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奈良県にお住いの方へ
美術品・絵画の買取は当店にお任せください。

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言葉の通り、配送料、査定料はもちろん無料ですが、それだけではありません。
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奈良県について

奈良県の気候は内陸性気候で気温の年較差や日較差の激しい地域となり、奈良県内は盆地地形のため夏場はかなり蒸し暑くなります。
また、冬の寒さも厳しく北部山岳部は3月ごろまで冷え込みが続き、遅霜の影響を受けやすくなっています。
内陸部のため、台風の影響を受けることは少ないですが、台風が紀伊半島を通過するときは、その地形のため大きな被害を受けやすくなります。

奈良県はどのような所なのかというと、昔の都があった場所で、ここからすぐに大阪や兵庫や京都などにもいくことができます。
奈良県には大仏や観音像や寺などの歴史的なものが沢山あるので歴史が好きな方は観にいって楽しいですし、歴史を知らない方でも楽しむことができるでしょう。

この県は観光はどのようなところがあるのかというのをネットで見ることができますし、観光案内をしている所の利用をすると何も知らなくても利用をすることができます。
奈良県は他にも鹿を見ることができる公園もあります。
この公園ではしかと触れ合うことができますし、この鹿に近くで売っている鹿せんべいを餌としてあげたりして楽しむことができます。

画家について

・絹谷幸二
奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。

小学校一年生の頃から油絵を習い始める。芸大卒業後、1971年にイタリアへ留学、ヴェネツィアでアフレスコ古典画(フレスコ画のことで、本人は必ずアフレスコと〝ア〟をつける)の技法を研究する。1974年安井賞展安井賞受賞。その後メキシコ留学などを経て、1993年東京芸術大学教授に就任、後進を育てる。また、NHKの日曜美術館によく出演する。アフレスコ絵画技法の地方公演なども行っている。2000年に芸術院会員となる。新作個展は様々な全国有名百貨店にて開催されている。

2008年に35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社主催にて創設。2010年に東京芸術大学名誉教授に就任。

・山本集
浪華商業高校では野球部に在籍。チームメイトに張本勲がいた。

卒業後はいくつもの職を経て板前に転身。僅か1週間の修行期間ながら店長を任された。1965年、智辯学園高校の野球部の初代監督に就任。しごきで選手を鍛えわずか1年で強豪チームを作り上げるが、行き過ぎた暴力指導が問題になり1年半で監督の職を追われる。山本が退任した年の2年後に、智辯学園は甲子園に初出場する。

1967年、関西のヤクザ組織諏訪一家系淡路会に入り頭角を表し、1970年30歳の時に山本組を旗揚げ、組長を襲名。のちに諏訪一家の若頭補佐に昇格、 関西の武闘派として名を馳せた。しかし、企業化してゆくヤクザの組織に身の置き所を失い、50歳直前にして、浪商野球部で同期である実業家から諭され、1989年に山本組を解散しヤクザの世界から足を洗い、大好きだった富士山等を題材とした絵を多く描く。

代表作『雄渾』は関西国際空港の正面玄関に展示されている。

2003年から映画の賞『DVシネマ大賞』(DVはデジタルビデオの略)をプロデュースしている。同年の第1回DVシネマ大賞を田代まさし監督、大学中庸脚本の『実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停』が受賞した。

2007年、毎日新聞の元記者が国民新党の糸川正晃衆議院議員とのやりとりを糸川に無断でICレコーダーで秘密録音し、第三者に受け渡していた問題で、その録音テープを渡した人物として毎日新聞に実名で報道された。

2011年12月16日、膀胱癌により死去。71歳歿。

・井上武吉
1930年、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)に生まれ、1951年に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻科に入学、同年には第15回自由美術家協会展で初入選した。1953年にも第17回自由美術家協会展で入選し、1955年に武蔵野美術学校彫刻科を卒業した。
1962年 - 第5回現代日本美術展で優秀賞を受賞、更に7、8、9回でも優秀賞。翌年には第7回日本国際美術展で優秀賞受賞、次回展でも同賞を受賞する。
1965年 - 現代日本彫刻展に第1回から参加。
1967年 - 靖国神社無名戦士のための記念碑「慰霊の泉」を制作。
1968年 - 第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大原美術館賞を受賞。同展第2、第3回展でも神戸市教育委員会賞を受賞。
1969年 - 箱根 彫刻の森美術館の設計を担当する。
1975年 - 池田20世紀美術館の設計を担当する。
1977年 - 海外のベルリン美術アカデミーなどで個展を開催。
1978年 - 国立ベルリン美術学校客員教授就任。
1979年 - 第1回ヘンリー・ムーア大賞展・優秀賞受賞。
1981年 - ドイツのノイエギャラリーにて個展、その後デンマークで巡回個展。
1986年 - 紫綬褒章 受勲。

平和モニュメント
1991年 - 伊丹市地下空間「my sky hole 91-4 ITAMI」と平和モニュメント(荒牧バラ公園)設置、 第22回中原悌二郎賞受賞。
1992年 - 第17回吉田五十八賞を受賞した。
1995年 - 第45回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1997年 - 逝去。享年67
1997年9月26日、急性心筋梗塞によって横浜市内の病院で死去した。67歳だった。

・東樋口徹
両親の故郷である奈良県で生まれ、京都市で育つ。父は京都大学工学部の助手(当時)、母は元高校教師であり画家である。いわゆる芸術一家であり、幼い頃から美術に興味を持つ。2000年に東京藝術大学に入学し、絵画を学ぶ。2004年に大学卒業後、同大学大学院修士課程に進み、版画を学ぶ。博士課程にも進んだが中退し、画家として活動している。 現在、東京藝術大学の講師として活躍する傍ら、日本国内外で展覧会を開くなど、活動の範囲は広い。

なお、東樋口の実家は現在でも烏丸に在る。東樋口が生まれた当時、助手だった父親は数年後助教授になり、2001年までは京大の教員として建築を教えていた。現在は鳥取県鳥取市の大学教授であり、京都を拠点にして田中勝や三野徹らと共に環境学者としても活躍している。

一卵性双生児であり、兄は九州大学工学部に進学した。大学院修士課程時代には久永真悟と共に福岡市で学術発表を行った。

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