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山形県について

山形県は、東北地方の日本海側に位置し、東京から概ね北に300km、山形新幹線で約3時間の距離にあります。
一般には、全国生産量の7割を占める「さくらんぼ」と鮮やかな四季で知られています。

夏は暑く、冬は豪雪地帯の山形県はその地域的特性から4つの地域に分けられ、 各地域ごとに異なる方言や文化が存在しています。

山形県内では、各地域が村山地方・最上地方・置賜地方・庄内地方に分類され、村山地方には県庁所在地である山形市や、将棋の駒の生産で有名な天童市、置賜地方には米沢牛で有名な米沢市があります。
特に米沢市は、江戸時代以降に減封させられた上杉氏によって治められ、城下町として栄えたこともあり、上杉景勝や上杉鷹山の名と共に全国的にも有名です。
国内で生産されるサクランボの多くは山形県産であり、佐藤錦など高い人気を誇る品種も存在するほか、ラフランスなど多くの果物の名産地でもあります。
月山・羽黒山・湯殿山で構成される出羽三山や、日本百名山の一つである蔵王などそうそうたる山々に囲まれているほか、吾妻山を水源とし日本海に注いでいる一級河川の最上川など、豊富な自然にも恵まれています。

画家について

阿部豪一

1941年:山形県に生まれる。
1966年:東京ヒルトンホテル フランネルギャラリー小品展
1967年:米国シアーズ・ロバック作品買い上げ。ヨーロッパ企画展出品(フランス・ドイツ・ノルウェー・スェーデン・デンマーク 他)六本木梅花亭ギャラリー個展
1979年:米国、ハワイ、House of Art 個展。ハワイKIKU TV 出演。
1980年:米国、ブルックリン大学グループ展
1981年:麹町、日本美術会館個展
1982年:サロン・ドートンヌ、ル・サロン出品。渋谷、ギャラリーL画業20周年記念展
1983年:渋谷、NHK放送センター個展
1984年:渋谷、橋本画廊個展。埼玉近代美術館連展出品
1985年:東京都美術館連展出品
1986年:世田谷、ギャラリーあべ個展
1987年:大和、花の画房個展。大和、つきみ野文化会館個展
1988年:町田、高原書店美術サロン個展
1989年:町田、高原書店美術サロン個展。大和、つきみ野文化会館個展(絵と音楽と朗読)
1990年:松本、IAC美術展、国際美術審議会賞(フランス)受賞。ヨーロッパスケッチ旅行(フランス・スイス・イタリア・スペイン・ポルトガル・モロッコ・シンガポール)
1991年:晴海・東京国際見本市会場、第一回東京インターナショナルアートショー(TIAS)東館にて個展。松本、IAC美術展にて、郵政大臣賞。
1992年:第一回東京ガス リビングアート・コンペテション入賞。晴海、東京国際見本市会場、第二回東京インターナショナルアートショー(TIAS)個展。ペルー美術賞展出品。大和市つきみ野に現代アート ギャラリー開設。
1993年:岐阜、白峰展にて、厚生大臣賞。オイル・エッチング画創案者として「美術年鑑」で紹介される。
1994年:第一回アカデミーオリンピアYAMATO開催
2005年:大和市中央林間に「ギャラリーあべ」を開設。大阪ポテトチップス大賞受賞。ギャラリーあべ内で「成人誕生日会」をスタート。
2006年:山形さくらんぼテレビジョン SAYスーパーニュース「山形元気大図鑑」に出演。
2007年:「連なる」作詞、相模経済新聞にコラム連載開始、国際公募アート未来展(国立新美術館)出品、阿部豪一新作展 、ミク友と・僕の仲間たち展。
2009年:テレビ神奈川「TVKニュースハーバー」に出演、やまと街中お気に入りお店大賞受賞、FMやまとでラジオ番組を開始。
2010年:やまと街中お気に入りお店大賞受賞、JCOM-TVに出演。
2012年:第百回成人誕生日会。


