画家一覧

中国の画家

石涛(せきとう)

1642年~1707年 中国広西省出身 中国清初の画家

本名は朱若極。号に清湘・大滌子など。出家後は道済。
元々、明王室出身であったらしく、独特な画風は、前王朝に連なるものとしての鬱屈した抵抗精神の反映であろうといわれ、高く評価されている。
黄山派の巨匠とされ、その絵画芸術の豊かな創造性と独特の個性の表現により清朝きっての傑出した画家として挙げられる。



関良(かんりょう)

1900年~1986年 中国広東省出身 中国の画家

1917年 日本に留学、1923年、東京太平洋美術学校を卒業。上海美術専科学校などで教鞭をとる。上海文史館館員・中国美術家協会理事などを務める。
1927年 北伐戦争に参加し総政治部芸術部門の部長を担当。
1920年代から彩墨戯劇人物画を描き、1930年からは演劇に題材を求める様になり、水墨画の創作研究に従事した。
1986年 86歳で死去。

油画にも優れ、音楽・戯劇に精通しており多彩な才能の持ち主で、西洋画に対しても、非常に造詣が深く、広く国内外の芸術界からも、高い評価を得ている。



王雪涛 (おうせっとう)

1903年~1982年 中国河北省出身 中国の画家

1926年 前北京国立芸術学院を卒業後、学院の講師、教授を歴任する。
1953年 北京中国画研究会副主席となる。
1956年 中国文化代表団の団員として、欧州を歴訪。

字は晓封、号は迟园。
清新な花鳥画を描くことで評価が高く有名。
作品はあでやかで色彩も豊富で、独特な筆さばきで描かれる。
『王雪涛画集』『王雪涛画輯』『王雪涛画譜』『王雪涛的花鳥画』等の作品を作り上げた。



程十髪(ていじゅっぱつ)

1921年~2007年 中国上海市出身 中国の画家・書家

1941年 上海美術専門学校中国画科を卒業する。
1942年 上海大新会社で個展を開催する。
1949年 美術の復興活動に従事する。
1952年 上海人民美術出版社に入社する。
1956年 上海宮廷に絵画を納入する。
1961年 中国画院に参加する。
1980年 日本で展覧会を行う。
1984年 中国画院の院長をつとめる。
2007年 86歳で死去。

本名は程潼。
人物、山水、花鳥画に優れた才能を見せ、伝統技法を守りながらも近代的な技巧を取り入れた表現は高く評価されており、国内だけではなく海外でも高い評価を受けている。
学校に入学するまでは特別誰かから教わった事はなく、学校で絵を学び始めた時には既に絵画の基礎ができていたという。
また、この時、上海美術学校の教師に「十髪」という風変わりな号をつけてもらい、絵画制作を行うようになった。
画風は細筆を巧みに用いた趣のある画風で人物、竹石などを手掛ける一方、写実的な古典人物、仕女、鹿、鳩などを手掛けるなど独自の工夫を凝らし独特の画風を確立していき、上海中国画院にて画師として活躍するようになった。



査士標(さしひょう)

1615年~1698年 山東省海陽出身 中国の明末清初の画家

字は二瞻、号に梅壑散。
新安派の画家で、新安四大家の一人。
諸生に合格したが明が滅んだため仕官せず、詩書画を専念した。
山水画をよくし、書は董其昌の影響を受け、また鑑識に精通していたという。
後年は江蘇省揚州に住み、1698年84歳で死去。
作風は気韻荒寒の趣があると評された。



虚谷(きょこく)

1821年~1896年 中国出身 中国の書画家

姓は朱、名は虚白、号の虚谷。
太平天国の乱で清軍に属して活躍しましたが、後に心に感じるところあり、九華山にて出家し僧侶となり、詩・書・画・に通じた。
揚州に住み、上海に遊行するたびに盛名のあった徐三庚・任頤・胡遠・呉昌碩らと親交を結び、ともに上海で名声を博したと伝えられる。
淡墨を基調にした個性的な色調で山水・花卉・蔬果・禽虫を描き、書もまた風趣に富み独創的な画風。



趙之謙(ちょうしけん)

1829年~1884年 浙江省紹興出身 中国清末の画家・書家・篆刻家

幼少期 代々富商であった為、蔵書がたくさんあり勉学をすることが出来た。また15歳頃より金石学を好んで学んだ。
1849年 20歳に秀才になるが翌年、太平天国の乱に巻き込まれ、科挙の受験は中断された。
1859年に挙人となり、何度か科挙を受験し落第、科挙による出世を諦めるが、北京で潘祖蔭と知遇を得て43歳の時、江西省の知県候補となる。劉坤一の委嘱を受けて『江西省史』の総編集に従事。
1884年 55歳で死去。

字は益甫または撝叔、号は冷君、悲盦、梅庵、无悶、憨寮など。
文人画は10代で学び始め、徐渭や陳淳、石濤、李鱓らに師事して独自の画風を確立した。
書は金石学から書の古法を学び篆書・隷書に優れそこに草書法を加えて斬新な書を作り上げ、さらに深く研究することで、秦・漢の篆書以外にも範囲を広げ魏晋南北朝の時代までも取り入れ、硬直化した篆刻芸術に新様式を樹立した。
また水墨画の伝統を踏まえ画と書を一体と見做した。篆刻は、浙派の丁敬・黄易・蒋仁・陳鴻寿、徽派の鄧石如・巴慰祖・胡唐と両派の区別なく優れたところを学んだ。
彼の一派は新浙派(趙派)と呼ばれ、誰にでも印を売ることをしなかったので作品数は少ない。



傅抱石(ふほうせき)

1904年~1965年 江西省出身 中国の画家・篆刻家

名は長生・瑞麟。号には抱石斎主人。
手工業者の子として生まれ、江西省立第一師範学校卒業後、小中学校で工芸・美術・音楽の教師として務めたのち、徐悲鴻のすすめで日本の帝国美術学校に留学し、横山大観や竹内栖鳳の画を研究してその技法習得に努めた。
帰国後は徐悲鴻の推薦で中央大学美術史教育学科教授に就任。
1947年には上海で個展を開き、北京の斎白石と共に「北石南石」の称を得た。
中華人民共和国建国後、南京師範学院美術家の教授に就任し、のちに江蘇省中国画院院長の任命を受け、関山月と共に人民大会堂にて巨幅山水画の「江水如此多嬌」を製作した。
画は山水を得意としたが、陳洪綬を学んで人物画にも優れ、その画風は宋元を学んだ入念な筆法のものから、海上派らしい荒い筆致のものまで多様である。
また絵画史の研究者としても優れ、数多くの著作をのこした。
61歳で死去。



林風眠(りんふうみん)

1900年~1991年 広東省出身 中国の画家

祖父は石工、父は画家の家に生まれ、19歳にはフランスへ留学してパリ国立高等美術学校で油画を学ぶ。
1925年に帰国後、国立北京芸術専門学校校長兼教授に就任し、真芸術運動を提唱した。
その後、国民政府の大学院芸術教育委員会の主任に就任。
1928年には杭州国立芸術院を創立して、校長兼教授を務め、中国美術家協会の上海分会の副主席も歴任した後、主席へ就任した。
上海中国宮廷に絵画を納め、今後の芸術界に大きく貢献した。
作風は西洋画が中心で特にマティス風の人物や裸女、静物を描いていたが、晩年は重厚な色調で花鳥や人物、風景を描いた。
91歳で死去。



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