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石川県について

石川県は北陸三県に位置し、衛星都市である金沢がある件です。
豊かな自然と文化に育まれた伝統があり、現在に至るまで脈々と受け継がれています。
伝統工芸は輪島の漆塗りや金沢の金箔が有名であり、どちらも城下町が置かれたことによって発達したという長い歴史があります。
金沢市内には国の名勝地に指定されている兼六園があり、四季折々の美しい庭園風景を見ることができます。
毎年シーズンになると全国から多くの観光客が訪れ賑わいます。

石川県金沢市は、この地を舞台にした文学作品を数多く輩出し、文豪で知られる人物が多数居を構えた土地として知られています。
哲学者の西田幾多郎の記念館があります。
彼の哲学書は京大生の入門書とされていますが、難解な文章が多く、京大生であっても読み切ることができないものであります。
金沢市内には浅野川と犀川という大きな皮が流れていますが、犀川は室生犀星野菜をこの皮の名称から取ったと言われるほど石川県では有名な川です。

石川県の産業の代表的な物は、昔ながらの漁業と漆器ですね。
時代を経ても色あせる事も無く、日本の文化と美を伝えています。
石川県の漁業と言えば有名な物でホタルイカです。
食べても美味しいですが、夜の海で光るホタルイカも幻想的で心に残ります。
漆器では輪島塗が皆さんの知る所でしょう。
昔から石川県の代表的産業で職人の作る輪島塗からは、加賀百万石の幻想を漂わせてくれて、まるで歴史が止まったかの様な感覚になります。

画家について

宮本三郎
1922年 上京し川端画学校洋画部で藤島武二に師事。
1927年 「白き壺の花」で二科展に初入選
1934年 初の個展を開く。
1936年 二科会会員に推挙される。
1938年 渡欧。
1939年 第二次世界大戦の勃発に伴い帰国。
1940年 陸軍省嘱託として小磯良平等と共に中国へ従軍。
1943年 「山下、パーシバル両司令官会見図」で帝国美術院賞受賞[1]。「海軍落下傘部隊メナド奇襲」で朝日賞受賞。
1946年 金沢美術工芸専門学校講師に就任。
1947年 熊谷守一、栗原信、黒田重太郎、田村孝之介、中川紀元、鍋井克之、正宗得三郎、横井礼市と共に第二紀会を結成。
1953年 多摩美術大学教授[2]
1955年 東京教育大学非常勤講師に就任。
1966年 芸術院会員となる。
1971年 金沢美術工芸大学名誉教授に就任。
1974年 死去。


高光一也
石川県立工業学校図案絵画科卒。中村研一に師事。帝展、新文展に出品。戦後は日展に出品、1955年金沢美術工芸大学教授。
人物画、特に華やかな女性像を得意として、多くの作品を描いた。63年「収穫」で日展文部大臣賞受賞。71年日本芸術院賞受賞[2]、79年日本芸術院会員。
1986年文化功労者。仏教に関する著作もある。


鴨居玲
1941年 金沢市現在の金沢高等学校に入学。
1946年 金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。宮本三郎に師事する。
1950年 二紀会同人に推挙される。
1952年 芦屋・田中千代服装学園の講師となる。
1959年 渡仏(1958年という説もある)。
1961年 帰国。二紀会を退会する。
1964年 創作に行き詰まり、南米、パリ、ローマを渡り歩く。
1965年 帰国。
1967年 二紀会同人に推挙される。
1968年 初の個展。この時、下着デザイナーの姉・鴨居羊子を通じて知り合った小説家・司馬遼太郎と親交をもつ。
1969年 昭和会賞と安井賞を受賞。
1971年 スペイン・ラ・マンチャ地方のバルデペーニャスにアトリエを構え、制作に没頭(~74年)。
1984年 金沢美術工芸大学の非常勤講師として講義。
1985年 神戸市の自宅で排ガスにより自殺。心臓の病気と、創作に行き詰まり(この時期は自画像をひたすら描いている)、たびたび自殺未遂を繰り返した末の死であった。享年57。


塗師祥一郎
1952年 - 日展初入選[1]。
1953年 - 金沢美術工芸大学油彩専攻卒業[1]。小絲源太郎に師事[4]。光風会初入選も果たし、同会員となる[5]。
1963年 - 光風会退会の後に日洋展に参加。
1971年 - 日展にて「村」が特選[1]。
1976年 - 日展会員となる[1]。
2003年 - 日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員となる[4]。
2008年 - 旭日中綬章受章[4]。
2015年 - 埼玉県立近代美術館のリニューアルオープンを記念して4月から7月まで展覧会「未来に遺したい埼玉の風景-塗師祥一郎展」が埼玉新聞社主催で開催された。
2016年 - 従四位[6]。

寺本央輔
1976年石川県金沢市出身。
両親の影響で中学より詩集を始める。父は2005年 散文「卯辰」で母は1992年 詩集「枇杷の葉の下」で泉鏡花金沢市民文学賞を受賞している。
1999年の絵画個展をきっかけに本格的に絵画活動を開始。絵画のみならず彫刻 貼り絵 デザイン 石膏なども手がける
個性的な個展スタイルを確立し、屋外で個展を行う「sorat」空アート お寺や寺院で行う「terat」寺アート 暗闇で個展を行い
視覚以外の感覚で個展を感じる「sense art」センスアートなどがある。また画鋲で作品を作り上げる「ピンアート」や釘、針金などを
使用した作品を得意としている。
なかでも絵画作品「サンクトペテルブルグ教会」や「シャネルを着る女」「宝石の街]などがよく知られている。



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