生田宏司

1953年、山形県鶴岡市に生まれる。千葉県立佐倉高等学校を経て多摩美術大学絵画科日本画専攻を卒業。上野泰明、加山又造、堀文子に師事。
1986年国際ミニチュア版画展グランプリ(アメリカ)、1987年カンピナス国際版画ビエンナーレ受賞(ブラジル)、1987年 - 1988年ワークスオンペーパー展買上賞(アメリカ)、1990年インタープリント国際版画美術展大賞(ソ連)
2003年フランス・フォルバック市・メディアテルクギャラリー個展(フランス)、2007年ストラスブール ジャパンフェスティバル「花」個展(フランス)、2011年第23回国際蔵書票版画ビエンナーレ展(名誉メダル賞)(ポーランド)、2013年喜多方市美術館にて個展開催・図録刊行(福島県)、2015年 パリ・サンシュルピス広場「版画の日」個展開催(フランス)など国際的に活動。


福王寺法林

1920年11月10日、米沢市に生まれる。
1927年、6歳のときに左眼を失明する。
1929年、上村廣成に師事し日本画を学ぶ。
1936年、画家を志して上京する。
1941年、召集され、中国に出征する。
1946年、復員し、院展に出展する。
1949年、作品「山村風景」が日本美術院展覧会に初入選する。
1953年、東京都三鷹市に転居し本格的に絵画制作に取り組む。
1960年、作品「北の海」が日本美術院賞・大観賞を受賞する。
1974年、幼い頃からの夢であったヒマラヤへの取材旅行を始め、これ以降、ヒマラヤを扱った作品が多くなる。
1977年、作品「ヒマラヤ連峰」で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
1984年、作品「ヒマラヤの花」で日本芸術院賞を受賞する。
1994年、日本芸術院会員。
1997年、勲三等瑞宝章受章。
1998年、文化功労者顕彰受賞。
2004年、文化勲章受章。
2004年、米沢市名誉市民顕彰受賞。
2005年、山形県名誉県民顕彰受賞。
2012年2月21日、心不全のため死去。91歳没。叙従三位


今井繁三郎

1910年2月7日、山形県東田川郡羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。
1927年
3月、山形県立鶴岡中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、画家を志し上京する。
芝絵画研究所に入所、山本鼎・山崎省三・木村荘八らに指導を受ける。
1930年、尾口勇に油絵の古典技法を学ぶ。
1936年、鷲田新太の誘いにより美之国社に入社。美術雑誌「美之国」の編集に携わる。
1937年、自由美術家協会創立に参加。
1941年
東北生活美術協会を結成。銀座資生堂(現:資生堂ギャラリー)にて展覧会を開催。
10月、美之国社の客員となり、海軍省の従軍画家として南方に赴く。
1942年
5月、帰国する。銀座資生堂にて展覧会を開催。
7月、満州国に赴き当時の奉天・新京・ハルピン熱河を写生旅行し9月に帰国する。
1943年、銀座村松画廊にて「海南島風物画展」開催。
7月、台湾に赴き、台北・高雄にて個展開催。全島を巡る。
10月、沖縄沖にて米艦の襲撃を受けるも、僚船に助けられて帰国。
1945年、敗戦、東京を離れて郷里に帰り、山野を拓いて家族と共に住み、7年間ランプ生活を体験する。
1946年、日動画廊にて旧自由美術家協会の会員展を開催。
1947年、毎日新聞主催美術団体連合展を東京都美術館で開催。
1956年、山形県美術連盟運営委員長に就任。
1957年、白甕社委員長に就任。
1964年10月、欧州に赴き、パリに滞在する。
1975年、「(株)ブルー」の取締役に就任。
1976年、美術団体「光陽会」の委員となる。
1979年11月、齋藤茂吉文化賞受賞。
1981年、委員長を務める白甕社がサントリー地域文化賞を受賞。
1983年5月、光陽会文部大臣奨励賞受賞。
1989年、美術団体「光陽会」の委員長に就任。
1990年、羽黒町泉野の自宅庭に今井繁三郎美術収蔵館を設立。
1996年11月、鶴岡市特別文化功績賞を受賞。
1998年11月 長崎県立美術博物館にて回顧展開催。
1999年10月、O美術館(東京都)にて90歳展開催。
2000年、山形美術館にて2000年記念展を開催。アート・CON(混)結成、文藝春秋画廊にて開催。
2001年、 羽黒町名誉町民となる。
2002年1月9日、死去。享年91


