽院でヴォルフガング・フォルトナーに作曲を学ぶ。
1958年から1963年、ケルンの西部ドイツ放送協会 (WDR) 電子音楽スタジオに勤務。内科画廊の宮田氏の紹介でジョン・ケージと知り合い、大きな影響を受ける。1959年、デュッセルドルフのギャラリー22でパフォーマンスアート『ジョン・ケージへのオマージュ』『テープレコーダーとピアノのための音楽』を初演。1960年、ケルンのアトリエ・マリー・バウエルマイスターでパフォーマンス『ピアノフォルテのためのエチュード』を初演。
1961年、ジョージ・マチューナスと知り合い、フルクサスに参加。ヨーゼフ・ボイスら、多くのフルクサス・アーティストと交流する。とくにボイスとの友情は終生のものとなる。
1962年、ケルンを中心に活動した破壊的なハプニング・グループ「デ・コラージュ(」に参加。中心人物のヴォルフ・フォステルとともに機関紙を編集・発行。ハプニング『TVデ・コラージュ』はパイクに大きな影響を与えた。
1963年、ヴッパータールのパルナス画廊で、最初の個展『音楽の展覧会-エレクトロニック・テレビジョン』を開催。画像を歪めたり白黒反転させたりした13台のテレビ受像機によるインスタレーションを展示し、世界初のビデオ・アート展と位置づけられる。日本で若い技術者の阿部修也と出会い、彼の協力で動く立体作品「ロボットK-456」を製作し、翌年の『ロボット・オペラ』にて発表。以後、阿部はパイクの最大の技術協力者となる
1964年、アメリカに移住。女性チェリストのシャーロット・モーマンと出会う。ニューヨーク・ジャドソンホールでの『第2回ニューヨーク・アバンギャルド・フェスティバル』で彼女との初共演パフォーマンス『ロボット・オペラ』を初演。以後、彼女はパイクの最大の共演者となる。
1965年、ニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで個展『NJパイク-エレクトロニックTV実験、3台のロボット、2つの禅箱、1つの禅缶』を開催。ニューヨーク・ボニーノ画廊で個展『エレクトロニック展』を開催。発売されたばかりでまだ画質が低く高価だった個人用ビデオテープレコーダをいち早くアートの世界に持ち込み、ビデオ・アート流行の先鞭をつける。
1968年、ニューヨーク・ボニーノ画廊で個展『エレクトロニック・アートII』を開催。
1969年、ニューヨーク・ハワード・ワイズ画廊での展覧会『クリエイティブ・メディアとしてのTV展』で、シャーロット・モーマンとのパフォーマンス『参加するTV』『生きた彫刻のためのTVブラ』を初演。『エレクトロニック・オペラ第一番』(1968 - 1969) を制作。『9/23 ディビッド・アトウッドとの実験』(ボストンのテレビ局、WGBHで放送)を制作。
1970年、4時間の衛星中継番組『ビデオ・コミューン』(WGBHで放送)を制作。『エレクトロニック・オペラ第二番』を制作。
1971年、ニューヨーク・ボニーノ画廊で個展『エレクトロニック・アートIII』を開催。そこで行ったパフォーマンスを元に、ビデオテープ作品『シャーロット・モーマンとパイク/阿部ビデオ・シンセサイザー』を制作。
1973年、『ジョン・ケージに捧げる』『グローバル・グルーヴ』(WGBHで放送、のちビデオテープ作品として再編集)を制作。
1974年、ニューヨーク・ボニーノ画廊で個展『エレクトロニック・アートIV』を開催。
1975年、ニューヨーク・マーサ・ジャクスン画廊で個展『空中の魚 空を飛ぶのはもはやしんどい 魚 さあ飛べ魚よ もう一度』を開催。サンパウロ・ビエンナーレで「アメリカのビデオ・アート」に作品を出品。『組曲二一二』『ナム・ジュン・パイク TV編』を制作。
1976年、ニューヨーク・ボニーノ画廊で個展『空飛ぶ魚』、ルネ・ブロック画廊で個展『月は最古のTV』を開催。ケルン芸術協会で大規模な個展『ナム・ジュン・パイク 一九四六-七六/音楽・フルクサス・ビデオ』を開催。
1977年、ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚。ハンブルク美術大学で教鞭をとる。『ドクメンタ6』に参加し、『TVガーデン』を発表。シャーロット・モーマン、ダグラス・デイヴィス、ヨーゼフ・ボイスらと衛星中継パフォーマンスを行う。
