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江戸川区について

江戸川区は東京23区の東端に位置し、西を荒川と中川で区切られ、東は江戸川で千葉県浦安市と市川市に接する。

都心部へのアクセスの良さや公園の多さから子育て世代が多いベッドタウンとして発展し、2019年には人口が70万人を超えた。合計特殊出生率も上から数えたほうが早く、中央区に次いで23区内で2番目に高い。水辺の特色ある公園が多く、古川親水公園は日本初の親水公園である。また、葛西海浜公園は都内唯一のラムサール条約登録地である。

江戸川区は小松菜発祥の地としても知られる。現在の江戸川区小松川で徳川吉宗の鷹狩の際に献上され、地名から小松菜と命名されたと伝わる。鹿骨を初め、花卉栽培が盛んであり、特に毎年7月に台東区入谷で開催される朝顔市に出荷される朝顔の約6割は江戸川区産である。一之江や春江町では金魚養殖が盛んで、愛知県の弥富市、奈良県の大和郡山市とともに江戸川は金魚の三大産地として知られているが、開発が進んだ影響で今日では養殖池の多くは区外に移転している。

毎年8月に行われる江戸川区花火大会(市川市と共同開催)は約14000発が篠崎公園先の河川敷で打ち上げられ、市川市側も含めると全国最大の140万人近くの観客を集めている。

企業や学校が集中する都心各区への通勤・通学者やその家族が住むベットタウンとなっている地域が多い。 人口は増加傾向にあり、昭和55年に50万人、平成8年に60万人を超え 、令和元年には70万人を超えた。2020年1月時点で夜間人口(居住者)は700,079人。 内訳は日本人が662,973人、外国人は37,054人であり、外国人は過去最高を記録し外国人の転入が人口増の要因の一つになっている。2005年のデータでは夜間人口(居住者)は653,805人。区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は534,942人で、昼は夜の0.818倍の人口になる。通勤者・通学者で見ると区内から区外へ出る通勤者・通学者は198,502人、区外から区内へ入る通勤者・通学者は79,639人と区内から区外へ出る通勤者・通学者の方が多い

地名は、区の東側を南北に流れる江戸川にちなむ。なお当初、東京市では区役所設置予定地を区名として採用することを原則としており、旧松江町が区役所設置予定地であったことから、区名としては「松江区」が検討されていた。松江の名前があまり知られていなかったことから区の東端を流れる江戸川にちなんで「江戸川区」と命名された。

画家について

・田渕俊夫
東京市江戸川区出身。1965年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。1967年、同大学大学院日本画専攻修了。師系は平山郁夫。

1968年、再興第53回日本美術院展覧会で初入選し、1982年と1985年に日本美術院賞(大観賞)受賞。その後も数々の受賞歴を重ねた。

1995年より東京藝術大学教授、1996年より日本美術院評議員となり、2005年に東京藝術大学理事・副学長、2006年に日本美術院理事に就任。現在は、日本美術院同人・代表理事(理事長)および東京藝術大学名誉教授を務める。

著作に「田渕俊夫 京都を描く―感動を表現する日本画の技法」(1997年)などがある。

・宮島達男
「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基盤に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家である。また、コンピュータグラフィックス、ビデオなどを使用した作品も手掛けている。

美術家を志望したのは佐伯祐三、青木繁の自然体で自由な生き方に憧れたことが発端で、東京都立小岩高等学校を経て1984年(昭和59年)に東京藝術大学美術学部油画科を卒業(学士)、1986年に東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了(修士)。

大学在学中には油絵を学んでいたが、油絵では自分の言いたいことを表現できないもどかしさがあると感じ、現在においても作品制作のテーマとなっている「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」の3つのコンセプトを形にする手段を模索していたところ、偶然LEDと出会う。1987年(昭和62年)には初めてLEDの作品を発表し、1990年(平成2年)にアジアン・カルチュラル・カウンシルの招きによりニューヨークに転居。同年、ドイツ文化省芸術家留学基金留学生としてベルリンに転居し、翌1991年(平成3年)まで居住。1992年(平成4年)の帰国後は茨城県守谷市に転居、以降は1993年(平成5年)にカルティエ現代美術財団アーティスト・イン・レジデンスプログラムによりパリに滞在した。

2006年(平成18年)に東北芸術工科大学副学長に就任。2014年(平成26年)に京都造形芸術大学副学長も兼任。2016年両校を退職。現在は両校の客員教授。

・山田嘉彦
1940年 東京市(現・東京都)江戸川区小岩に生まれる。
1964年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻(林武教室)を卒業。 第32回独立美術協会展に出品。
1966年 東京芸術大学大学院(牛島憲之教室)修了。同大学に勤務。
1969年   フランス政府給費留学生として渡仏。 東京芸術大学の助手をしていた同世代のグループ《十騎会》に参加。第1回展より出品(以後毎回出品)。
1971年 ミッシェル画廊(フランス・カーパントラ)にて個展開催。
1974年 上野の森85年歩み展(東京セントラル美術館)に出品する。
1980年 第29回五都展に出品する(以後第34回まで毎回出品)。
1981年 富山県立近代美術館に「砺波」所蔵される。
1983年 富山を描く-100人100景展(富山県立近代美術館)。
1986年 第1回現美展に出品する(以後毎回出品)。
1987年  東京・京橋画廊にてパステル展開催。 「山田嘉彦画集」が求龍堂より刊行される。 埼玉県立近代美術館にて「斎藤豊作と日本の点描」展に出品。
1993年  東京学芸大学教授となる。 日本テレビ「美の世界」に出演する。
1994年 中野区立もみじ山文化センターに「海を捧ぐ1」収蔵される。
1995年 東京・京橋画廊にて個展開催。
2001年 第1回21世紀展に出品。以降毎年出品。
2005年 日本橋高島屋にて個展。

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