今野忠一

山形県天童市出身の日本画家。埼玉県在住。故郷の蔵王や月山を始め、多くの山岳や巨木を題材に、前景から背景まで分厚く塗る重厚な作風で知られた。
戦前から戦後にかけて活躍した、児玉希望や鄕倉千靱ら日本画の巨匠たちに師事した。愛知県立芸術大学で教授を務めたほか、東北芸術工科大学の名誉教授も務め、彼の主宰した画塾からは多くの日本画家が輩出された。また、日本美術院で評議員、常務理事も務め、院展で大賞はじめ数多くの賞を受賞してきた日本画界の重鎮であった。
その他、三島由紀夫著『金閣寺』の装丁を務めている。
生涯作品の多くは出生地の山形県天童市にある天童市美術館に収蔵されているが、日本の現代作家としては唯一、イギリス・ロンドンの大英博物館に”早春の響き”が収蔵されている。


小松均

1902年(明治35年)1月19日、山形県北村山郡大石田町豊田に生まれた。父親は曹洞宗延命寺の住職。生後1年ほどで父親を亡くすと、北村山郡大高根村(現・村山市白鳥)にある母方の伯父の家に身を寄せ、16歳までここで暮らした。8歳の時に母親が再婚したが、均はその後も伯父の家で暮らしている。1914年(大正3年)には白鳥小学校を卒業し、1916年(大正5年)には富並尋常高等小学校を卒業した。
1919年(大正8年)に上京し、神奈川県川崎市の洋服店、東京・神田の書店、故郷の下駄屋などで働いた。1920年(大正9年)には再び上京し、万玄社に勤めて新聞配達をするかたわらで、小石川の川端画学校に入学して岡村葵園に学んだ。1923年(大正12年)には中央美術展で入選、1924年(大正13年)には国画創作協会展で入選したことで土田麦僊に見初められ、1925年(大正14年)には京都・東山に転居した。京都では麦僊の山南塾に入塾したほか、東山洋画研究所でも学び、宮本三郎や橋本徹太郎と知りあっている。
1928年(昭和2年)には愛宕郡大原村(現・京都市左京区大原)に転居。その後国画創作協会の会友となったが、1928年(昭和3年)に同会日本画部が解散すると新樹社に参加した。1929年(昭和4年)には帝展で初入選し、1930年(昭和5年)には帝展で特選となった。1934年(昭和9年)には福田豊四郎や吉岡堅二らとともに山樹社を結成し、1937年(昭和12年)には津田青楓らと墨人会を結成。
1946年(昭和21年)の院展では日本美術院賞を受賞して同人に推挙され、1965年(昭和40年)の院展では文部大臣賞を受賞した。1975年(昭和50年)には故郷の最上川を題材とした連作で芸術選奨文部大臣賞を受賞し、1979年(昭和54年)の院展では内閣総理大臣賞を受賞した。1980年(昭和55年)には出生地の大石田町の名誉町民となり、1981年(昭和56年)には16歳まで過ごした村山市の名誉市民となった。
1989年(平成元年)8月23日に大原の自宅で死去。87歳だった。没後の1990年(平成2年)には旧宅に小松均美術館が開館した。門には自筆の「萬霊報恩郷」の額が掲げられている。

