大学別-芸術家

著名な芸術家-大学一覧

多摩美術大学 著名な卒業生

照屋勇賢
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
沖縄県出身の美術家。ニューヨークとベルリン拠点。
1996年、多摩美術大学油絵科卒業。2001年、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ修士課程修了後、ニューヨークを拠点に活動を続けている。 照屋は、日常生活に存在するオブジェを微細にずらすことにより、通常のものと異なる世界を生み出す。
1996 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
1999 メリーランド・インスティチュート・カレッジ・オブ・アート、ポストバチュラープログラム終了
2001 スクール・オブ・ビジュアルアーツMFA終了
代表作
告知―森
結い You-I
Heroes
岡田裕子
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
東京都生まれ。田園調布雙葉学園を経て、1993年(平成5年)に多摩美術大学を卒業し、翌年には同大学研究生を修了。 2001年(平成13年)、現代美術家の会田誠と結婚。息子は会田寅次郎。
2007年(平成19年)に製作・DVD販売された岡田の半生を描いたドキュメンタリー風ドラマ、『ふたつの女』(監督・ダーティ工藤)では会田誠と共演。
2010年より参加者をアーティストだけに固定しないオルタナティブなアートプロジェクトとしての人形劇団『劇団☆死期』を主催。
取り扱い画廊はミヅマアートギャラリー。
代表作
Hの顔
愛憎弁当
エンゲージド・ボディ
俺の産んだ子
長澤英俊
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
父親が日本軍の軍医として勤務していた満州国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満州に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされた。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963年の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解した。
1966年、半年前に結婚したばかりの長澤は、世界的視野の中で芸術家になることを決意し、500ドルと自転車のみをもって単身、ユーラシア横断の旅に出た。タイ、シンガポール、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、シリア等、アジア・中近東の諸地域でさまざまな文化遺産、習俗、宗教、生活との接触を重ねた末、トルコにたどり着き、たまたまラジオから流れるモーツァルトの音楽を耳にしたとき、自分がすでに西洋的な文物への親近感をどれほど多く身に着けていたかを実感した。それはまた、文化や宗教の多様性を尊重しつつも、相接する民族と文化の間では相違よりも類似の方が大きいとみる、のちのちまで持続する信念を彼に刻み込んだ体験でもあった。その後、ギリシャを経てブリンディジからイタリアに入った長澤は、各地の美術館や名跡をしらみつぶしに見て回り、1967年8月、ミラノにたどり着いた時点で旅の中断を余儀なくされ、またその地の世態人情に感じるところもあって、ヨーロッパの最西端まで行くはずの計画に終止符を打った。満州からの引揚げ以来、学生時代の徒歩による日本国内行脚から、ミラノまでの伝説的なユーラシア横断行へと、長澤の幼年期・青年期を彩った旅は、それ自体が時間と空間に生きる自身の存在の意味に対する彼の絶えざる問いかけの行動であったと思われるが、旅はまた、芸術することの意味を掘り下げて止まない彼の作品行為の一つ一つに刻まれて、その後の制作を色濃く性格づけることになった。
ほどなくミラノ郊外のセスト・サン・ジョヴァンニのアパートに拠点を得た長澤は、その地でエンリコ・カステッラーニ、ルチアーノ・ファブロ、マリオ・ニグロ、アントニオ・トロッタら優れた芸術家たちと知的・芸術的な交友関係を結び、日本から呼び寄せた妻公子との間に2児(竜馬、妙)をもうけた。とりわけファブロとは、評論家で美術史家のヨーレ・デ・サンナも交えて、1979年にミラノ市内に若い芸術家たちの交流・研鑽の場となる「芸術家の家」を共同で設立するなど、長澤がミラノ中心部のブラマンテ通りに居を移した後も、生涯の交わりを持った。長澤がミラノに定着した1967年からの数年間、イタリアは政治的動揺のさなかにあり、美術界ではファブロもその一員に数えられるアルテ・ポーヴェラの動向が国際的な注目を集めた時期である。しかし、長澤はその動向の至近距離に位置していながらも、いかなる党派、運動にも加担せず、単独で自身の芸術的課題を掘り下げてゆき、多くの個展・グループ展参加をイタリアとヨーロッパ各地で展開した。1990年から2002年まで、ミラノのヌオーヴァ・アッカデミア・ディ・ベッレ・アルティ(NABA)で諸外国からやってくる芸術志望の若者たちを熱心に指導した。また2004年からはミラノの国立ブレラ美術アカデミーと東京の多摩美術大学で客員教授を務めた。
招待出品した主なグループ展を地域的多様性に配慮して列挙すると、ヴェネチア・ビエンナーレ(72、76、82、88、93年)、パリ青年ビエンナーレ(73年)、「日本―伝統と現代」(74年、デュッセルドルフ)、ミデルハイム・ビエンナーレ「日本の彫刻家20人」(75年、アントワープ)、「1960-78年イタリアのアーティストの映画と実験映画」(78年、パリ)、「近代イタリア美術と日本」(79年、大阪)、「70年代イタリアの造形探求」(82年、ウィーン)、「Sonsbeek ’86」(86年、オランダ)、「Chambre d’amis」(86年、ゲント)、ミデルハイム・ビエンナーレ「現代日本彫刻」(89年、アントワープ)、「フィウマーラの芸術」(89年、メッシーナ)、「独創性」(90年、グラスゴー)、「イタリアの現代美術’70‐’80」(91年、ブダペスト)、「イタリアの抽象芸術」(91年、ストックホルム)、ドクメンタ(92年、カッセル)、ミラノ・トリエンナーレ(94年)、「日本の現代美術1885-95」(95年、東京)、カッラーラ国際彫刻ビエンナーレ(98年、カッラーラ)、クレリア・ビエンナーレSPAS(99年、スイス)、「Made in Italy? 1951-2001」(01年、ミラノ)、「愛情の場所 風景-通過」(03年、ブリュッセル)、「現代日本彫刻展」(05年、宇部)、「ジョルジョ・デ・キリコ その謎と栄光」(06年、カタンツァロ)、「20世紀・21世紀美術の代表的作家の<普遍性>」(09年、カターニア)などが挙げられるが、これら以外のグループ展でも多くの作品が発表されている。
個展は1970年以降数知れず開催しているが、80年代以降は画廊に作品を置くという通常の個展形式からしだいに自由になり、個人や共同体からの要望に応えて、既存の建物や私的・公共的な施設など多様な空間条件を生かしたサイト・スペシフィックな制作に重点を置くようになった。いきおい、作品はしばしば建築的規模を帯び、ときには庭園としての構造を具えるまでになっている。現代美術でもきわめてユニークなその活動はイタリアではほとんど全土に及んでいるが、1996年にはスペインのパルマ・デ・マヨルカにあるビラール・ジョアン・ミロ財団に招かれて3相複合体の≪庭≫を設置し、より広く注目されるところとなった。このミロ財団の≪庭≫が宇宙論的構造を孕んでいることからも明らかなように、長澤のサイト・スペシフィックな制作や庭園では、多くのパブリック・アートがしばしば共同体の要望や都市空間の条件に合わせて構想されるのと違って、彼が宇宙的意志の発露と信じているイデアの捕捉がつねに先行し、それの物質的・空間的現実化のために個々の与えられた条件が考慮され活用される仕組みとなっている。この点で、長澤の規模の大きな作品は70年代初期に始まったより凝密性の強い彫刻とは本質的に変わっておらず、事実、今日でもそのタイプの小規模な彫刻の制作は旺盛に続けられている。
回顧展的な規模の大きな個展は、1988年にミラノ現代美術展示館、1993年にボローニャ市立近代美術館(ヴィッラ・デッレ・ローゼ)、同年に水戸芸術館(「天使の影」)、96年にビラール・ジョアン・ミロ財団(パルマ・デ・マヨルカ)、2009-10年に川越市立美術館・埼玉県立近代美術館・国立国際美術館(大阪)・神奈川県立近代美術館(葉山)・長崎県美術館(巡回展「オーロラの向かう所」)で行なわれたが、それらに劣らず記憶されるのは、1995-96年の「京の町家」、および2009年の「Nagasawa in Kawajima<夢うつつの庭>」である。前者では京都下京区に残る伝統的な町家が、後者では長澤の故郷川島町にある遠山記念館の古い純日本式邸宅が、それぞれの室内・内庭ともに全面的に活用されて、複数の新作がすべてサイト・スペシフィックに制作・設置された。古い和風建築様式が現代芸術家の造形と共振した稀な例として注目された。なお、09-10年の巡回展等の活動により、長澤は2009年度の芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)を受賞した。
