画家一覧

画家一覧

元永定正(もとなが さだまさ)

1922年~2011年。三重県伊賀市出身。画家、絵本作家
妻はグラフィック・デザイナー、絵本作家の中辻悦子。娘はジュエリーデザイナーの元永紅子。

昭和30年具体美術協会会員となり,吉原治良に師事。
58年日本芸術大賞。
アンフォルメル作家として注目される。
近年は独自の色彩によるユーモア,ときにエロチックな感覚の作品を発表。
「もけらもけら」(山下洋輔文)など絵本も手がける。
平成19年絵本の原画「いろ いきてる!」で東郷青児美術館大賞。

煙や水を使い足で描く等の独創的な素材の利用法と先駆的な技法によって、
史上類の無い絵画の定義が大きく広がりました。



金山明(かなやま あきら)

1924~2006年。

日本を代表するモダニスト。
1947年に多摩美術大学を中退して大阪市立美術研究所に学術。
極度に絵の要素を切り詰めた禁欲的なドローイングや絵画を展開。
「具体」以降は暫く発表活動を休止した後、1990年頃から音楽の視覚化を試みた平面のシリーズを発表。
同時期に太陽と地球の距離や銀河と地球との相関を図形や数値で表わす絵画等を発表。

金山作品の特徴として「見えないもの」への追求と個人的・身体的要素を極力排し、作品の自律性を保持が挙げられます。



今井俊満(いまい としみつ)

1928年~2002年
日本の洋画家。
アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。

1948年 第12回新制作派協会展で入賞。
1952年 第1回フランス政府給費留学生として渡仏。
1962年 現代日本美術展優秀賞受賞。
1979年 紺綬褒章受章。
1983年 フランスの芸術文化勲章オフィシエ受章。
1995年 レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章。
1997年 フランス芸術文化勲章コマンドール受章。
2008年には文部大臣表彰。

サム・フランシス、ミッシェル・タピエらと交流しアンフォルメル運動に参加するとともにこれを日本に紹介。
重厚なマチエールを繊細な線で覆う独自の非具象絵画を確立。
1983年頃から日本の伝統美を蘇生させる「花鳥風月」シリーズを発表。
1990年代後半に「広島」や「長崎」などの戦禍の図を発表。



宮島達男(みやじま たつお)

1957年~
日本の現代美術家

1984年 東京藝術大学美術学部油画科を卒業。
1986年 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
1987年 初めてLEDの作品を発表。
1990年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの招待によりニューヨークに転居。
1990年 ドイツ文化省芸術家留学基金留学生としてベルリンに転居。
1992年 茨城県守谷市に転居、
1993年 カルティエ現代美術財団アーティスト・イン・レジデンスプログラムによりパリに滞在。
2006年 東北芸術工科大学副学長に就任。
2014年 京都造形芸術大学副学長も兼任。
2016年両校を退職。
現在は両校の客員教授。

油絵では自分の言いたいことを表現できないもどかしさがあると感じ、現在においても
作品制作のテーマとなっている「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」の3つのコンセプトを形にする手段を模索の中でLEDと出会う。

「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家。
コンピュータグラフィックスやビデオなどを使用した作品も手掛けている。



村上隆(むらかみ たかし)

1962年~
日本を代表する現代美術家、ポップアーティスト

1962年生まれ。
東京都板橋区出身。
本郷高等学校経て、2浪ののち、1986年 東京藝術大学美術学部日本画科卒業。
1988年 同大学大学院美術研究科修士課程修了。
1993年 同博士後期課程修了。
1994年 ロックフェラー財団のACCグラントを得て、「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在。 
1998年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授に就任。
2001年 アメリカロサンゼルスで、展覧会『SUPER FLAT』展が開催され全米で話題になる。
2005年 ニューヨークで個展 『リトルボーイ展』を開催。
2006年 リトルボーイ展はキュレーターに送られる世界で唯一の賞であるニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞。
2005年 PHS会社・ウィルコムのCMに出演。
2006年 「リトルボーイ展」の成果として芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。
2008年 米Time誌の"The World's Most Influential People - The 2008 TIME 100"(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)に選出。
2008年 GQ MEN OF THE YEAR 2008を受賞。