1978年、デュッセルドルフ州立美術アカデミーで教鞭をとる。同校でヨーゼフ・ボイスとのパフォーマンス『ジョージ・マチューナス追悼・ピアノ・デュエット-ボイスとパイク』を初演。東京のギャルリー・ワタリ(現・ワタリウム美術館)で個展『ジョン・ケージに捧げる』を開催。『パイクによるマースによるマース』『メディア・シャトルモスクワ/ニューヨーク』『中国では切手の裏をなめてはいけない』を制作。
1980年、ギャルリー・ワタリで個展『VIDEAいろいろ』を開催。『レイクプラシッド80』を制作。
1981年、ギャルリー・ワタリで個展『ナム・ジュン・パイクがヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージ、マーク・カニンガムに捧ぐ』を開催。『マイ・ミックス81』を制作。
1982年、ニューヨークのホイットニー美術館が『ナム・ジュン・パイク回顧展』を開催。「ロボット K-456」が自動車にはねられて史上初の交通事故犠牲ロボットになるというパフォーマンスを行った。『アランとアレンの不平』(ニューヨークのテレビ局・WNETで放送)を制作。アラン・カプロー、アレン・ギンズバーグとの共作で、プロデュースは久保田成子。
1983年、パリ、エリック・ファブル画廊で個展『天のランデブー』を開催。
1984年、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』にちなみ、ニューヨーク・パリ間衛星生中継番組『グッドモーニング・ミスター・オーウェル』(ニューヨーク・WNET/パリ・FR3)を企画制作。アメリカ・フランス・西ドイツ・韓国で放送される。日本で初の作品集『ナム・ジュン・パイク タイム・コラージュ』(ISSI PRESS) が出版される。出版記念会で高橋悠治、坂本龍一、細野晴臣とパフォーマンスを行う。東京都美術館では6月14日 - 7月29日の会期で大規模な個展『ナムジュン・パイク展:ヴィデオ・アートを中心に』を開催。同時期に西武美術館で個展を開いていたヨーゼフ・ボイスとともにパフォーマンスを行う。
1986年、東京・ギャルリー・ワタリで個展『パイク/ワタリ二重奏』を開催。福井・曹洞宗大本山永平寺に参禅し、『メイド・イン・永平寺』『永平寺讃歌』を制作。ニューヨーク・東京・ソウルを衛星中継した番組『バイ・バイ・キップリング』(ニューヨーク・WNET/日本・JCTV)を企画制作。日本ではテレビ朝日で録画放送された。
1987年、ベルリンの芸術アカデミー会員に選ばれる。『ドクメンタ8』に参加。
1988年、ソウルオリンピックのために依頼されたビデオ・インスタレーション作品『多いほどよい(朝鮮語版)』を制作(現在は、韓国・果川市の韓国国立現代美術館に展示)。『ラップ・アラウンド・ザ・ワールド』を制作。
1990年、フィラデルフィアの街頭に『ビデオ・アーバー』が設置される。
1992年、ソウルの美術館と画廊で、大規模な『ナム・ジュン・パイク回顧展』が開催される。
1993年、ヴェネツィア・ビエンナーレに、ハンス・ハーケらとともにドイツ館代表として参加。ドイツ館は「金獅子賞」を獲得した。東京・ワタリウム美術館で個展『パイク地球論』を開催。
1994年、ニューヨークのホイットニー美術館、ザ・ハーワード・ワイズ・ギャラリーで『TV・アズ・アクリエイティブ・メディウム展』、フロリダのフォートローダーデール美術館で『エレクトロニック・スーパー・ハイウェイ展』を開催。
1995年、光州ビエンナーレ(光州)でシンシア・グッドマンと共同で『インフォアート'95展』を企画。
1996年、コペンハーゲン国立美術館で『ビデオ・スカルプチャー、エレクトロニック・アンダーカレンツ展』を開催。イースターの日に脳梗塞で倒れ、妻の献身的な介護、リハビリ活動を経て以後車椅子生活となる。このリハビリの際の様子や、韓国への帰省を久保田成子が記録したビデオ作品『Trip to Korea』『Sexual Healing』がある。
2000年、米韓で大規模な回顧展。
2004年、ビデオテープ作品『グローバル・グルーブ2004』『ワン・キャンドル』を制作。
2006年1月29日午前6時ごろ、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミの別荘で死去。妻と看護師が見守るなか、静かに息を引き取ったという。73歳であった。葬儀では、パイクが初期のパフォーマンスでジョン・ケージのネクタイをハサミで切ったことにちなみ、参列者たちはこぞって自分のネクタイを切り、パイクの棺に納めた。韓国では、パイクが朝鮮戦争を逃れて出国したことや、米国に帰化していることで複雑な感情を抱く人が少なくなかったが、白南準美術館が着工する直前に伝えられた死去の報には、多くの国民が悲嘆にくれたという。美術館は後に2008年にソウル南郊の龍仁市にオープンした。