代表作
金の舟の部屋
イッペルウラーニオ
銀梅花の庭
エーベの庭
茶室の庭
平和のための庭
反転の庭
大山結子
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
埼玉県春日部市出身、東京都世田谷区在住。化粧品のための動物実験の反対運動を目的とした、通称「うさぎ組」という芸術家NGOの代表を務める。セミベジタリアン。
十文字中高等学校に進学。機能不全家庭出身で、主に家庭に起因する理由から精神障がい者となる。 家庭の事情で理数系の大学に進学したのち、すいどーばた美術学院に入学(ただし手違いでデザイン科に籍を置く)。女子美術大学デザイン科に入学したのち、新宿美術学院の油画科に特待生として入学、多摩美術大学に油画専攻で入学、卒業。 インターメディアをモットーとした活動を展開している。 多摩美術大学在学中、演劇を先行する学生と共に、演劇『自来也』に役者として抜擢され、自来也役で出演。この時に共演した他の学生らの多くが、のちに快快のメンバーとなる。大山は東京芸術劇場にて上演された『火の鳥(ストラヴィンスキー)』にて主演を務める。
東日本大震災の折には、一旦中止された村上隆主催GEISAIを夏に再開することとなり、カイカイキキギャラリーの招待作家として、キックオフイベントに出演した。 障害者差別解消法が施行される折には、社民党をはじめとする政治家たちと共に、参議院議員会館にて行われた勉強会に、当事者の一人として、斎藤里恵とともに登壇した。
代表作
うさぎ組
大谷有花
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
2001年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻を卒業、2003年 多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了。 同年、VOCA展2003(上野の森美術館)で、VOCA奨励賞を受賞。ギャラリー、美術館などで展覧会多数。 2010年 毎日新聞社主催「第二回 絹谷幸二賞」において、絹谷幸二賞を受賞。 2009年より、神奈川県相模原市のシティセールスサポーターとしても活動する。 秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻准教授。
作品は、主に油彩画が中心で、「ウサギねずみ」シリーズや「キミドリの部屋」シリーズ、「ライフ」シリーズなどがある。
1977年 - 神奈川県相模原市に生まれる
2001年 - 多摩美術大学 美術学部絵画学科油画専攻 卒業
2003年 - 多摩美術大学大学院 美術研究科絵画専攻 修了
代表作
ウサギねずみ
キミドリの部屋
ライフ
松井えり菜
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
岡山県出身。2004年に自画像『えびちり大好き』でGEISAI#6の金賞を受賞。同作品はカルティエ現代美術館のコレクションとして収蔵される。多摩美術大学油絵科卒業の後、東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻を修了。現在はスペインのジョアン・ミロ美術館での個展をはじめとして海外での展示も多く、またNTTドコモやモレスキン主催の展覧会に参加するなど活動の幅は広い。
代表作
えびちり大好き
古典回帰
ウーパールーパー
河口龍夫
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
兵庫県神戸市出身。1958年に多摩美術大学(絵画科)に入学。卒業後は神戸を拠点に作家活動を開始。1965年にグループ<位>を結成。
1960年代から作品の発表を始める。関係をテーマに制作活動を実施。芸術表現を単にひとつのスタイルにすることや、視覚にのみ依存する芸術のあるように抗する芸術表現を模索し、作品を精力的に発表する。
1983年より筑波大学芸術学系助教授、1991年教授。2003年3月退官。筑波大学名誉教授。2003年4月より、京都造形芸術大学客員教授及び倉敷芸術科学大学教授。
2016年度毎日芸術賞受賞。
代表作
陸と海
DARK BOX2016
内海信彦
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
東京都生まれ。1974年、慶應義塾大学法学部中退。1981年、多摩美術大学絵画科卒業。『季刊クライシス』編集者を経て、アメリカ、ペルー、韓国、ポーランドなど諸外国からの招待により現地での滞在制作を行い、内外で107回の個展を開く。
駿台予備学校、河合塾COSMO講師。千葉商科大学で非常勤講師の任にある。駿台では論文科講師として人文系論文・芸術系論文を28年指導し、現在は人文社会総合論文講師として、映像も交えながら講義を進める。河合塾COSMOでは2000年から「芸術の可能性ゼミ」、美学校では2000年から2014年まで「現代絵画の可能性 絵画表現研究室」を担当した。
画家堀文子は叔母、駿台講師の福井紳一とは高校時代からの知人。2012年より早稲田大学で早稲田大学「内海先生のドロップアウト塾」を開催している。
1953年生まれ 東京都出身        
1974年 慶應義塾大学法学部政治学科中退   
1975年 美学校中村宏油彩画工房終了    
1981年 多摩美術大学絵画科油画専攻卒業  
ハーヴァード大学客員芸術家 早稲田大学日米研究機構招聘研究員              
ペルー国立美術学校名誉教授         
ペルー国立教育大学客員教授         
早稲田大学「内海先生のドロップアウト塾」主宰。駿台予備学校論文科講師。
1985年より 斎藤記念川口現代美術館、新潟市美術館、ヒルサイドギャラリー、愛宕山画廊、ギャラリイK、ギャラりーなつか、ぎゃらりいセンターポイント、スカイドア・アートプレイス青山、キリンプラザ大阪、早稲田大学大隈講堂および早稲田大学小野梓講堂、東京造形大学など国内外で107回個展開催。
1992年 ハーヴァード大学客員芸術家としてカーペンターセンター・フォー・ザ・ビジュアルアーツで個展開催。
1996年 ヴァーモント・スタジオセンター、カトマンズシビックセンター、カトマンズロシアンセンターで個展開催。
1997年 イェール大学客員芸術家として、ヘンリー・R・ルースホール、トランブルカレッジで講義と滞在制作による個展開催。同年ペルー政府より招待され、ペルー国立博物館、ペルー日本文化センターでの滞在制作による個展開催。客員芸術家として国立美術学校、カトリック大学で講義。
1999年 ペルー政府により招待され、ペルー国立博物館、ペルー日本文化センターで滞在制作による個展開催。韓国ジョクサン・インターナショナル・アートフェスティバルでライブペインティング。ペルー国立美術学校付属美術館、ペルー国立教育大学で個展開催。ペルー国立美術学校、リカルドパルマ大学で講義と公開制作、ライブペインティング。韓国国立ソウルアートセンターでの舞踏家・金梅子公演の舞台美術。
2000年 オシフィエンチム・アウシュヴィッツ強制収容所跡でのライブペインティング。ポーランド国立ヴロツワフ美術館での公開制作。ポーランド国立美術アカデミーでの講義。マイダネク強制収容所跡でのマイダネク・アート・トリエンナーレ初日のオープニングセレモニーでのライブペインティング。ワルシャワ、聖スタニスワフ・コストカ教会で聖人ポピューシコ神父追悼のライブペインティング。「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」における「内海信彦サマーセッション」でのレクチャーとライブペインティング。ポーランド国立ヴロツワフ美術館での個展とライブペインティング。
2004年 横浜BANKART、横浜開港記念会館で「内海信彦コズミックスパイラル2004」開催。アメリカ・ニューメキシコ、アリゾナ、テキサスなどでネイティブ・アメリカンとのワークショップを開催する(U.S.)
2005年 横浜市民ギャラリー「今日の作家2005」で24mの大作を出品し、ワークショップを行なう。 東京藝術大学先端芸術学科での講演とコラボレーション。
2006年 東京大学先端科学技術研究センターでの講義および御厨貴教授との対談(‘05~‘11)
2005年より現在まで毎年、海外でのワークショップ ”内海信彦サマースクール” を開催
代表作
Innnerscape Seriese
海老塚耕一
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
神奈川県横浜市生まれ。父は画家の海老塚市太郎。
多摩美術大学美術学部建築科卒。多摩美術大学大学院美術研究科修了。
主に木、石、金属を素材とした作品を制作している。

