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墨田区について

「おいてけ堀」など「本所七不思議」は、昔の墨田区付近が舞台である。また、大相撲が催される両国国技館が立地することでも著名である。

押上・業平地区では、自立式鉄塔としては世界一となる高さ634mの地上デジタル放送用タワー、東京スカイツリーが2012年5月に開業した。観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという。

東京都の東部の区であり、西の区境は隅田川と東の区境は荒川および中川に挟まれた位置にある河川に挟まれた町である。水の郷百選に選ばれている。区東部の地域は海抜ゼロメートル地帯となっている。

区名は、隅田川の堤の通称「墨堤」から墨を、隅田川から田を採った。なお「墨田」の表記自体は、隅田川の古い別表記のひとつでもある。

その他の候補には、「隅田区」「吾妻区」「隅田川区」「江東区」などがあった。

画家について

・小野忠重
1909年1月19日、東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)の向島に生まれる
1924年、蒼原会に加入、白日会第2回展に出品。
1927年、早稲田実業学校在学中から卒業まで本郷絵画研究所に学ぶ。
1929年、日本プロレタリア美術家同盟主催のプロレタリア美術展に出品。
1931年、プロレタリア美術展に連作「三代の死」出品。
1932年、日本版画協会第2回展に出品。藤牧義夫らと「新版画集団」を創立。
1933年、「死を回る人々」制作。
1936年、日本版画協会主催の「欧米巡回展」の出品作品に選定される。第1回版画協会賞受賞。同年、新版画集団を「造形版画協会」に改組改称。
1940年、紀元2600年奉祝美術展に出品。
1948年、第2回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)出品。
1956年、初めて個展を開く。
1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展出品。
1960年、「工場」を制作。
1961年、ソ連で初めての現代日本版画展に招待される。帰国後、エッセイ「ソ連の美術館」、「ソヴィエットの日本画」を『三彩』に掲載。
1963年、東京藝術大学版画研究室の講師となる(1977年まで)。
1966年1月、「版画・戦後20年の歩み」を『みづゑ』に発表。「日本の木版技術と複製」を『東京藝術大学美術学部紀要』(通号 2)に掲載。
1967年、「民衆版画考」を『東京藝術大学美術学部紀要』(通号3)に掲載。
1968年、第6回東京国際版画ビエンナーレ展諮問委員を委嘱。
1970年、装幀に関する研究成果として、「本の美術史」の連載を『三彩』で開始。
1972年、第7回東京国際版画ビエンナーレ展諮問委員を委嘱される
1979年、紫綬褒章を受章。
1989年、『小野忠重と「新版画」の作家たち展』(神奈川県立近代美術館)開催。
1990年10月17日、肺炎のため東京警察病院で死去。
1994年10月16日、東京都杉並区に小野忠重版画館開館。
2009年10月3日~11月23日、生誕100年記念の展覧会「小野忠重展 昭和の自画像」が町田市立国際版画美術館で開催。

・葛飾北斎
代表作に『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。
しかし、北斎の絵師としての地位は「冨嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。北斎は、浮世絵で高い芸術性を表したが、大衆的な『北斎漫画』の中にも彼の卓越した描写力を見ることができる。
さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている。シーボルト事件では摘発されそうになったが、川原慶賀が身代わりとなり、難を逃れている。
ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、晩年、銅版画やガラス絵も研究、試みたようである。また、油絵に対しても関心が強かったが、長いその生涯においても、遂に果たせなかった。1999年には、アメリカ合衆国の雑誌である『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインした。門人の数は極めて多く、孫弟子も含めて200人に近いといわれる。

・渡辺武夫
出生地は東京都墨田区、出身地は埼玉県浦和町(のち浦和市)(現・さいたま市)。埼玉県師範学校附属小学校から旧制浦和中学校(現・県立浦和高校)に進み、2年生の頃画家になる決意を固めた。東京美術学校に入学し、2年生では南薫造教室に入り級長を務めた。またこの頃から寺内萬治郎に師事した。 25歳で光風会賞と新文展で特選を受賞し、若くして確固たる地位を築きあげた。寺内の影響から人物画に傑出した才能を見せたが、師と同じことを続けることへの抵抗から昭和30年以降ほとんどが風景画の制作となった。 寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会、与野会に参加した。日展理事や埼玉県美術家協会会長を務め、1999年には浦和市名誉市民となった。

1916年(大正5年)7月2日 - 出生。
1941年(昭和16年) - 第四回新文展に「老図書館長Tさんの像」を出品し、特選。
1955年(昭和30年) - 渡欧。パリに着き、しばらくグラン・ショミエールに学ぶ。人物画から風景画への移行の契機となる。
1973年(昭和48年) - 「カーニュ好日」が日展で内閣総理大臣賞。
1985年(昭和60年) - 日展理事。日展に出品し「シャンパァニュの丘」で日本芸術院賞受賞[2]。また、浦和市文化栄誉賞を受賞。
1987年(昭和62年) - 勲四等旭日小綬章を受章。
1988年(昭和63年) - 日本芸術院会員。
1990年(平成2年) - 埼玉県美術家協会会長。
1998年(平成10年) - 勲三等瑞宝章受章。
1999年(平成11年) - 浦和市名誉市民。光風会名誉会長。
2003年(平成15年) - 死去。

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