2007年、韓国放送公社 (KBS) は開局80年を記念し、7月27日 - 12月30日、汝矣島にある同局内の特別展示ホールで、パイクの作品をあつめた展覧会「Nam June Paik - Rhapsody in Video」を開催した。
代表作
TV Garden
Robot K-456
TV Cello
朴栖甫(パク・ソボ)
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
朴栖甫(Park Seo-Bo)は1931年に韓国の慶尚北道、醴泉に生まれ、1954年に弘益大学美術学部絵画科を卒業後、1961年のパリ滞在を経て、モノクロームの線画や韓紙の質感を活かした作風を発展させました。韓国現代美術の先駆的存在であり、韓国単色画(Dansaekhwa)を代表する作家です。
朴は「エクリチュール」シリーズで最もよく知られています。1960年代後半に始められた「エクリチュール」シリーズは、道教や仏教の哲学や韓国の書道の伝統を起源とし、時間、空間、物質の概念と密接に結びついています。初期の作品では、まだ乾いていない単色の絵の具の表面に鉛筆の線画を描いていましたが、後期の作品では、韓国の伝統的な和紙である韓紙を重層的に用い、指や器具で表面に縦線を入れて幾何学的な起伏を作ります。こうして生まれる形態や色彩の限定性はミニマルアートを思わせるものですが、「描く」ことを通じて反復的行為を写し取ってゆくその作品は、西洋のコンセプチュアル・アートとは異なる経路を通じて、ある精神性へと至る試みと言えるでしょう。
代表作
エクリチュールシリーズ
徐世鈺(ソ・セオク)
国別分類
韓国現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
徐世鈺(ソ・セオク)は韓国の美術家。
ソウル大学美術大学の学長を歴任し、米国リスディ大学から名誉博士号を受け、ヒューストン美術館での個展の開催など世界的に活躍。
徐世鈺の家の敷地内には、韓国風の「庭」と西洋現代建築の「母屋」と「アトリエ」そして接待用の「韓屋(ハノク)」という韓国伝統建築の建物がある。
代表作
人々
張照堂
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
張照堂は台湾の写真家。1999年に台湾の「国家文芸賞」、2011年に「行政院文化賞」を受賞し、さらに昨年、台北市立美術館で開催された張照堂氏の「歳月 照堂:1959-2013影像展」は、雑誌『藝術家』の2013年展覧会10選のトップに選ばれました。
張照堂は台湾を代表する最も重要な写真家である。中学時代、兄からAires Automat 120機を借り、写真に興味を覚える。1960年代、台湾の保守的な社会環境の下で、当時学生だった張氏は、現代文学と超現実主義絵画に着想を得た滑稽かつ荒涼とした悲劇的な写真を発表した。「ピンボケ」、「顔に白粉」、「首のないフィギュア」、「身体の揺さぶり」といった自身の心の内にある苦しみや抑圧感を吐き出した写真は、従来のサロン写真とは異なる独自のスタイルによって、写真界と台湾社会に衝撃を与えた。以来張氏は国内での写真展だけでなくアメリカ、アジア各国など国際的な活躍をしている。2013年には台北市立美術館で大規模な初の回顧展が開催された。
代表作
ピンボケ
顔に白粉
首のないフィギュア
身体の揺さぶり
陳界仁
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
陳界仁の映像作品は、経済的に困窮している労働者や失業者、移民、アクティビストなどと協働で制作され、台湾社会の周縁に生きる人々の心傷や苦境を、アーカイブ映像とフィクションを織り交ぜながら描きます。日本植民地時代に建設されたハンセン病棟や、かつての台湾経済を支えた工場の跡地など、歴代政権の建築的遺産で実際に撮影された作品は、さまざまな統治のあり方に翻弄される人々の姿を明らかにし、忘れ去られた過去を未完の対話として現在に蘇らせるものです。
代表作
工場
ルート
残響世界