映像作家・鈴木志郎康によるドキュメンタリー映画『極私的にEBIZUKA』(2001年)、『山北作業所』(2002年)が撮られている。
代表作
わたしに形見として残された
身を沈ませよ
天候を感じとる手
反照を受けながら
連関作用-音素 PLS-88-3
田窪恭治
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
1971年 第6回国際青年ビエンナーレ
1974年 第11回東京国際ビエンナーレ
1975年 第9回パリ青年ビエンナーレ
1984年 ヴェネツィアビエンナーレ
1987年 絶対現場(建築家の鈴木了二と、写真家の安斎重男とともにおこなう)
1989 - 1999年 サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂再生プロジェクト
1999年「村野藤吾賞」を受賞
2000年「フランス芸術文化勲章オフィシェ」を受賞
2001年 TAKUBO 1974-2001 田窪恭治-オブジェから風景へ(愛媛県美術館)
2001年 琴平山再生計画(金刀比羅宮)
2009年「かがわ21世紀大賞」受賞
2013年「紺綬褒章」受賞
代表作
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂
神椿
開発好明
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
1993年多摩美術大学大学院修了。
1995年4月から1996年3月までNHK-BS2の番組『真夜中の王国』内のコーナー『開発くんがゆく』に出演した。
2001年サンキューアートの日を企画、制定した。
2004年ヴェネチア・ビエンナーレ第+9回国際建築展日本館「おたく:人格=空間=都市」出品
2016年開発好明個展「中二病展」市原湖畔美術館
2016年リトルモア社から写真集「新世界ピクニック」出版

