画家一覧

日本画家

今井俊満(いまい としみつ)

1928年~2002年
日本の洋画家。
アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。

1948年 第12回新制作派協会展で入賞。
1952年 第1回フランス政府給費留学生として渡仏。
1962年 現代日本美術展優秀賞受賞。
1979年 紺綬褒章受章。
1983年 フランスの芸術文化勲章オフィシエ受章。
1995年 レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章。
1997年 フランス芸術文化勲章コマンドール受章。
2008年には文部大臣表彰。

サム・フランシス、ミッシェル・タピエらと交流しアンフォルメル運動に参加するとともにこれを日本に紹介。
重厚なマチエールを繊細な線で覆う独自の非具象絵画を確立。
1983年頃から日本の伝統美を蘇生させる「花鳥風月」シリーズを発表。
1990年代後半に「広島」や「長崎」などの戦禍の図を発表。



絹谷幸二(きぬたに こうじ)

1943年~
日本の洋画家。日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授、日本美術家連盟理事。

1966年 東京芸術大学美術学部油画科卒業制作展≪蒼の間隙≫で大橋賞を受賞。
1966年 独立美術協会第34回展で独立賞受賞。
1967年 独立美術協会第35回展で独立賞受賞。
1970年 新鋭選抜展に≪記憶の跡≫を選抜出品、優秀賞受賞。
1970年 ベヴィラックア・ラ・マーサ財団主催の展覧会でラ・マーサ賞受賞。
1974年 第17回安井賞展にて≪アンセルモ氏の肖像≫で安井賞受賞。
1977年 ≪アンジェラと蒼い空II≫が昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品に選出。
1978年 イタリア・マニフェスト展にてマニフェスト賞受賞。
1983年 第2回美術文化振興協会賞を受賞。
1985年 第2回日本青年画家展に≪光ふる時≫を出品、優秀賞受賞。
1987年 第4回日本青年画家展に≪時の天使≫を出品、優秀賞受賞、東京芸術大学講師。
1987年 第19回日本芸術大賞受賞。
1988年 第5回日本青年画家展に≪涙するカトリーヌ≫を出品、優秀賞受賞。
1989年 第30回毎日芸術賞受賞、東京芸大助教授。
1993年 東京芸大美術学部教授。
2001年 ≪蒼穹夢譚≫ にて第57回日本芸術院賞受賞、芸術院会員となる。
2009年 絹谷幸二賞が毎日新聞主催で創設される。
2010年 東京芸術大学名誉教授を授与。大阪芸術大学教授に就任。
2014年 文化功労者。

アフレスコ壁画技法の国内第一人者。
空の青を背景に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴的な作品が多い。
代表作に『長野冬季オリンピック公式ポスター』・『アンセルモ氏の肖像』・
『ダリア・ガナッシィーニの肖像』・『アンジェラと蒼い空II』等がある。



小泉淳作(こいずみ じゅんさく)

1924年~ 2012年
日本画家、陶芸家。

特定の画壇に属さない独自の画風が特徴。

慶応大文学部中退し 東京美術学校(現・東京芸大)に入学
50代後半になって 水墨画に開眼し 独自の世界を開いた
鎌倉の建長寺 京都の建仁寺に 天井画を制作
2002年 建長寺創建750年記念事業として雲龍図を作成。
2010年 東大寺本坊のふすま絵を完成させる。



平山郁夫(ひらやま いくお)

1930〜2009年
日本画家。

1973年  東京藝術大学美術学部教授に就任。
1988年  ユネスコ親善大使に就任。
1989年  東京藝術大学学長に就任。1995年まで務める。
1992年  世界平和アピール七人委員会委員に就任。2005年まで務める。
1992年  日中友好協会会長に就任。2008年まで務める。
1992年  早稲田大学より名誉博士号贈呈。
1994年  文化財保護振興財団理事長(現・文化財保護・芸術研究助成財団) に就任。
1996年  日本育英会会長就任。2001年まで務める。
2001年  再び東京藝術大学学長に就任し、2005年まで務める。
2005年  日韓友情年日本側実行委員長に就任。

アジアで人気が高く特に中国政府から評価が高く日中友好協会会長も務め、
「文化交流貢献賞」が贈られている。
平山郁夫は作品制作活動のかたわら、東京芸術大学学長として後進の指導にあたりユネスコ親善大使、日中友好協会全国本部会長、芸術研究振興財団と文化財保護振興財団の
各理事長など、国際文化交流にかかわる要職をつとめ、世界の文化財保護を呼びかける
講演会、シンポジウムへの参画など精力的な活動を行っていた。



菱田春草(ひしだ しゅんそう)

1874年~1911年
日本画家。

1890年 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
東京美術学校にて、岡倉天心や橋本雅邦の指導を受ける。

1903年 大観とともにインドへ渡航。
1904年 岡倉、大観とともにアメリカへ渡り、ヨーロッパを経て翌年帰国した。
1906年 日本美術院の五浦に移転とともに同地へ移り住み大観、観山らとともに制作をした。
1908年 春草は眼病(網膜炎)治療のため、東京へ戻り代々木に住む。
代表作『落葉』は、当時はまだ郊外だった代々木近辺の雑木林がモチーフになっている。1911年 36歳 腎臓疾患(腎臓炎)のため死去した。