マイケル・リン
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
台湾で清朝時代からの富豪だった霧峰林家の家系で、台湾文化協会を設立し、日本で貴族院議員も務めた林献堂のひ孫にあたる。祖母は日本人。父は実業家の林博正。1964年に東京で出生するも、8歳時に日本を離れ台湾で林家と同居するようになる。 1973年の9歳時に家族とともに米国に移住。1980年に台湾に戻りアメリカンスクールに通学するも、高校3年時に再渡米する。 幼少時の米国移住は1971年のアルバニア決議による両親の危機感が要因としている。同じ霧峰林家のリチャード・リン(中国語版)(林寿宇、1933 - 2011)も油絵や彫刻分野で活躍した芸術家。
カリフォルニア芸術大学で設計を専攻し1987年に卒業後は一旦就業するも、設計が向いていないと自覚、再度オーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(英語版)に進学し、1990年に美術学士課程を修了する。 その後1993年にアートセンター・カレッジ・オブ・デザインでも美術学修士課程を修了し、台湾に戻った。 台北市のスタジオ「伊通公園(中国語版)(IT Park)」での創作活動で頭角を現し、その後日本や北米、ヨーロッパ各国、中国など世界各地で活躍するようになった。
2014年には1年間国立台南芸術大学造形芸術研究所客員教授を務めている。
中華圏伝統の花柄模様を使った大胆な絵が最大の特徴。
日本統治時代に勃興し、戦後に最盛期を迎えた繊維産業は主にカーテンや寝具のシーツなどが主な用途だった。中国文化古来の伝統である吉祥文様や牡丹、龍鳳呈祥を大胆に描く『阿嬤的花布(お婆ちゃんの花布)』とも呼ばれるデザインが多用されている。その後洗練されたデザインの外国製品の流行などで一時は衰退したが、1990年代に巻き起こった台湾本土化運動の影響で美術作品の素材として重用されるようになった。そしてこれらの柄と素材を作品に生かす工業デザイナーや芸術家が相次いだ。リンは米国から帰国すると、台湾での幼少期における自身の記憶を昇華させるとともに、これらのムーブメントを自分の作品に融合した。その後、台湾花布の花柄を大型化し壁画アートのような大規模なものにもあしらう作品を多数生みだしている。
代表作
What a Difference a Day Made
市民ギャラリー
林俊良
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
林俊良は1979年生まれ。台湾出身のコンテンポラリーアーティスト。
代表作
VideoArt
鄭善禧
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
鄭善禧は1932年生まれ。
1997年に第1回国家文化芸術基金国家芸術文化賞(美術)を受賞するなど、数々の賞を受賞しています。
1983年には、色付き磁器の制作を開始しました。 文人墨客」の代表格として知られる彼は、詩人、書家、画家、陶芸家であり、民衆画風の素直さや自由さを好み、西洋スケッチ風の筆致や空間感覚を取り入れています。 彼は作品のレイアウトや配置には決して注意を払わず、人生に対する真の理解と、庶民の文化に対する愛情と感謝の気持ちを一つ一つの作品に表現しています。
代表作
花鳥
ジュディ・オング倩玉
国別分類
台湾現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
歌手、女優として世界を舞台に活躍するジュディ・オング。近年、もうひとつの顔として注目されているのが、木版画家「ジュディ・オング倩玉」としての活動です。25歳で木版画に出合い、その才能を開花。日展では13回の入選を誇り、2005年には特選を受賞するなど、輝かしい実績を残しています。
作品のテーマとして取り上げるのは、一貫して「花」と伝統的な「日本家屋」。日本家屋は忙しい仕事の合間を縫って、全国各地の旧家や神社仏閣を自身で取材し、大胆な構図と木版画ならではの力強い線、綿密な細工で次々と大作を発表しています。本展ではその初期から最新作まで70点余を公開し、ジュディ・オング倩玉が紡ぐ力強く美しい木版画の世界を紹介します。
代表作
銀閣瑞雪
紅楼依緑
雨過苔清
コウ・グワンハウ
国別分類