過去に武蔵野美術大学、千葉大学で非常勤講師を務めていた。 現在は多摩美術大学で非常勤講師を務めている。
代表作
かまぼこフェイス
千色屋
モグラTV
大竜宮城
岡崎乾二郎
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
東京都出身。父親は建築家、母親は発明家。多摩美術大学彫刻科中退。Bゼミスクール修了。
平面・立体での両面で多彩な創作活動を展開、「ART TODAY 2002 岡﨑乾二郎展」(セゾン現代美術館)をはじめ、内外でさまざまな展覧会を開いてきている。美術領域の表現を越えても建築および景観設計、8ミリ映画「回想のヴィトゲンシュタイン」(1988)から、地域再生計画「灰塚アースワーク・プロジェクト」(1994-)にいたるまで、その活動はきわめて広範囲に及ぶ。2002年のヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展では日本館のテーマ展示「漢字文化圏における建築言語の生成」のディレクターを務めた。2007年には舞踏家トリシャ・ブラウンとのコラボレーション「I Love my robots」でも話題を呼んだ。また、主著『ルネサンス 経験の条件』(2001)のほか、編集・執筆にかかわった美術雑誌『FRAME』(第1-3号、1990-1991年)や共編著『批評空間 増刊号 モダニズムのハードコア』(1995)などは、美術の領域を超えて大きな影響をもった。『ルネサンス 経験の条件』は「歴史的な書物の誕生」と浅田彰によって評された。近畿大学国際人文科学研究所の活動の一環として主任ディレクターを務めた四谷アート・ステュディウムは、新しい教育・創造活動の拠点として注目されていた。
2019年、『抽象の力 近代芸術の解析』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
代表作
タメになるってどういう意味?/狐の才気
あかさかみつけ
テウミンとたみをとむらって バツサイとつみをきりしは
まだ早いが遅くなる
沖啓介
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
東京造形大学特任教授。カーネギーメロン大学STUDIO for Creative Inquiry 研究員。東京都出身。
専門分野:エレクトロニク・アート、情報デザイン、映像。
主な展覧会:キヤノン・アートラボ「サイコスケープ」、第一回横浜トリエンナーレ、SMAAK(ボネファンテン美術館、オランダ)、「身体の夢」(京都国立現代美術館、東京都現代美術館)、Medi@terra(ギリシャ)、「Art Scope」(インドネシア)、Transmediale2008(ベルリン)。
高祖父は、江戸時代後期の今治に生まれ京で画道を修行し、江戸で活躍して谷文晁、渡辺崋山ほか多くの文人と関り、浅草寺における最大の絵馬の作者としても親しまれた画家、沖冠岳(1817‐1876)。2018年に愛媛県美術館で開催された『生誕200年記念 沖冠岳と江戸絵画展』では、記念講演会「子孫が語る沖冠岳」をおこなった。
曽祖父は漢学者の沖冠嶺。
代表作
身体未来-脳を見たか?
佐々木岳久
画家種
現代美術家
人物・来歴・経歴・その他
作品は絵画やオブジェが中心。制作態度は、過去の記憶を探りそこに切り込んで来るものを五感経由で反射的に選択、蓄積していく課程を辿る。銀塩 銅腐蝕プリントという自ら開発した新技法を駆使しているのが特徴。文学からの影響も大きくノーベル文学賞を受賞した仏小説家、クロード・シモンの影響が大きい。
1972年 宮城県石巻市生まれ
1991年 宮城県石巻高等学校卒業
1996年 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻。相笠昌義、 松本英一郎に師事。
第7回 「現代美術小品展」(佳作)
第3回 「日仏現代作家展」(大賞)
フィナール国際美術展
サロン・ド・フィナール・パリ展・東京・大阪展
第1回 「日仏アートサロン」
ふるさと美術展
その他個展多数。
代表作
記憶の交錯
池田龍雄
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
佐賀県西松浦郡二里村(伊万里市二里町)に生まれる。父は清、母はチサ、五男二女の長男。
1935年(昭和10年)4月には佐賀県二里尋常高等小学校に入学する。同年秋には福岡日々新聞社(現在の西日本新聞社)主催の児童スケッチ大会において三等銅メダルを受賞している。幼少期には『子供の科学』に親しみ、自然科学に関心を持ったという。
1941年(昭和16年)4月には佐賀県立伊万里商業学校へ入学する。1943年(昭和15年)には海軍航空隊に入隊し、第13期海軍飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に配属される。
1945年(昭和20年)2月には飛行練習生過程を修了し、岩国航空隊へ移る。同年4月特攻隊員となり、同年5月には霞ヶ浦航空隊へ移動する。同年8月には終戦となり、除隊して佐賀へ戻る。
同年11月15日には佐賀師範学校本科1年に編入されるが占領政策により一年で退学となる。1946年(昭和21年)8月には長崎県佐世保の進駐軍キャンプ設営地で働く。1948年(昭和23年)には上京して多摩造形芸術専門学校(多摩美術大学)へ入学する。同級生には桂川寛、森正洋らがいる。独学で油絵を学んでいたが、同年秋には学友に誘われ岡本太郎や花田清輝らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加し、アバンギャルド(前衛芸術)の道を歩む。
1950年(昭和25年)の朝鮮戦争を契機に社会意識を強め、絵画において実際の事件・政治問題に取材したルポタージュの可能性を探る。1954年(昭和29年)には読売バンデパンダン展に内灘闘争を描いた「網元」を発表する。50年代には小型ペン画の制作を行い、50年代終わりには大型ペン画を集中して制作する。この時期の作品に「出口のない貌」「砦」があり、50年代に議論された再軍備問題に対する政治意識があったという。
大型ペン画制作に関して、池田はアンフォルメル運動に影響され、抽象化に傾く当時の流れに対して事故の外側の世界を取り込み造形化する意識を持っていたと証言している。また、「出口のない貌」「砦」で描かれた化物のイメージを発展させた「化物の系譜」シリーズを制作した。
池田は1958年8月には福音館書店の絵本誌「こどものとも」29号に掲載された木島始『ろくとはちのぼうけん』の挿絵を手がけており、以来『ないたあかおに』(1965年、偕成社、浜田広介作)、『世界のこどもエスエフ(1)ラスティと宇宙怪ぶつ』(1968年、偕成社、ランプマン作)、『現代子ども図書館13 デブの国ノッポの国』(1972年、学習研究社、アンドレ・モーロワ作)、『ひかりのくに』(1974年、ひかりのくに昭和出版)など数多くの絵本・児童書も手がけている。
60年代以降には政治的主題を離れ宇宙や時間など物理学的なテーマへ移り、「百仮面」「楕円空間」「玩具世界」「BRAHMAN」「万有引力」「場の位相」シリーズなど風刺や諧謔を交えたペン画のシリーズを制作する。
2012年–2013年 ニューヨーク近代美術館のTokyo 1955–1970: A New Avant-Garde at the Museum of Modern Art, New Yorkに展示され、2018年 練馬区立美術館で「戦後美術の現在形 池田龍雄展-楕円幻想」が開催されている。
2020年11月30日、誤嚥性肺炎で死去した。92歳だった。
代表作
出口のない貌

化物の系譜
斎藤吾朗
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
愛知県西尾市出身の画家である。自らが赤絵と呼ぶ鮮やかな赤色を基調とした絵で、三河の風景や身近な題材を描く。独立美術協会会員。
1947年 - 愛知県西尾市に生まれる。
1965年 - 愛知県立西尾高等学校を卒業。
1969年 - 多摩美術大学油絵科卒業。
1971年 - 同大学の大学院美術研究科修了。
1972年 - 「コンサート後の記念撮影」第40回独立展で初入選。
1973年 - ルーブル美術館でモナ・リザを日本人初の公認模写。
1974年 - 「屋根の上の記念撮影」第18回シェル美術賞展で2等受賞。
        「玄孫を抱いた記念撮影」第42回独立展で奨励賞受賞。

1975年 - 「屋根の上の七五三」で第43回独立展独立賞及び海老原賞を受賞。
1977年 - 国際ナィーブ美術展(ユーゴスラビア)に日本代表として出品。
1982年 - 「袋の中のおばあさん」で第50回独立展で50周年記念賞を受賞。
1986年 - 個展(ニューヨーク・日本クラブギャラリー)開催。
        個展(ボストン・ジャパンソサエティ)開催。

        ハーバード大学芸術学部特別講師。

1988年 - 愛知県芸術選奨文化賞を受賞。
1990年 - 個展(ニューヨーク・ジェイン・ギャラリー)開催。
1993年 - 個展(ヘルシンキ・ギャラリーNOVO)開催。
        アートポート国際美術展(フィンランド)に招待出品。

1995年 - ジャパンフェスティバル美術展(スリランカ・ジャヤワルデネ文化センター)。
        赤土・炎・夕焼け 斎藤吾朗の世界展(高浜市やきものの里かわら美術館)。

1998年 - 「モナ・リザ」から赤絵「風土記」・斎藤吾朗の世界展。(伊東・池田20世紀美術館)
2001年 - Asian Arts Now2000(ラスベガス美術館)実行委員長。
2002年 - ニューヨーク・グランドゼロ路上展実行委員長。
2004年 - 個展(JR名古屋高島屋)。
2005年 - 「斎藤吾朗の軌跡」展(ギャラリーがらんどう)。
        ルーヴル美術館収蔵記念休刊日特別ツアー。

2006年 - 歌会始御題「笑み」特別展(伊勢・神宮美術館)。
        斎藤吾朗の軌跡展(北海道・神田日勝記念美術館)。

        個展(名古屋港イタリア村・ダ・ヴィンチ館)。

2007年 - 全国職人の集いIN西尾幡豆 実行委員長。
2009年 - 個展(宮城県大崎市 緒絶の館)。
2011年 - 斎藤吾朗の作品と収集品ー全活動を語ろう具展(高浜市やきものの里かわら美術館)。
        斎藤吾朗全仕事展(伊勢現代美術館)。