2010年 『クール・ジャパノロジーの可能性』では、「アート界における"クール・ジャパン"の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」と題した講演。
講演では、日本のマンガやアニメを生み出した日本自体を肯定的に解釈し、それらの前提のもと、今日ではクール・ジャパンと呼ばれている観点を日本人作家作品によっていかに西洋アート界に体現させていけるか、とのテーマについて初期から漸進的に取り組んできた軌跡を発表。
2016年 「村上隆の五百羅漢図展」の成果として平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

有限会社カイカイキキ2001年に設立された村上隆が代表取締役を務める会社を通じて、若手芸術家の支援などを行う。

アニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。
デビュー当初はタミヤや加瀬大周等をモチーフにした作品を発表していた。
2003年 ニューヨークのオークション会社・サザビーズにて等身大フィギュア『Miss Ko2』が50万ドル(約5,800万円)で落札されて話題になる。
2003年 村上がルイ・ヴィトンの依頼でデザインした鞄が3月1日に発売。
2003年 海洋堂とのコラボレーションにより、自らのフィギュア作品をわずか350円の小さなフィギュアにしてナンバリングされた証明書を添付したアート食玩『村上隆のSUPER FLAT MUSEUM~コンビニ エディション~』を発売したことで話題。
2004年 ナルミヤ・インターナショナルによるキャラクター、『マウスくん』が、村上のキャラクター、『DOB君』に酷似しているとして、同社を著作権侵害で提訴。
2006年 和解が成立して4,000万円の和解金をナルミヤ・インターナショナルが支払う。
2008年 サザビーズにて等身大フィギュア『My Lonesome CowBoy』が1516万ドルで落札され話題となる。
2010年 フランス・ベルサイユ宮殿で村上の作品展『Murakami Versailles』が開催。



絹谷幸二(きぬたに こうじ)

1943年~
日本の洋画家。日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授、日本美術家連盟理事。

1966年 東京芸術大学美術学部油画科卒業制作展≪蒼の間隙≫で大橋賞を受賞。
1966年 独立美術協会第34回展で独立賞受賞。
1967年 独立美術協会第35回展で独立賞受賞。
1970年 新鋭選抜展に≪記憶の跡≫を選抜出品、優秀賞受賞。
1970年 ベヴィラックア・ラ・マーサ財団主催の展覧会でラ・マーサ賞受賞。
1974年 第17回安井賞展にて≪アンセルモ氏の肖像≫で安井賞受賞。
1977年 ≪アンジェラと蒼い空II≫が昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品に選出。
1978年 イタリア・マニフェスト展にてマニフェスト賞受賞。
1983年 第2回美術文化振興協会賞を受賞。
1985年 第2回日本青年画家展に≪光ふる時≫を出品、優秀賞受賞。
1987年 第4回日本青年画家展に≪時の天使≫を出品、優秀賞受賞、東京芸術大学講師。
1987年 第19回日本芸術大賞受賞。
1988年 第5回日本青年画家展に≪涙するカトリーヌ≫を出品、優秀賞受賞。
1989年 第30回毎日芸術賞受賞、東京芸大助教授。
1993年 東京芸大美術学部教授。
2001年 ≪蒼穹夢譚≫ にて第57回日本芸術院賞受賞、芸術院会員となる。
2009年 絹谷幸二賞が毎日新聞主催で創設される。
2010年 東京芸術大学名誉教授を授与。大阪芸術大学教授に就任。
2014年 文化功労者。

アフレスコ壁画技法の国内第一人者。
空の青を背景に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴的な作品が多い。
代表作に『長野冬季オリンピック公式ポスター』・『アンセルモ氏の肖像』・
『ダリア・ガナッシィーニの肖像』・『アンジェラと蒼い空II』等がある。



中島千波(ナカジマ チナミ)