シンガポール現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1963年、シンガポールに生まれる。1985年から92年までシンガポール国立博物館に勤務。その間にシンガポールの美術史に興味をもつようになり、社会的なテーマを持つ作品や作家についての調査・研究を続けている。
代表作
ザ・アーティスト・ビレッジ
パブロ・バエンス・サントス
国別分類
シンガポール現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
パブロ・バエンス・サントスはフィリピン人現代アート作家。
マルコス体制の矛盾を〝読む絵画〟で示したマニフェストが東京国立近代美術館にて展示される。
代表作
マニフェスト
タン・ダウ
国別分類
シンガポール現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1943年、シンガポールに生まれる。1970年に英国に留学し、バーミンガム工芸美術学校、セント・マーティン美術学校で彫刻を学ぶ。1985年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの修士課程修了。1988年、シンガポールに帰国し、北部の村に芸術共同体「アーティスツ・ヴィレッジ」を設立。若いアーティストたちとともに展覧会やパフォーマンスをおこなう。
代表作
犀のドリンクで復元された角
ラジェンドラ・グール
国別分類
シンガポール現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ラジェンドラ・グールはシンガポールの芸術家。
展覧会『アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960-1990年代』にてベトナム戦争のテーマにした映像作品「眼」を出展。
代表作
リー・ウェン
国別分類
シンガポール現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1957年シンガポール生まれ、同地と東京在住。シンガポールの代表的な現代美術作家グループ「ザ・アーティスト・ビレッジ」で活躍した美術作家、パフォーマンス作家。
代表作
自由への指標
奇妙な果実
ワサン・シッティケート
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ワサンの用いる手法は絵画、木版画、セラミック造形、インスタレーション、パフォーマンスアートなど多岐にわたっている。作品は自然や性に関するモチーフにしているものもあるが、多くの作品は、現代タイ社会、国際社会が抱える問題を鋭く指摘する作品を制作している。例えば、貧者が富者に搾取されていく社会問題、政治家や官僚の汚職問題などである。さらに、資本主義社会への批判もモチーフの一つである。 アジア通貨危機の際には資本主義と金融危機に関する一連の作品を発表した。2000年には、チュラーロンコーン大学でタイの政治家と軍関係者の性的なポーズを描いた50枚の絵画を展示した展覧会を開催しようとしたが5日前に中止された。2003年の第50回ヴェニスビエンナーレでは、ジョージ・W・ブッシュ元アメリカ合衆国大統領と各国の政治指導者たちをゴム判を用いて描いた。
代表作
私の頭の上のブーツ
スラシー・クソンウォン
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
タイの市場やボクシングジムなどのインスタレーションを行いつつ、実際に観客にもアートの一部として参加してもらうアクションアートの手法を取り入れている。素材は大量生産された安価なタイの工業製品を利用しており、作品の一部を無料もしくは材料費のみであげてしまうという『フリー・フォー・オール・プロジェクト』も1997年から行われている。
代表作
ハッピー・ベルリン
ラッキー・トーキョウ
Relaxing Machine
Thai Boxing
銀の蝶々
チャックリット・チムノーク
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1978年、タイ、チャイヤプームに生まれる。
「第3回福岡トリエンナーレ」の交流プログラムに参加し、全会期をとおして滞在し、リサイクル素材(日本の竹の皮やバナナの葉)を用いて衣服を制作し、ファッションショーを行う「C.H.C.H.カンパニー メイド・イン福岡プロジェクト2005」を実施した。