美術学校卒業後に心が新しく発足させた日本美術院の正員となり、日本の伝統絵画に西洋絵画の技法を取り込み、新たな日本絵画「日本画」の創造に邁進しました。
その後、1906年より五浦に移転とともに同地へ移り住み大観、観山らとともに制作しておりましたが、受注が無く生活が困窮していた時期となります。
その後第1回文展に出品し好評価を得て、これから世間の評価もうなぎのぼりになろうかとしている時に腎臓病による失明の危機に見舞われて長い療養生活後に代表作の一つである落葉・黒き猫等を発表。



奥村土牛(おくむら とぎゅう)

1889〜1990年
日本画家

1905年 梶田半古の門を叩き、当時塾頭であった小林古径に日本画を師事
1907年 東京勧業博覧会に『敦盛』が入選
1923年 中央美術社第5回展『家』にて中央美術賞受賞
1927年 再興第14回院展『胡瓜畑』が初入選する
1929年 再興第16回院展で『蓮池』により日本美術院院友に推挙される
1932年 日本美術院同人
1935年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科教授に就任
1936年 第1回帝国美術展『鴨』で推奨第1位を獲得する
1944年 東京美術学校(現・東京芸術大学)講師
1945年 空襲で家が焼け、長野県南佐久郡穂積村へ疎開
1959年 日本美術院理事
1962年 文化勲章受章
1978年 日本美術院理事長に任命
1980年 東京都名誉都民
1990年 没、享年101。没後、作品に課せられた巨額の相続税に悩んだ子息がスケッチを焼却処分し話題になった。

晩年には口癖で、芸術に完成はあり得ない。夢はどこまで大きく,未完成で終わるかである。
あくなき追求を生涯を持っていた。



福田平八郎(ふくだ へいはちろう)

1892年-1974年
日本画家

1919年 第一回帝展に「雪」が入選
1921年 第三回帝展に出品した「鯉」が特選となり、宮内省(現・宮内庁)が買い上げる。
1924年 帝展の審査員になり、京都市立絵画専門学校助教授に就任
1932年 「漣」を発表。
1936年 京都市立絵画専門学校教授となる。
1947年 帝国芸術院(同年末日本芸術院)会員。
1948年 毎日美術賞受賞。
1949年 日展運営会理事。
1958年 日展常務理事。
1961年 文化勲章受章、文化功労者。
1969年 日展顧問。
1974年 死去。

福田平八郎の作品の特徴にトリトミングに近い写真的描写で描かれる。
時代背景的にも大正から昭和初期の日本画家の多くは琳派のセンスを取り込んだ作品が多く描かれている。



上村松園(うえむら しょうえん)

1875〜1949年
日本の画家

1890年 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状受賞(この絵を、来日中のヴィクトリア女王の三男アーサー王子が購入し話題となった)。
1893年 幸野楳嶺に師事。火事のため高倉蛸薬師に転居。
1895年 楳嶺の死去にともない、竹内栖鳳に師事。
1903年 車屋町御池に転居。
1914年 間元町竹屋町に画室竣工。
1941年 帝国芸術院会員。
1944年 帝室技芸員
1945年 良平城の唳禽荘に疎開。
1948年 文化勲章受章(女性として初)。
1949年 死去。

戦前には珍しく、女性の画家として活躍をしていた上村松園、世間的にもまだ男尊女卑が強くあり厳しい世間の目がある時から母の仲子は理解を示していた。
女性の絵を女性ならではの視線から描き続けていた。
1948年に文化勲章受章を女性として初めて受賞して戦後を代表する女流日本画家となる。



杉山 寧(すぎやま やすし)

1909年-1993年
日本画家
1931年 美校日本画科卒業。
1934年 第1回日独交換留学生に選ばれベルリン大学で学ぶ。
1938年 肺結核を病む。
1943年 朝鮮満洲支那へ取材旅行。
1947年 日展特選。
1950年 日展審査員。
1951年 「エウロペ」を日展に出展して本格的に画壇に復帰。
1957年 日本芸術院賞受賞。
1958年 日展評議員。
1970年 日本芸術院会員。
1974年 文化功労者、文化勲章受章。
1976年 西ドイツより大功労十字勲章受章。
1977年 東京国立近代美術館評議員。
1991年 東京都名誉都民になる。
1993年 死去。

戦前は日本画の技法を極めた技巧で知られたが、戦後は岩絵具を用いながらも線描などの日本画の技法を一新し、メチエールにこだわった独自の作風を確立した。
エジプトやインドなどの古代遺跡や神像、抽象画や裸婦など従来の日本画にはなかった題材も描いた。
亡くなる直前まで、納得いくまで絵を修正し続けるなど完璧主義者として有名。



松尾 敏男(まつお としお)

1926年2016年
日本画家

1949年 『埴輪』が院展初入選。
1962年 院展奨励賞
1966年 院展日本美術院賞
1971年 芸術選奨新人賞
1975年 院展文部大臣賞
1979年 日本芸術院賞。
1988年 多摩美術大学教授に就任。
1994年 日本芸術院会員。
1998年 勲三等瑞宝章。
2000年 文化功労者。
2012年 文化勲章受章。
2016年8月4日、肺炎のために死去

魚や鳥・花等を好んで描いていた。その他にも富士山や湖等の作品も高く評価される。
技法・色彩豊かな作品から水墨画等の幅広い作品を描き出していた。



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