2012年 - 風景の会 -東北を描く-展企画(宮城県[大崎市 緒絶の館)
2013年 - 宮城県大崎市古川第一小学校に「古川第一小学校 木造校舎」寄贈
2015年 - 熱田神宮宝物館に「熱田神宮・創祀千九百年」常設展示
代表作
百年目の肩車
屋根の上の記念撮影
畑のおばあさん
継火
おばあさんのモナ・リザ
屋根の上の七五三
母の誕生日
名鉄パノラマカー
熱田神宮・創祀千九百年
菅木志雄
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
菅木志雄は岩手県盛岡市で生まれ、1964年から1968年まで、東京の多摩美術大学絵画学科で学んだ。多摩美在籍中にジャン・ボードリヤール、ジル・ドゥルーズ、西田幾多郎、ナーガールジュナ、ヴァスバンドゥの著作を読みふけった。
この時期に大学で教鞭をとっていた二人の作家が、菅に大きな影響を与えている。その一人である斎藤義重は、菅をはじめとする学生に、モダニズムと欧米を中心とする芸術理論に対し脱構築的アプローチをとることを促した。そして、菅に影響を与えたもうひとりの教師は芸術家・高松次郎である。高松はだまし絵のような絵と彫刻をもって、当時の東京アートシーンの中核をなしており、菅の初期作品は高松のアプローチを反映しているといえるであろう。
1968年、 椿近代画廊(東京)での初個展に出展した《転移空間》は、赤く塗装した木材を使った自立する作品だが、箱が自らの重みで崩れていくような錯覚を見る者に与える。
視覚を操作する絵画や立体作品の制作と同時期に、菅は様々な素材を使った創作活動をはじめる。一例は、おがくず、綿、灰、プラスチックの粉末、土の層、が透明なアクリルの箱に入った《積層空間》(1968年)という作品である。
1968年後半には、素材、はかなさ、空間の探求が広義のムーブメントとして認識されるようになった。例えば、この時期に李禹煥は、初めて石と鉄板を配置した作品を発表している。また、関根伸夫は、神戸の須磨離宮公園で行われた第一回野外彫刻展で、地下2.7m、直径2.2mの円柱型の穴と、掘り起こした土をさらに同じ大きさで固めた土からなる《位相—大地》という作品を発表している。
1973年までに、菅木志雄、李 禹煥、関根伸夫、及び小清水漸、吉田克朗、榎倉康二は「もの派」として知られるようになった。
菅は、ものの現実と状況の相互依存に焦点をあてる行為を「放置」と呼び、「放置」という言葉を用いて自身の考えを述べるようになる。そして、「状況」の探求と存在の「アクティベーション」を進める中で、もの派のアプローチを象徴するような数々のインスタレーションの制作に取り組むようになる。
主なものに以下の作品がある。
菅は、サイトスペシフィックなインスタレーション以外にも、壁や床に展示する小規模なアッサンブラージュ作品をたびたび制作している。素材を、縛る、結ぶ、積み重ねる、切る、貼付ける、塗る、テープで留める、くさびを打つ、立てかける、剥ぐ、釘をうつ、ねじでとめる、彫る、折る、たたむ…といった多様な行為によって、菅は作品を形作っている。
1968年に東京の椿近代画廊でおこなわれた初個展以来、各ギャラリーはもとより、岩手県立美術館、横浜美術館、千葉市美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館など、日本で多数の個展がひらかれている。
さらに、第8回パリビエンナーレ(英語版) (1973年)、ポンピドゥー・センターでの「ジャポン・デ・アヴァンギャルド1910-1970」展 (1986年)、横浜美術館、グッゲンハイム美術館、サンフランシスコ近代美術館で開催された「戦後日本の前衛美術」展 (1994年)、国立国際美術館「もの派—再考」展 (2005年) といった画期的な展覧会でも、菅の作品が発表されている。
2008年には、栃木県の老舗旅館、板室温泉大黒屋の敷地内に作品を常設展示するスペース菅木志雄 倉庫美術館が開館。
2012年2月に米ロサンゼルスのBlum & Poeギャラリーで行われた「太陽へのレクイエム:もの派の美術」展で紹介されたことを契機に、アメリカでも菅が注目を集めることになった。これは、アメリカで初めてもの派を検証した展覧会である。続く2012年11月には、同Blum & Poeギャラリーで、アメリカでは初となる個展が開催された。さらに、同年ニューヨーク近代美術館で催された「東京1955-1970」展においても、菅の作品が展示された。
2014年11月にはヴァンジ彫刻庭園美術館にて、2015年1月には、東京都現代美術館にて個展が開催。2016年には、ヨーロッパでは初の開催となる個展「Situations」がミラノのピレリ・ハンガービコッカにて開催され、それに続き、ニューヨークのディア・チェルシーでも米国内の美術機関では初となる個展を開催した。また、エディンバラのスコットランド国立近代美術館ではターナー賞の受賞歴もあるスコットランド人女性作家カーラ・ブラックとの二人展「Karla Black and Kishio Suga: A New Order」を行った。
代表作
状況律
内なる角、外の縁
枝に沿って
小清水漸
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
1944年 愛媛県宇和島に生まれる。
1966年 東京都立新宿高等学校卒業
1966年 多摩美術大学彫刻科に入学(後に中退)。
1970年 第10回日本国際美術展 (東京ビエンナーレ)「人間と物質」(東京都美術館、後に京都市美術館へ巡回) に出品。
1971年 第7回パリ青年ビエンナーレに出品。田村画廊にて初個展を開催。
1976年 第37回ベニスビエンナーレに出品。
1980年 第39回ベニスビエンナーレに出品。
1986年 「前衛芸術の日本 1910-1970」(Japon des Avant Gardes 1910–1970) (ポンピドゥーセンター、パリ)に参加。
1983年 第17回サンパウロビエンナーレに出品。
1993年 東京画廊にて「小清水漸」展開催。
1999年 京都府文化賞功労賞受賞。
1994年 京都市立芸術大学教授となる。「戦後日本の前衛美術」("Japanese Art after 1945: Scream Against the Sky") 、(横浜美術館、グッゲンハイム美術館 (ニューヨーク)、サンフランシスコ近代美術館) に出展。
2004年 紫綬褒章受章
2005年 「もの派−再考」(国立国際美術館)に参加。
2012年 2月「太陽へのレクイエム:もの派の美術」(Blum & Poe、ロサンゼルス)に参加。
2013年「Prima Materia」プンタ・デラ・ドガーナ(英語版) (ベニス) に参加。アメリカ国内での初個展がBlum & Poeにて開催される。
2015年「MONO-HA」(ムディマ財団 (Fondazione Mudima)、ミラノ) に参加。
2015年「現代京都藝苑2015 素材と知覚――『もの派』の根源を求めて」展に参加。
代表作
かみ
石を割る
長江録弥
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
日本芸術院会員。愛知県瀬戸市出身。多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)卒、1986年日展文部大臣賞、1991年日本芸術院賞受賞、1995年芸術院会員。日展常務理事、日本彫刻会理事。
代表作
想う
希望/Hope
深作秀春
画家種
美術家
人物・来歴・経歴・その他
現在、医療法人社団秀仁会 深作眼科理事長をしている。日本美術家連盟会員。医療法人社団秀仁会 深作眼科の一部を画廊としてアーティストに提供し、FEI PRINT AWARD 大賞を開催するなどメセナ活動をしている。
1953年 - 横浜市生まれ
1971年 - 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業、運輸省立航空大学校入学
1981年 - 国立滋賀医科大学卒業
1982年 - 横浜市立大学附属病院勤務
1985年 - 昭和大学附属藤が丘病院勤務
1987年 - 横浜市西区に深作眼科開院 同院院長
1994年 - 日本で最初の近視矯正レーシック手術を開始
2000年 - 網膜剥離の完全な手術方法を開発
2008年 - 極小切開緑内障手術を開発    
2012年 - 多摩美術大学院修了、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク就学
2014年 - 深作眼科六本木院開院 Hideharu Fukasaku Gallery Roppongiを開設
代表作
Every Race Lives Matter
日比野克彦
画家種
芸術家
人物・来歴・経歴・その他
1958年岐阜県岐阜市生まれ。 岐阜大学教育学部附属中学校を卒業。岐阜県立加納高等学校を卒業後、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科に進学(同級生にしりあがり寿がいた)。同大学に1年在学した後、東京芸術大学美術学部デザイン学科に再入学し、1982年に卒業。1984年、同大学大学院修士課程修了。1980年代に領域横断的、時代を映す作風で注目される。作品制作の他、身体を媒体に表現し、自己の可能性を追求し続ける。1986年シドニー・ビエンナーレ、1995 年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。
近年では、館内の展示室だけでなく、様々な地域の人々と共同制作を行いながら、受取り手の感受する力に焦点を当てたアートプロジェクトを展開し、社会で芸術が機能する仕組みを創出する。2003年大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにて明後日新聞社文化事業部を設立、同時に明後日朝顔プロジェクトを開始。2005年 水戸芸術館「HIBINO EXPO」、2006年岐阜県美術館「HIBINO DNA AND」、2007年金沢21世紀美術館「ホーム→アンド←アウェー」方式、熊本市現代美術館HIGO BY HIBINOなど個展を開催。
2012年種は船~航海プロジェクトを実施。2013年 瀬戸内国際芸術祭2013にて海底探査船美術館プロジェクト「一昨日丸」]を発表。同年・翌年(2013・14年)「六本木アートナイト」にてアーティスティックディレクターを務める。2010年より4年の1度のサッカーW杯年に合わせ、「マッチフラッグプロジェクト」を開始。2014年もブラジル大会への熱い想いを胸にワークショップを実施し、スタジアムをスポーツとアートの交流の場とした。1995年から1999年まで東京芸術大学美術学部デザイン学科助教授、1999年から2007年まで東京芸術大学美術学部先端芸術表現科助教授/准教授を経て2007年10月より教授、2016年より美術学部長に就任。現在、日本サッカー協会社会貢献委員長。
2015年4月1日より、岐阜県美術館の館長に就任した。
代表作
PRESENT AIRPLANE
GRAND PIANO
NITO
伊藤五百亀
画家種
彫刻家
人物・来歴・経歴・その他
1918年、愛媛県新居郡大保木村(現、西条市黒瀬)にて出生。17歳の時、雑誌に掲載されていた帝展(現、日展)作品の彫刻を見て感動、彫刻家を志し、上京して多摩帝国美術学校に入学。中途退学するも、その後も吉田三郎に師事し、本格的な創作活動を行った。
1942年、第5回文部省美術展覧会に出品した「立像」が入選、翌年の文部省美術展では「鍬の戦士」が特選となる。
終戦後、五百亀は帰郷し、彫刻活動を断念した。しかし、当時の大保木村村長・伊藤一らが後援会を組織し、五百亀を励ました。五百亀は再び上京し、制作活動を再開。1954年、1955年の日展でも連続特選を受け再起を果たした。
その後、日展審査員、日展評議員を歴任し、1974年の日展で文部大臣賞を受賞、1982年には日本芸術院賞を受賞した。
1991年、西条市功労賞を受賞。
代表作