代表作
バナナの葉の衣装
アーラヤー・ラートヂャムルーンスック
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1957年タイ生まれ。美術分野においてタイ国内有数のシラパコーン大学でMFAを取得。現在はチェンマイ大学で教鞭を執る。活動初期は版画や彫刻に取り組んでいたが、90年代後半より、写真や映像作品を中心とした制作を行なう。
代表作
授業
ふたつの惑星
アピチャートポン・ウィーラセータクン
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1970年7月16日、タイのバンコクに生まれる。両親は医者で、コーンケン県の病院で働いていた。1993年に短編映画『Bullet(原題)』で監督デビュー。
1994年、コーンケン大学で建築学士号を取得、1997年、留学先のシカゴ美術館附属美術大学で美術・映画製作の修士号を取得。
1999年、映画製作会社キック・ザ・マシーンを設立。2000年、初の長編映画『真昼の不思議な物体』を発表。
2002年、『ブリスフリー・ユアーズ』が第55回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され、同部門のグランプリを受賞した。 また、第3回東京フィルメックスでも最優秀作品賞を受賞している。
2004年、『トロピカル・マラディ』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員を受賞。第5回東京フィルメックスで2作連続となる最優秀作品賞を受賞した。また、カイエ・デュ・シネマの2004年の映画トップ10の第1位に選出されている。
2006年、『世紀の光』が第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された。
2010年、『ブンミおじさんの森』が第63回カンヌ国際映画祭でタイ映画史上初めてとなるパルム・ドール(最高賞)を受賞。審査員長のティム・バートンは「我々は映画にサプライズを求めている。この映画はそのサプライズを多くの人々にもたらした」と語った。(のち、アレクシス・ヴェレル監督のドキュメンタリー映画『カンヌ 伝説が生まれる街』に出演した際、パルム・ドール受賞後にタイに帰国した際、タイ国内で非難の声が多かったと、語った)
2011年、母校のシカゴ美術館附属美術大学より名誉博士号を授与。
2012年、『メコン・ホテル』が初の英語で製作された作品となった。第65回カンヌ国際映画祭のスペシャル・スクリーニングで上映され、第13回東京フィルメックスでも特別招待作品として上映された。
2013年、第24回福岡アジア文化賞芸術・文化賞を受賞。
2020年、多摩美術大学特任教授。
代表作
ブリスフリー・ユアーズ
トロピカル・マラディ
世紀の光
アレックス・フェイス
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アレックス・フェイスは1981年生まれのタイ人グラフィティアーティストです。
近年ではロンドンのフリーズアートフェアにて描いた作品が大反響を受け、その独創的なタッチが世界的に注目されています。
代表作
マルディ
ソーンチャイ・ポンサー
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1991年、カンチャナブリ(タイ)生まれ。
タイ、シラパコーン大学、ペインティング、スカルプチャー&グラフィック・アート学部修了。
主な展覧会に「バンコク・アート・ビエンナーレ」(2018)、「HATOHANO Ancestral Gatherings」(LHONG1919、バンコク、2018)、「Le Flash」(エコール・デ・ボザール、パリ、2018)、「MONTOPIA」(Cité Internationale des Art、パリ、2018)、「Mon's Spirirts Totem」(Early Years Project by YAN. BACC、バンコク、 2017)、「HUMAN BEINGS, ART TREE #1 GROUP」(V64 art studio、バンコク、 2012)など。