1945年~


1971年  東京藝術大学大学院修了
1979年  第5回山種美術館賞(山種美術館)「衆生・視」優秀賞受賞
1993年  中島千波展(北澤美術館)
1994年  東京藝術大学美術学部助教授に就任
1994年 鎌倉鶴岡八幡宮 斉館貴賓室床の間画 孔雀図制作
1995年  中島千波の世界展(パリ・三越エトワール)
1995年 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅」が完成
1998年  日本美術院退院 無所属となる
2000年  東京藝術大学美術学部デザイン科教授に就任
2004年  成田山東京別院深川不動堂の内仏殿大日堂の格天井絵が完成
2005年  還暦記念「中島千波の世界展」開催
2010年 中島千波の花菖蒲の世界展〈平成花菖蒲〉

卓越したデッサン力で花鳥画も得意とし、桜、牡丹は代名詞の花となっている。
「本物より本物らしく描く」という花々は、どの作品も生き生きとしている。



小泉淳作(こいずみ じゅんさく)

1924年~ 2012年
日本画家、陶芸家。

特定の画壇に属さない独自の画風が特徴。

慶応大文学部中退し 東京美術学校(現・東京芸大)に入学
50代後半になって 水墨画に開眼し 独自の世界を開いた
鎌倉の建長寺 京都の建仁寺に 天井画を制作
2002年 建長寺創建750年記念事業として雲龍図を作成。
2010年 東大寺本坊のふすま絵を完成させる。



平山郁夫(ひらやま いくお)

1930〜2009年
日本画家。

1973年  東京藝術大学美術学部教授に就任。
1988年  ユネスコ親善大使に就任。
1989年  東京藝術大学学長に就任。1995年まで務める。
1992年  世界平和アピール七人委員会委員に就任。2005年まで務める。
1992年  日中友好協会会長に就任。2008年まで務める。
1992年  早稲田大学より名誉博士号贈呈。
1994年  文化財保護振興財団理事長(現・文化財保護・芸術研究助成財団) に就任。
1996年  日本育英会会長就任。2001年まで務める。
2001年  再び東京藝術大学学長に就任し、2005年まで務める。
2005年  日韓友情年日本側実行委員長に就任。

アジアで人気が高く特に中国政府から評価が高く日中友好協会会長も務め、
「文化交流貢献賞」が贈られている。
平山郁夫は作品制作活動のかたわら、東京芸術大学学長として後進の指導にあたりユネスコ親善大使、日中友好協会全国本部会長、芸術研究振興財団と文化財保護振興財団の
各理事長など、国際文化交流にかかわる要職をつとめ、世界の文化財保護を呼びかける
講演会、シンポジウムへの参画など精力的な活動を行っていた。



菱田春草(ひしだ しゅんそう)

1874年~1911年
日本画家。

1890年 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
東京美術学校にて、岡倉天心や橋本雅邦の指導を受ける。

1903年 大観とともにインドへ渡航。
1904年 岡倉、大観とともにアメリカへ渡り、ヨーロッパを経て翌年帰国した。
1906年 日本美術院の五浦に移転とともに同地へ移り住み大観、観山らとともに制作をした。
1908年 春草は眼病(網膜炎)治療のため、東京へ戻り代々木に住む。
代表作『落葉』は、当時はまだ郊外だった代々木近辺の雑木林がモチーフになっている。1911年 36歳 腎臓疾患(腎臓炎)のため死去した。

美術学校卒業後に心が新しく発足させた日本美術院の正員となり、日本の伝統絵画に西洋絵画の技法を取り込み、新たな日本絵画「日本画」の創造に邁進しました。
その後、1906年より五浦に移転とともに同地へ移り住み大観、観山らとともに制作しておりましたが、受注が無く生活が困窮していた時期となります。
その後第1回文展に出品し好評価を得て、これから世間の評価もうなぎのぼりになろうかとしている時に腎臓病による失明の危機に見舞われて長い療養生活後に代表作の一つである落葉・黒き猫等を発表。



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