本間国生

明治24年(1891年)3月24日、米沢藩お抱えの能役者の子として、米沢市越後番匠町に生まれる。
明治43年(1910年)、白馬会展に「北国の茶屋」を出品して注目を集める。
明治45年(1912年)、10月15日~11月3日、ヒュウザン会第1回展覧会に「せんだく」を出品する。
大正初年(1912年)、岡本一平、北澤楽天等と共に東京漫画社をおこし雑誌『漫画』を主宰する。
昭和16年(1941年)、朝鮮半島の風景画を50余点出品した第1回個展を開催。作品集「朝鮮画観」を出版する。
昭和18年(1943年)、満州の風景画を20点出品した第2回個展を開催。
昭和19年(1944年)、作品集「満州画観」を出版する。
昭和48年(1973年)、「水墨日本風物抄」の原画62点を米沢市上杉博物館に寄贈する。
12月30日、東京の自宅で死去する。享年82。
昭和49年(1974年)、政府が紺綬褒章と木杯一組台を贈る。上杉博物館で「本間国生遺作展」が開催される。


桜井浜江

1908年(明治41年) 山形市宮町に生まれる。
1927年(昭和2年) 山形第一高等女学校(後の山形西高)を卒業し上京する。
1928年(昭和3年) 1930年まで協会洋画研究所に学ぶ。
1931年(昭和6年) 独立美術協会展に初回から入選する。
1934年(昭和9年) 東京都杉並区阿佐ヶ谷に住む。太宰治、啓一雄、外村繁、高橋幸雄、緑川貢、井伏鱒二ら、中央線沿線に住む文化人の溜まり場となる[1]。
1939年(昭和14年) 東京都三鷹市下連雀に転居する。
1940年(昭和15年) この頃、夫の秋沢三郎と離婚する。
1947年(昭和22年) 三岸節子らと女流画家協会を設立する。
1995年(平成19年) 青梅市立美術館にて「桜井浜江画集-65年の軌跡」開催する。
2007年(平成19年)2月12日 東京都三鷹市の病院で死去する。享年98。
2008年(平成20年)3月29日 (財)山形美術館にて「生誕100年記念・桜井浜江展」が開催される。
2008年(平成20年)10月4日 一宮市三岸節子記念美術館にて「生誕100年記念・桜井浜江展」が開催される。


阿部豪一

1941年:山形県に生まれる。
1966年:東京ヒルトンホテル フランネルギャラリー小品展
1967年:米国シアーズ・ロバック作品買い上げ。ヨーロッパ企画展出品(フランス・ドイツ・ノルウェー・スェーデン・デンマーク 他)六本木梅花亭ギャラリー個展
1979年:米国、ハワイ、House of Art 個展。ハワイKIKU TV 出演。
1980年:米国、ブルックリン大学グループ展
1981年:麹町、日本美術会館個展
1982年:サロン・ドートンヌ、ル・サロン出品。渋谷、ギャラリーL画業20周年記念展
1983年:渋谷、NHK放送センター個展
1984年:渋谷、橋本画廊個展。埼玉近代美術館連展出品
1985年:東京都美術館連展出品
1986年:世田谷、ギャラリーあべ個展
1987年:大和、花の画房個展。大和、つきみ野文化会館個展
1988年:町田、高原書店美術サロン個展
1989年:町田、高原書店美術サロン個展。大和、つきみ野文化会館個展(絵と音楽と朗読)
1990年:松本、IAC美術展、国際美術審議会賞(フランス)受賞。ヨーロッパスケッチ旅行(フランス・スイス・イタリア・スペイン・ポルトガル・モロッコ・シンガポール)
1991年:晴海・東京国際見本市会場、第一回東京インターナショナルアートショー(TIAS)東館にて個展。松本、IAC美術展にて、郵政大臣賞。
1992年:第一回東京ガス リビングアート・コンペテション入賞。晴海、東京国際見本市会場、第二回東京インターナショナルアートショー(TIAS)個展。ペルー美術賞展出品。大和市つきみ野に現代アート ギャラリー開設。
1993年:岐阜、白峰展にて、厚生大臣賞。オイル・エッチング画創案者として「美術年鑑」で紹介される。
1994年:第一回アカデミーオリンピアYAMATO開催
2005年:大和市中央林間に「ギャラリーあべ」を開設。大阪ポテトチップス大賞受賞。ギャラリーあべ内で「成人誕生日会」をスタート。
2006年:山形さくらんぼテレビジョン SAYスーパーニュース「山形元気大図鑑」に出演。
2007年:「連なる」作詞、相模経済新聞にコラム連載開始、国際公募アート未来展(国立新美術館)出品、阿部豪一新作展 、ミク友と・僕の仲間たち展。
2009年:テレビ神奈川「TVKニュースハーバー」に出演、やまと街中お気に入りお店大賞受賞、FMやまとでラジオ番組を開始。
2010年:やまと街中お気に入りお店大賞受賞、JCOM-TVに出演。
2012年:第百回成人誕生日会。