主な受賞歴に、「Mobility Funding from BACC」(Documenta、ドイツ、2017)、「INTERPRINT Bangkok Triennial International Print and Drawing Exhibition」(BACC、バンコク、2015)、「JENESYS 2.0 (東京都- 飯山市、長野県)」(文化庁、2014)など。
代表作
Mon's Spirits Totem
Relations of Mon's Spirits Totem
Ancestor's turtle spirits totem
ナウィン・ラワンチャイクン
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1971年タイ・チェンマイ生まれ。現在チェンマイを拠点として活動する。彫刻、絵画、パフォーマンス、写真、フィルムなど、様々なメディアで作品制作を行う。美術館から飛び出し、町に生きる人々と美術が直接出会うような作品を通して、社会における美術のあり方を問いかける。
代表作
赤倉の学堂
ピンナリー・サンピタック
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ピンナリー・サンピタックはタイの現代アート作家。筑波大学に学んだことのある彼女は日本語も達者に操る。彼女はこの10年来「女性の身体」をテーマの軸にして作品を展開してきた。
果実やストゥーパ(仏塔)、器、小舟といったイメージに姿を変えてゆきながら、彼女の作品には乳房の形が頻繁に登場する。こうしたタイという国のもつ宗教や地域的な背景を強く感じるアイコンが多いのも作品の特徴である。
代表作
乳房の葉
器と捧げもの
モンティエン・ブンマー
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1953年にバンコクで生まれ、2000年に早逝したモンティエン・ブンマーは展覧会当時、タイで最も注目を集めていたアーティストの一人で、1990年代の活躍によって国際的な評価を得ました。穀物袋や水牛の角、鳥かごなどを用い、作品を覆う茶系統の色が重量感をもたらす作家の関心はこのとき、自身の周囲にあって利用することのできる素材や対象に強く向けられていました。
代表作
石鐘の庭
コラクリット・アルナーノンチャイ
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
1986年生まれの彼は、ほぼミュージックビデオそのものと言える映像作品を作っています。本人が作詞・作曲、出演して披露するヒップホップは、タイという国が抱える困難さや、ポップカルチャーなどいろいろな文化に影響を受けたハイブリッドな存在である自分と、自分たちの世代について語っています。
代表作
おかしな名前の人たちが集まった部屋の中で歴史で絵を描く3
ルアンサク・アヌワットワイモン
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ルアンサク・アヌワトウィモンはタイの現代アート作家。
様々な厳しい自然環境下で耐えうる植物を展示し人類が住めなくなった世界を表現する。
代表作
98 species of plants, 2020
サマック・ゴーセム
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
サマック・ゴーセムはタイの現代の美術家。
継続中の研究課題であるタイの深南部におけるイスラム教文化と、人間以外の動物との関係を作品のテーマの核としています。マスメディアによって描写される紛争や混乱のイメージに替わり、ゴーセムは性や宗教への社会的圧力や暴力を表現するためのツールとして、動物(羊)と風景(波)を用います。
代表作

供儀際
リクリット・ティラバーニャ
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
リクリット・ティラワニの初期のインスタレーション作品は鑑賞者にタイ料理を振舞うというものであった。芸術家の社会的役割を探求するリクリットの作品はパリのパレ・ド・トーキョー現代美術館館長のニコラ・ブリオ(Nicolas Bourriaud)は「関係性の美学」を持っていると評した。リクリットのインスタレーション作品は饗宴、料理、読書、音楽鑑賞をするための舞台や空間の形を取る。生活や社会に関わってゆくためのそういった構築物がリクリットの作品の核となる要素になっている。