とこしえに
十河信二胸像
高山彦九郎皇居望拝之像
加藤恒忠胸像
うたかたの譜
伊曽乃神社神門前狛犬
鍵谷カナ像
井上正夫像
子規座像
柳原極堂像
安倍能成像
関根伸夫
画家種
彫刻家
人物・来歴・経歴・その他
1942年 9月19日 埼玉県大宮市に生まれる。
1961年 埼玉県立川越高等学校卒業。
1962年 多摩美術大学油絵科に入学。
1964年 多摩美の斎藤義重教室で指導を受ける。
1968年 3月 多摩美術大学大学院油画研究科修了。
1968年 4月 「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」に《位相No.4》出品。
1968年 10月 第1回現代日本野外彫刻展に《位相-大地》を出品。その圧倒的な作品の強度が李禹煥らに注目され、「もの派」が生まれるきっかけとなった。
1968年 11月「長岡現代美術館賞展」に《位相-スポンジ》を出品、大賞を受賞。
1969年 4月 東京画廊での初個展に《位相-油土》を出品。
1970年 ヴェネツィア・ビエンナーレに《空相》を出品。これを機に2年間ヨーロッパに滞在。
1973年 環境美術研究所設立。
1978年 ヨーロッパ3国巡回個展。
1986年 「ジャポン・デ・アヴァン・ギャルド1910–1970」(ポンピドゥー・センター)に参加。
1987年 「永久の環」制作(千葉工業大学芝園キャンパス)。
1987年 「位相絵画展」を日本で巡回。
1994年 「戦後日本の前衛美術」(横浜美術館、グッゲンハイム美術館、サンフランシスコ近代美術館)に参加。
2002年 釜山彫刻プロジェクト。
2003年 「〈環境美術〉なるもの-関根伸夫展-」(川越市立美術館)。
2005年 「もの派−再考」(国立国際美術館)に参加。
2012年 2月「太陽へのレクイエム:もの派の美術」(Blum & Poe、ロサンゼルス)に参加。
2012年 11月 「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde 」(ニューヨーク近代美術館)に 参加。
2019年 5月13日 居住する米国・カリフォルニア州の病院で亡くなった。76歳没。体調を崩し、療養していた。
代表作
位相-大地
空相-スポンジ
空相-油土
空相-黒
戸塚くるみ
画家種
彫刻家
人物・来歴・経歴・その他
1987年 - 神奈川県生まれ
2008年 - フジテレビドラマ「ハチミツとクローバー」の美術セット提供
2010年
多摩美術大学芸術学部彫刻科 卒業
横浜virgin festa 2010 牧神賞 受賞
via art 2010(シンワアートミュージアム、銀座)入選
2011年
台湾国際木彫芸術コンクール 入賞
イセ文化基金美術学生展2011 リンゼイ・ポロック賞 受賞
2012年 - 多摩美術大学大学院修士課程 修了予定
代表作
自由になあれ
五十嵐威暢
画家種
彫刻家
人物・来歴・経歴・その他
1944年 北海道滝川市に生まれる
1968年 多摩美術大学卒業
1969年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了
1975年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校専任講師(〜1976年)
1979年 千葉大学工学部デザイン科非常勤講師(〜1983年)
1985年 国際グラフィック連盟(〜現在)、(社)日本グラフィックデザイナー協会理事(〜1996年)
1989年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校デザイン学部客員教授(〜1991年)
1989年 多摩美術大学美術学部二部(現在、造形表現学部)デザイン科教授(〜1993年)
1993年 多摩美術大学客員教授(〜2011年)
2005年 多摩美術大学評議員
2011年 多摩美術大学学長(〜2015年)
2015年 多摩美術大学名誉教授(〜現在)
代表作
KUMO