佐藤真生

1990年
個展「夕映えサーカス」(目黒区美術館区民ギャラリー / 東京)
第4回多摩秀作美術展 準大賞(青梅市立美術館 / 東京)
第8回上野の森美術館絵画大賞展 佳作賞(上野の森美術館 / 東京)
1991年
ART EXPO展(ニューヨーク)
1992年
日本の絵画展(マンリー美術館 / オーストラリア)
1993年
安井賞展 賞候補(池袋西武 / 東京)
1995年
「未来のノスタルジー展」(山形美術館 / 山形)
第4回前田寛治大賞展(鳥取県立倉吉博物館 / 鳥取)
1997年
「佐藤真生展 潭海への招待」(本間美術館 / 山形)
1998年
「両洋の眼展」(日本橋三越 / 東京 他)
「李庚・大野廣子・佐藤真生 展」(本間美術館 / 山形)
2006年
「作家の視展2006」(上野の森美術館 / 東京)
2008年
「最上川展」(本間美術館 / 山形)
2013年
「佐藤真生展 _HOME 家_ 」(武蔵野市立吉祥寺美術館 / 東京)
2016年
「佐藤真生の世界展 -間(Ma)- 」(公益財団法人酒田市美術館 / 山形)
2018年
  ・「YUME-KASAFUKU Project in INSEA 2018」開催( アアルト大学/ フィンランド)

  ・「YUME-KASAFUKU Project in NZ」開催( オレワ/ ニュージーランド)
2019年
  ・「コンパスヨコハマ2019」(みなとみらい 主催:公益財団法人横浜市芸術文化振興財団 共催:横浜市/神奈川)のアートディレクション担当

  ・「YUME-KASAFUKU Project in Poland」開催(ワルシャワ/ポーランド) 日本-ポーランド国交樹立100周年 芸術文化交流事業
2020年
  ・「アートマルシェ2020」「いいいろいろいろ展」(酒田市 主催:酒田市 酒田市/山形)のアートディレクション担当

  ・「あぶみあ~と 展」(旧鐙屋/酒田市 主催:酒田市教育委員会)の企画・アートディレクション (酒田市/ 山形)

奥山儀八郎

1907年山形県西村山郡寒河江町(現・寒河江市)に生まれる。子供の頃から木版画に親しみを持ち、1928年に日本創作版画協会展に初入選を果たした。
同年その技量を買われて日本毛織宣伝部の広告作家として数々の商業広告を手がけ、後に大高重治とともにニッカウヰスキーのポスター・ウイスキーラベルのデザインも制作した。1936年に浮世絵研究家の石井研堂に師事し、伝統的技法の復興に注力した。
また、自らのコーヒー好きが高じて歴史等を研究しコーヒーの多様な呼び方を表した木版画「かうひい異名熟字一覧」を制作した。
金田信武の株式会社金田商店の代表的作家として活躍した後、1949年から1952年、千代田区神田小川町で自ら日本版画研究所を運営し、新版画といわれる浮世絵と同様の彫師、摺師による分業制作の木版画を創り始める。
1954年には千葉県松戸市下矢切に自宅と工房を開設、奥山儀八郎版画工房と称して、住居周辺を題材にした作品を制作した。 1965年には伊藤左千夫の小説を記念にした野菊の墓文学碑を自宅近くの西蓮寺に建てることの発起人となった。西連寺の一室には彼の版画が10数点展示されている。
1981年10月に74歳で死去。1998年遺族がイギリス王室のビクトリア・アンド・アルバート美術館から依頼を受け、ニッケのポスターを出展した。

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