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中野区について

旧東多摩郡の東半にあたる。東京23区の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角に位置する。東西に鉄道が数多く通り、渋谷区・新宿区・豊島区など大繁華街を有する区とも隣接しており、バスも渋谷駅・新宿駅・池袋駅から区内を結ぶ路線があるなど利便性が高い。

産業は、江戸期には畑作を中心とする近郊農業と製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年の関東大震災以降は浅草から新井薬師周辺へ寺院の移転が始まり、住宅地化も急速に進んだ。戦前は東中野1丁目・2丁目界隈は帝国軍人の街として知られていた。昭和40年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工業化もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はない。その他商業、オフィス街としての発展は第二次世界大戦以降それなりにあったが、道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。明治以降、都心から移転してきた寺が多く、区に隣接する落合斎場との相乗効果もあって葬祭関連の産業もみられる。中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画・アニメーション製作は、隣接する杉並区と並んで盛んである。近年、中野坂上地区の再開発により超高層ビルも建ち、コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきている。2012年には中野駅北口周辺(警察学校跡地)における再開発地域「中野四季の都市(なかのしきのまち)」が街びらきした。「囲町(かこいちょう)」「なかの新都心」などと呼ばれることがある。また中野坂上は「新宿副都心」と呼ばれている。

人口密度は20,479.15人/km2(2015年4月1日推計)で日本で第2位。なお、1位は東京都豊島区22,569.41人/km2。市では埼玉県蕨市13,986.69人/km2が最高。

2012年4月1日現在、道路率は12.8%で23区中21位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位と、道路都市基盤が脆弱なのが中野区の特徴である。また、一人当たりの公園面積率は2012年4月1日現在1.33%で、23区中22位である。大きな川はなく、公園や緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。

2005年に夜間人口(居住者)は310,392人であるが、昼間人口は285,636人で昼は夜の0.920倍の人口になる。都心区では夜に比べ昼の人口が極端に増えるが、住宅地が多くオフィス街が少ない中野区では昼は人口が減少する。

画家について

・秋元清弘
大正11(1922)年10月3目、現在の東京都中野区本町に生まれ、昭和15(1940)年東京府立第六中学校を卒業、東京美術学校油画科に入学、田辺至に師事した。同19年に同学校卒業。戦後は、同23年から高校の美術教師をしながら、創作活動をつづけ、同30年の東光展にて奨励賞をうけ、同32年同会会員となった。また、同31年の第12回日展に「海辺」が初入選、以後毎回出品をつづけ、同40年の第8回日展では「室内」が特選となり、同46年の改組第3回展でも「青い服」が再び特選となった。以後日展には、無鑑査、委嘱出品をつづけ、同55年に会員となった。平成6(1994)年に日展評議員となった。
1995年呼吸不全のため東京都新宿区の慶応病院で死去した。享年73。

・遠藤彰子
日本の洋画家。暗緑色を基調とした背景に、複数の視点からなる建物、踊り場、広場などがあり、そこに多数の人物や動物が描かれ、全体として神秘的な印象を受けるような作品が特徴とされる。

東京都中野区出身。武蔵野美術短期大学油絵学科卒。武蔵野美術大学油絵学科教授。

1969年- 武蔵野美術短期大学美術科卒業
1972年‐女流画家協会展
1977年‐紀伊国屋画廊にて個展
1978年‐昭和会展・林武賞受賞
1980年‐女流画家協会賞、宮本賞を受賞。
1986年‐安井賞展・安井賞受賞「遠い日」
1986年~1987年:文化庁・芸術家在外派遣研修
1990年‐日本秀作美術展出品
1995年‐日本橋三越本店にて個展
1996年‐武蔵野美術大学油絵学科助教授に就任
1999年- 武蔵野美術大学造形学部油絵学科教授
2004年‐府中市美術館にて「力強き生命の詩」 他受賞、著書多数。
2007年- 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2014年- 紫綬褒章受章。
2018年- 武蔵野美術大学名誉教授

・田村一男
東京生まれ。高等小学校卒。東京市電気局や新聞社に勤務。その後1924年洋風額縁の先駆者である長尾建吉の磯谷商店に勤めながら本郷絵画研究所に入所、岡田三郎助に師事。1928年第9回帝展に「赤山は午後」が初入選。1931年より光風会展に出品。1940年光風会会員。1942年昭和洋画奨励賞受賞。1946年第2回日展に「高原初秋」特選。1950年第6回日展審査員を勤める。以後歴任。1954-55年渡欧。1959年第2回新日展で「高層湿地」が文部大臣賞。1963年「梅雨高原」が日本芸術院賞受賞。1969年日展理事。以後日展参事を勤め、その後日展顧問になる。1980年日本芸術院会員、1981年光風会理事長を勤める。1992年文化功労者。

松本市美術館の二階には「田村一男記念展示室」があり、アトリエが再現され、画材道具や作品が常設されている。

・平松礼二
東京都中野区出身。愛知県立旭丘高等学校美術科、愛知大学法経学部卒業。多摩美術大学教授、了徳寺大学学長を歴任。横山操に私淑し、1960年より青龍社展に出品。岩彩、箔、墨、コラージュ等、多彩な技法を駆使した21世紀を代表する日本画家のひとりである。2000年から2010年まで「文藝春秋」の表紙画を担当。

映画監督の小栗康平と交友があり、映画『眠る男』(1996年公開)の制作に参加したこと(絵画を担当)から、1998年に群馬県中之条町に「吾妻美学校」を設立。その後、2006年に神奈川県湯河原町の町立湯河原美術館に平松礼二館が設置されている。

・三岸黄太郎
1930  東京生まれ
1953  銀座・兜画廊で初個展開催
1953  私費留学生として渡仏、
    2年間フランス各地を巡る('55帰国)
1953  新樹会展に出品('68まで)
1956  新樹会会員
1958  安井賞候補新人展に出品('59、'60)
1963  国際形象展に招待出品
1966  昭和会展に招待出品('67、'68)
1968  一家あげて渡仏、南仏カーニュに居住
1978  パリ日動画廊、日本橋三越で個展以後、
    パリ、日本の日動画廊で個展
2009  逝去
2010  追悼展(高輪画廊/銀座)
    大丸(札幌)にて展覧会
2011  HOKUBU記念絵画館(札幌)個展
    沼津信用金庫ストリートギャラリー(沼津)個展
2012  北海道立三岸好太郎美術館(札幌)、
    一宮市三岸節子記念美術館(一宮)にて展覧会

・山本文彦
1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。

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