にょきにょき
テルミヌスの森
長岡国人
画家種
版画家
人物・来歴・経歴・その他
長野県に生まれる。多摩美術大学デザイン科を卒業し、1966年から1991年までベルリンに滞在。ベルリン市立アカデミーグラフィック専攻卒業。ベルリン国立芸術大学および大学院版画・絵画専攻修了。
1977年 ウイーン国際版画ビエンナーレ グランプリ受賞
1978年 ポーランド国際版画ビエンナーレ受賞
1978年 フレヒェン国際版画ビエンナーレ3等賞
1979年 ポーランド国際ミニアチュール版画ビエンナーレ受賞
1979年 ベルリン・インターグラフィック‘80 奨励賞
1979年 ポーランド国際版画ビエンナーレ4等賞
1979年 フレヒェン国際版画ビエンナーレ受賞
1979年 スペイン・イビサ国際グラフィック展受賞
1979年 ポーランド国際ミニアチュール版画ビエンナーレ受賞
1980年 グラフィカ・クレアティバ国際版画展 プログラフィカ賞
1981年 ブルガリア国際版画ビエンナーレ グランプリ受賞
1983年 和歌山国際版画ビエンナーレ 受賞
1996年 第48回 京展 京展賞
代表作
ISEKI(PYXXXI)
ISEKI(PYXXXVI)
ISEKI(PYXXXVII)
ISEKI(PYXXXV)
ISEKI(PYXXXIX)
河内成幸
画家種
版画家
人物・来歴・経歴・その他
1948年 山梨県上野原市(旧上野原町)に生まれる。
1969年 多摩美術大学油絵科入学 
1969年 第37回日本版画協会展初出品で入選
1970年 第38回日本版画協会展<新人賞>受賞
1973年 多摩美術大学油絵科油画科卒業
1976年 第44回日本版画協会展<最優秀賞受賞>
1976年 第12回現代日本美術展<兵庫県立近代美術館賞>
1976年 第7回グラン・プリ展<次席賞>受賞
1977年 第8回国際青年美術家展<佳作賞>受賞
1978年 第12回日本国際美術家展<東京国立近代美術賞>受賞
1978年 第2回日本現代版画大賞展<優秀賞>受賞
1979年 第10回版画グラン・プリ展<グラン・プリ>受賞
1979年 第8回グレンヘン国際色彩版画トリエンナーレ招待展<最高賞>受賞(スイス)
1979年 山梨の版画4人展(山梨県立美術館)
1982年 第6回ノルウェー国際版画ビエンナーレ展招待<最高賞>受賞
1982年 第3回リストウェル国際版画ビエンナーレ展招待<優秀賞>受賞(カナダ)
1982年 近代日本の美術1945年以降展(東京国立近代美術館)
1983年 第4回カリフォルニア国際版画展招待<最高賞>受賞
1984年 第1回山梨県新人選抜展招待<山梨県立美術館賞>受賞
1985年 第1回和歌山県版画ビエンナーレ展<優秀賞>受賞(和歌山県立美術館)
1985年 文化庁芸術家在外研修派遣によりニューヨーク・コロンビア大学大学院留学
1986年 ヨーロッパ遊学
1986年 アトランディス・ペーパー研究所でデモンストレーション(ロンドン)
1986年 帰国
1987年 第2回和歌山版画ビエンナーレ展<佳作賞>受賞
1988年 ノーベル財団より版画7点依頼。及び金メダル授与<貢献賞>受賞
1989年 第18回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展<クラーゲンフルト賞>受賞(旧ユーゴスラビア/スロベニア)
1990年 ビエラ国際版画展招待<買上賞>受賞(イタリア)
1990年 第1回高知国際版画トリエンナーレ展<佳作賞>受賞(紙の博物館/高知)
1991年 大阪国際版画トリエンナーレ1991展<特別賞>受賞
1992年 ぶどうの国の国際版画トリエンナーレ展(山梨県立美術館)(1999年まで開催)
1992年 第3回多摩大賞展<大賞>受賞
1993年 第2回高知国際版画トリエンナーレ展<優秀賞>受賞
1994年 クレコフ国際版画トリエンナーレ展(ポーランド)
1996年 第3回さっぽろ国際現代版画ビエンナーレ展<北海道ガス賞>受賞
1997年 国際版画展’97招待<ポーランド美術館買上賞>受賞(ポートランド美術館・オレゴン)
2001年 「成幸・美榮子二人展」(インターチャーチセンター/ニューヨーク)
2002年 第70回記念日本版画協会展常務理事
2002年 多摩市企画「河内成幸展」(パルテノン多摩/多摩)
2003年 北京国際版画展<銅賞>受賞
2003年 台湾国立台北芸術大学客員教授
2003年 グローバル国際芸術貢献賞<金賞>受賞(中国)
2004年 個展(ワークスギャラリー/ニューヨーク)
2004年 個展(チェンマイ大学美術館/タイ)
2004年 国立中国美術学院客員教授
2006年 日・韓現代版画展(Maga美術館/韓国)
2007年 名古屋造形大学客員教授
2008年 ワルシャワ国際版画トリエンナーレ展 特別出品3点
2009年 佐渡はんが甲子園審査員委員長
2009年 新潟県美術展覧会 版画部門審査
2009年 個展(南アルプス市春仙美術館/山梨)
2010年 多摩美術大学客員教授
2010年 個展(ガレの森美術館/徳島)
2011年 国際版画交流展(イタリア・パドヴァ)
2011年 紫綬褒章を受章。
2012年 中国雲南国際版画展国際審査員
2012年 4人展(プーシキン美術館/ロシア)
2012年 第1回ノヴォシビルスク国際版画トリエンナーレ展(第6回ノヴォシビルスク国際版画ビエンナーレ展)<国際グランプリ賞>受賞
2012年 「世界に羽ばたく版画の巨匠 河内成幸」(ミウラート・ヴィレッジ/愛媛)
代表作
ドイツ、韓国、ベトナム
Box and Box
Highway
The Board
加速夢
亀裂
生田宏司
画家種
版画家
人物・来歴・経歴・その他
日本のメゾチント技法による銅版画家。元東北芸術工科大学講師。「ふくろう」、「猫」、「花」をテーマとした作品が特に人気がある。
1953年、山形県鶴岡市に生まれる。千葉県立佐倉高等学校を経て多摩美術大学絵画科日本画専攻を卒業。上野泰明、加山又造、堀文子に師事。
1986年国際ミニチュア版画展グランプリ(アメリカ)、1987年カンピナス国際版画ビエンナーレ受賞(ブラジル)、1987年 - 1988年ワークスオンペーパー展買上賞(アメリカ)、1990年インタープリント国際版画美術展大賞(ソ連)、2003年フランス・フォルバック市・メディアテルクギャラリー個展(フランス)、2007年ストラスブール ジャパンフェスティバル「花」個展(フランス)、2011年第23回国際蔵書票版画ビエンナーレ展(名誉メダル賞)(ポーランド)、2013年喜多方市美術館にて個展開催・図録刊行(福島県)、2015年 パリ・サンシュルピス広場「版画の日」個展開催(フランス)など国際的に活動。
代表作
微風の香り
巣立ち
静粛の間
芽生え
無垢無垢
風に触れて
クリスマスローズ
猫と猫頭鷹
ポピー
シマフクロウは獅子座流星群を見た
Entwinement
風に吹かれて
コタン コル カムイ
子猫と小梟
中里斉
画家種
版画家
人物・来歴・経歴・その他