リクリットの作品は世界中の美術館、ギャラリーに展示されている。個展だけでもニューヨーク近代美術館(1997年)、ウィーン(2002年)、パリ市立近代美術館(2005年)、サーペンタイン・ギャラリー ロンドン(2005年)で行われた。またグループ展への参加は、第50回ヴェニスビエンナーレ(2003年)、第27回サンパウロビエンナーレ ブラジル(2006年)、ホイットニービエンナーレ2006 ニューヨーク(2006年)、そして第8回シャルジャ・ビエンナーレ アラブ首長国連邦(2007年)で行われた。
さらに、リクリットはニューヨークのギャヴィン・ブラウン・ギャラリー(Gavin Brown Gallery)の代表も務めて。ヴェニスヴィエンナーレ2003の時にはハンス・ウルリッヒ・オブリストやモーリー・ネスビットと共に『ユートピア・ステーション(Utopia Station)』の共同キュレーターを務めた。また、タイ王国チェンマイでカミン・ラーチャイプラサートと共同で始めた、現代美術と農の伝統価値を融合させるプロジェクト「The Land Foundation(ランド・ファンデーション)」の主催者でもある。
2008年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館がリクリットに展覧会「anyspacewhatever」のビデオ製作を依頼した。その「Chew the Fat」と題されたリクリットのビデオはベルリンのノイガリームシュナイダーに2009年6月から9月までの間展示された。
代表作
パッタイ
Lung Neaw Visits His Neibours
アモン・ピンピマイ
国別分類
タイ現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
アモン・ピンピマイはタイ出身の現代アート作家。
国内の美術展にさまざまな作品を出展し、多くの賞を受賞してきた実績を誇る。
代表作
Illuciuative
レッザ・ピヤダサ
国別分類
マレーシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
レッザ・ピヤダサはマレーシア人アーティスト、アート批評家、芸術史家。
クアンタン生まれ。マレーシア政府の奨学金を得てロンドンの Homsey College of Artin Grouch End でアートを学ぶ。卒業後マレーシアに戻り、美術学校の教師として働き始 める。
代表作
A Non-Visual art situation
Four Propositions
ウォン・ホイ・チョン
国別分類
マレーシア現代アート作家
人物・来歴・経歴・その他
ウォン・ホイチョンは1960年ペナン島生まれ、クアラルンプール在住。あらゆるメディアを駆使し、様々なアプローチやテーマを扱う幅広い活動を展開している。多くの作品では、マレーシアの植民地としての歴史や、現代のマレーシア社会や世界中から取り残された文化の歴史を取り上げるなど、政治的な含意を持っている。しかしそれらは同時にエンターテイメント性も重視しており、「RE:Looking」(2002)というプロジェクトではBBC風の架空の調査報道番組を通してマレーシアが250年間に渡り密かにオーストリアを植民地化していたことを想像しており、『Chronicles of Crime』(2006)と『Maid in Malaysia』(2008)の各写真シリーズではハリウッド映画の広報を思わせるような洗練された艶やかさを加えていることなどが挙げられる。こういった作品では、特定の社会問題というよりも、美術とマスメディアそのものの仕組みを批評しており、それらにおける表現が如何に必然的に本来の題材の政治的な関係性を自らのものとし、歪めたり不明瞭にしてしまうかを考察している。ウォンはこの現象を共謀の一形態として語っており、彼自身にとって純粋な批評的視点というものは存在しないことを暗示している。作品を通して単に客観的な問題を指し示すのではなく、それを変換することによって鑑賞者にその共謀を意識させ、私たちが実生活に存在する複雑な物事から自らを遠ざけているという不穏なアイロニーを認識させるのである。
代表作
粛清
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