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板橋区にお住いの方へ
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板橋区について

板橋区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。 旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。

武蔵野台地の北端と東京低地の境目にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。北で荒川、北西で白子川によって埼玉県と接する。荒川に近い北部では、新河岸川が西から東に流れる。南部では石神井川が西から東に横切る。区内は東京の市街地で、住宅地・商業地のほか、北部には工場が多い。

2005年に夜間人口(居住者)は507,799人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は456,425人で昼は夜の0.899倍の人口になる。通勤者で見ると区内から区外への通勤者は141,961人、区外から区内への通勤者は94,337人と労働人口の通勤では区内から区外へ出る通勤者のほうが多い。

画家について

・内田青薫
明治35年東京板橋に生れ、大正6年川端画学校入学その後大正10年より荒井寛方に師事してゐた。大正15年第1回聖徳太子展に出品、翌昭和2年からは連年院展に発表して院友から推されたが、12年脱退して新興美術院同人となり、昨16年再び院展に復帰した。復帰後の作は「城」「春昏る」であつた。

・平賀敬
1936 東京都に生まれる
1959 立教大学経済学部卒業
1965 渡仏、以後パリを拠点にヨーロッパの画廊、美術館で意欲的に作品を発表
1968 工藤哲巳とともに、パリ五月革命に奔走
1977 パリのアトリエを引き払い正式に帰国する
2000 箱根湯本にて永眠
2005 晩年を過ごした箱根湯本の邸宅にて平賀敬美術館開館
Retrospective Exhibition
2000 現代の絵師 平賀敬のアヴァンギャルド 嘘作画展(平塚市美術館)
Exhibitions at FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART
2016 「生誕80年平賀敬展-ポップ、サイケデリック そして 浮世絵-」
2015 「ミニアチュール展」
平賀敬、金子國義、金巻芳俊、鈴木弥栄子、北彩子、青山幸代、川島優、浅香弘能、麻生知子、朝倉景龍、加藤竜、大成哲
2014 ”Works on Paper : Collection”
平賀敬、池田龍雄 草間彌生、中村宏、金子國義、菅木志雄、奈良美智、三沢厚彦、天明屋尚、鶴岡政男、小山田二郎
2013 「平賀敬コレクション III 1960s - ’90s」
2013 「沸騰:1950s/’60s 日本美術の一断面」
平賀敬、河原温、石井茂雄、池田龍雄、中村宏、浜田知明、鶴岡政男、小山田二郎、吉仲太造、前田常作
2011 「IN DEPTH」
「ブンキョウアートコレクション展2011」
2010 「-没後10年- 平賀敬・サイケデリックワールド」
2009 「人間像」展
2009 「ブンキョウアートコレクション展2009」
2006 「平賀敬 没後5年
「H氏の優雅な生活シリーズ展 -1960s酒と薔薇の日々-」
2005 「人間像 愛と諧謔展」
(靉嘔、池田満寿夫、工藤哲巳、三木富雄 etc.)
2003 「奈良美智’80,’90/平賀敬’60 人間像:愛と諧謔」
2002 「ミュージアムピースィズ級 作品コレクション展ー1950年代 -1960年代 -」
2001 「人間像 愛と諧謔展」

・村上隆
生来のアニメ好きが高じて、高校卒業後にはアニメーターを志した。尊敬しているアニメ監督は宮崎駿で、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』を観て、アニメーションの仕事に就きたいと思っていた。しかしながら挫折し、同じく以前から興味のあった日本画を習い、2浪の後に東京芸術大学に入学した。同大学では美術学部日本画科に学び、1986年(昭和61年)の卒業時には『横を向いた自画像』(東京芸大美術館所蔵)を製作・提出。
1988年(昭和63年)に東京芸術大学大学院修士課程の修了制作が、首席とならず次席であったために、日本画家への道を断念する。
1991年(平成3年)には、個展 『TAKASHI, TAMIYA』を開催、現代美術家としてデビューした。同年、ワシントン条約で取引規制された動物の皮革で作ったランドセルを展示する「ランドセル・プロジェクト」を展開する。
1993年(平成5年)、東京芸術大学大学院の美術研究科博士後期課程を修了。「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」と題した博士論文をもって、同大学日本画科で初めての博士号取得者となった。
1994年(平成6年)にはロックフェラー財団のACCグラントを得て、「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在した。 
1998年(平成10年)にカリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授。2001年(平成13年)にアメリカロサンゼルスで、展覧会『SUPER FLAT』展が開催され全米で話題となる。2005年(平成17年)4月、ニューヨークで個展 『リトルボーイ展』を開催。自身の作品の他、ジャパニーズ・オタクカルチャーや日本人アーティストの作品が展示され、またリトルボーイ展では「父親たる戦勝国アメリカに去勢され温室でぬくぬくと肥えつづけた怠慢な子供としての日本と、そうした環境ゆえに派生した奇形文化としてのオタク・カルチャー」、「それがゆえにオタク・カルチャーのきっかけはアメリカにもあるのだ」との考えが提示された。翌年2006年(平成18年)にリトルボーイ展はキュレーターに送られる世界で唯一の賞であるニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞した。
2001年(平成13年)アート制作・映像制作や所属アーティストマネージメントなどを企画・運営・販売等、芸術事業の総合商社「有限会社カイカイキキ」と起業する。また、事業部としてアニメーションスタジオ「STUDIO PONCOTAN(スタジオ ポンコタン)」を立ち上げる。
2005年(平成17年)1月末よりPHS会社・ウィルコムのCMに出演。近年は六本木ヒルズのトータルプロデュースの一員やイメージキャラクター『ロクロク星人』のデザイン、フロアガイド冊子のデザインを手がけている。また『ルイ・ヴィトン ミーツ ネオ・ジャポニズム』と題し、高級ファッションブランド、ルイ・ヴィトンをクライアントとするコラボレーション製品などを発表。
2006年(平成18年)に「リトルボーイ展」の成果として芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。
2007年(平成19年)、カニエ・ウエストのアルバム『グラジュエイション』(Graduation)のジャケットデザインを担当。
2008年(平成20年)、米Time誌の""The World's Most Influential People - The 2008 TIME 100""(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)に選ばれた。
2008年(平成20年)、GQ MEN OF THE YEAR 2008を受賞。
2010年(平成22年)に開催されたシンポジウム『クール・ジャパノロジーの可能性』では、「アート界における""クール・ジャパン""の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」と題した講演を行った。講演では、日本のマンガやアニメ、および、それらを生み出した日本自体を肯定的に解釈し、それらの前提のもと、今日ではクール・ジャパンと呼ばれている観点を日本人作家作品によっていかに西洋アート界に体現させていけるか、とのテーマについて初期から漸進的に取り組んできた軌跡を発表した。
2010年(平成22年)10月に雑誌『SUPERFLAT』を創刊し、創刊号ではジェフ・クーンズとの特別対談や、村上隆、東浩紀、椹木野衣、黒瀬陽平、梅沢和木、藤城嘘、福嶋亮大、濱野智史らの記事が掲載される予定であった(未刊行)。
2016年(平成28年)3月に「村上隆の五百羅漢図展」の成果として平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
総監督をつとめるアニメ「6HP/シックスハートプリンセス」が12月30日より放送され、1時間枠のうち22分を線画状態で未完成の第1話の放送にあて、残りは制作経緯や村上の謝罪といったドキュメンタリーの構成になることが明かされた。その後2017年9月には完全版が放送され、2017年12月23日には第2話が放送された。

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