東京都生まれ。ニューヨークにて制作活動をした。2010年、製作中の不慮の事故により急逝した。
1936年 東京生まれ
1960年 多摩美術大学絵画科油画卒(岡田謙三が教授として教鞭をとっていた)。卒業後、北海タイムス社にて美術記者となる。
1962年 ウィスコンシン大学大学院留学、1964年 修士
1964年 ペンシルベニア大学美術大学院入学、1966年 美術修士、イタリア人画家ピエロ・ドラツィオに師事
1966年 - 1968年 ロックフェラー三世基金奨励金取得、ニューヨークにて制作
1968年 - 1971年 多摩美術大学絵画科専任講師、Bゼミ講師、大学紛争に遭遇
1971年 - 2010年 ニューヨーク在住、ペンシルベニア大学美術大学院 アジャンクトプロフェッサー
2010年7月15日、自宅スタジオの脚立から落ちて頭部を強打し、病院に搬送されたが、意識を取り戻すことなく7月17日午後11時31分に死去。
代表作
SENGAI
ペンシルヴァニア・シリーズ
Coe-Arezzo71
丸山浩司
画家種
版画家
人物・来歴・経歴・その他
栃木県足利市出身。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。 当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。
現在、多摩美術大学教授(社)日本版画協会理事、東京藝術大学美術教育研究会運営委員、大学版画学会運営委員。
1972年 - 栃木県立足利高等学校卒業。
1977年 - 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 - 東京芸術大学大学院美術研究科修了。
1981年 - 福島大学教育学部専任講師。
1983年 - 福島大学教育学部助教授。
1995年 - 愛知県立芸術大学助教授。
1999年 - 大学派遣によりニューヨーク研修。
2004年 - 多摩美術大学美術学部教授。
代表作
地中の花
佐藤晨
画家種
日本画
人物・来歴・経歴・その他
東京都荒川区日暮里に生まれる。
1944年岩手県に疎開、1954年同地で岩手県立岩谷堂高等学校卒業。その後、東宝映画宣伝部に入社して同社の直営館関係の宣伝業務に携わりながら、独学で油絵、ペン画を書きためて美術の道に進む。1956年多摩美術大学日本画科に入学し、在学2年の秋に、新制作展(現在の創画会)に「黒い風景」を初出品・初入選。緻密で繊細な描写によって文学色の濃い幻想的な作風で伝統的な日本画の世界に新風を吹き込む。1983年に雅号を佐藤昌美から佐藤晨に改名。1987年から創画会会員。
1965年新制作春季展 春季展賞
1966年新制作春季展 春季展賞受賞
1966年新制作展 新作家賞受賞
1969年新制作展 新作家賞受賞
1970年新制作春季展 春季展賞
1970年新制作展 新作家賞受賞
1971年新制作春季展 春季展賞
1971年新制作展 新作家賞受賞
代表作
鯖と三宝柑
失われた季節
能島和明
画家種
日本画
人物・来歴・経歴・その他
東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。
築館高校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。現在は、河北美術展顧問、日春展委員、日展評議員を務める。宮城県栗原市の栗駒山にてアトリエを構えている。
父は日本画家の能島康明、娘も日本画家であり、日展会員である能島浜江、能島千晴。 弟:能島千秋も日展会員である。妹も日本画をやっており、日展で活躍している。 従兄弟には彫刻家で芸術院会員である、能島征二がいる。
1944 東京浅草に生まれる
1959 河北美術展初入選
1962 奥田元宋に師事 
1963 第6回日展初入選
1966 多摩美術大学日本画科卒業
1968 日春展奨励賞(同 '69 '74 '75)
1970 日春展日春賞(同 '72)
1972 日展特選(同 '75)
1973 第2回宮城芸術選奨
1979 昭和世代日本画展出品 
1980 日展審査員(同 '88 '92 '02 '09)
1981 次代への日本画展出品(同 '82)
1982 第14回日展 会員賞
1994 日展評議員となる 両洋の眼展
2009 第41回日展 文部科学大臣賞 
2013 日本芸術院賞受賞。
2014 河北文化賞受賞。
代表作
鐘巻
敦盛
末の松山
佛淵静子
画家種
日本画
人物・来歴・経歴・その他
1974年東京都生まれ。1998年多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。2000年多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了。
主に人物を対象にした日本画作品で知られている。
現在、無所属。新潟県在住。
代表作
腰掛ける人
冬の日
しぐれの昼
堀浩哉
画家種
画家
人物・来歴・経歴・その他
紙、オイルスティック、箔などを使った絵画作品を制作している。作家活動を始めた当初より、パフォーマンスも平行して行う。ユニット「堀浩哉+堀えりぜ」で活動するほか、NTTインターコミュニケーション・センター学芸員の畠中実も加わった「ユニット00」名義で活動していた時期もある。
1977年にパリ青年ビエンナーレ、1984年にはベニスビエンナーレの日本代表の1人として参加。
富山県立高岡高等学校卒業。1966年に上京。多摩美術大学の受験に失敗するも1年浪人ののち、1967年に入学 。学生運動が盛んであった当時、美術大学における学生組織「美術家共闘会議(美共闘)」を立ち上げ、議長を務めた。当時多摩美術大学の学生だった刀根康尚、彦坂尚嘉、宮本隆司、石内都、山中信夫らが参加。入学した翌年に学生運動の責任を取って大学を除籍された。1971年に「美共闘Revolution」を結成 。2002年に多摩美術大学美術学部絵画学科の教授に招聘され、その後13年間学生への指導にあたった。2014年退官記念展「堀浩哉展 起源」が多摩美術大学美術館で開催。2015年に退官し、同大学名誉教授。
文筆活動にも積極的で東北学に「美術という現場から」と題してVol.3からエッセイを連載している。
代表作
滅びと再生の庭
記憶するために
起源
福永大介
画家種
画家
人物・来歴・経歴・その他
福永大介は1981年東京都生まれ、2004年多摩美術大学美術学部絵画科油絵専攻卒業。09年に第1回絹谷幸二賞を受賞。放置された掃除用具、地面にとぐろをまいた水道ホースなど、直感的に印象に残ったものをモチーフに、擬人的表現によって生き物がうごめいているような、しかし自身が見た「ありのまま」を絵画に描く。人々にとって身近でありながら、普段は目に留めることのない風景のなかに人間性や存在の本質を探っている。
代表作
LocalEmotion

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