画家一覧

日本画家

鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう)

1898年~1982年。福岡県出身。人形作家。

1913年 有岡米次郎に博多人形の制作を学ぶ。
1920年 テラコッタで個展を開催。
1932年 紙塑人形制作を始める。
1936年 帝展で入選する。
1942年 日本文学報国会短歌部会初代常任理事となる。 
1946年 日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協会理事、専門委員を務める。
1954年 日本工芸会正会員、日本伝統工芸展鑑査委員、 鑑審査委員専攻委員長、常任理事、
     人形部部長を務める。
1957年 第1回紙塑人形個展を開催。
     第13回日展で依嘱出品。
1961年 人間国宝となる。
1967年 文化財保護審議会専門委員に任命される。
     紫綬褒章を受章。
1968年 第2回迢空賞を受賞。
     勲三等瑞宝章を受章。
1982年 逝去。

博多人形を学び、テラコッタ人形を手掛けた後、紙塑人形の技法を創始する。
塑像の材料作りや貼り付ける和紙の塗りを自ら行い、その芸術性の高さと作品の美しさが評価され、人間国宝にも認定されている。



香取 秀真(かとり ほつま)

1874年~1954年。千葉県出身。鋳金工芸作家。

1897年 東京美術学校 鋳金科を卒業。
1899年 正岡子規門に入り歌人としても活躍。
1900年 パリ万国博で銀賞牌を受賞。
1903年 1943年まで東京美術学校にて40年間教鞭をとる。
1908年 同志と東京鋳金会を設立。
1914年 東京鋳金会を発展させた青壺会を津田信夫らと結成。
1934年 帝室技芸員に認定される。
1953年 美術工芸家として初の文化勲章受章者となる。

1903年から母校に勤め、鋳金史、彫金史などを講義するなど、金属工芸を美術として認知させるための活動に尽力した鋳金工芸作家。
また、国宝や重要美術品等の文化財の保護にも努めた。
帝室技芸員(現在の人間国宝)や、文化勲章を受賞している。



瑛九(えいきゅう)

1911年~1960年。宮崎県出身。画家、版画家、写真家。

1925年 上京して日本美術学校洋画科に入学。
1927年 「アトリエ」「みずゑ」等に投稿するなど盛んに執筆活動を行なう。
1930年 オリエンタル写真学校に入学。フォトグラムを試作。
1935年 久保貞次郎と交友。中央美術展で「海辺」が入選。ふるさと社を結成。
1936年 フォトデッサン集「眠りの理由」刊行。新時代洋画展同人となる。
1937年 第1回展にフォトコラージュ連作「レアル」を出品。
1940年 独立美術協会の研究所などで学ぶ。
1951年 デモクラート美術家協会を結成。
1952年 久保貞次郎、北川民次らと「創造美育協会」を創設。
1960年 逝去。

自由な精神で自由な表現をすることを生涯貫き通し、様々な技法や表現を追求し、
多くの作品を残した。
また、優れた芸術家であると同時に熱心な啓蒙家でもあり、多くの若い画家に影響を与えた。



福井 良之助(ふくい りょうのすけ)

1923年~1986年。東京都出身。洋画家、版画家。

1946年 太平洋画会展で『みちのくの冬』が初入選し、一等賞を受賞。
1954年 第18回自由美術協会店で『窓』が佳作賞。
1959年 孔版による初めての個展を開く。その後国際版画展等に出品。
1961年 第6回日本国際美術展に出品。ニューヨークで個展 。
1962年 第5回現代日本美術展に出品。
1963年 第7回日本国際美術展に出品。リュブアナ国際版画ビエンナーレ展に参加。
1964年 アメリカで個展開催。
1967年 国際形象展に招待出品。
1985年 第9回長谷川仁記念賞を受賞。
1986年 逝去。

情緒的に彩られるセピア調に、独特のタッチの繊細さが混合した画風が特徴。
横顔の画家として知られており、特に女性を描く作品には彼の良さが大きく表れています。
海外にも多くの作品を出品しており、国内外共に大きな評価を得ています。



福沢 一郎(ふくざわ いちろう)

1898年~1992年。群馬県出身。洋画家。

1931年 第一回独立美術協会展(東京府美術館)に滞欧作が特別陳列。
1939年 独立美術協会を脱会し、美術文化協会を結成。
1941年 治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署に拘置される。
     以後終戦まで、前衛的な絵画活動を厳しく制限され、戦争協力画制作などに従事。
1952年 文化自由委員会の日本代表として国際フェスティバルに参加するため渡仏。
1957年 第4回日本国際美術展に[埋葬]を出品、日本部の最高賞を受ける。
1976年 「福沢一郎展」が群馬県立近代美術館で開催。
1978年 文化功労者に選ばれる。
1988年 「福沢一郎展」が、群馬県立近代美術館と世田谷美術館で開催。
1991年 文化勲章受章。
1992年 逝去。
「文化勲章受章記念 福沢一郎展」が群馬県立近代美術館で開催。

パリ留学中にシュルレアリスム絵画の影響を受け、その画風を日本にも紹介した画家。
また、社会風刺や文明批判を盛り込んだ作風で大作や連作を発表し続けた。
戦後は原色を用いた力強く鮮烈な画風を確立し、宗教的なテーマに取り組んだ。



山口長男(やまぐちたけお)

1902年~1983年 韓国京城府(現ソウル) 洋画家

1921年 本郷洋画研究所で岡田三郎助に学び、20歳になった1922年東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
1927年 東京美術学校を卒業後、フランスに留学。パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、オシップ・ザッキンらに大きな刺激を受ける。
1931年 1962年まで二科展へ出品、抽象的な作風の作品制作を開始。
1938年 吉原治良ら二科会の前衛作家とともに九室会を結成。
1953年 日本アブストラクト・アート・クラブの創立に参加し、1954年に会員としてニューヨークでのアメリカ抽象美術展に出品。
1954年 毎日現代美術展最優秀賞を受賞。
1962年 芸術選奨文部大臣賞を受賞
1955年 第3回サンパウロ・ビエンナーレ、1956年に第28回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として出品、その後、グッゲンハイム賞美術展、チューリッヒ市立美術館の「現代日本の絵画展」など、国外での出品も広がる。
1961年 芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1982年 武蔵野美術学園長就任。
1983年 80歳で死去

日本の抽象美術の開拓者。
「ハード・エッジ」の抽象絵画とは違い、黒系の地に黄土色または赤茶色系の大きな色面を配し、温かみを感じさせる作品を多く制作。
幾何学的な形の組み合わせと色数の限定が特徴的で、晩年ではより単純化された抽象画を確立した。



児玉幸雄(こだま ゆきお)

1916年~1992年 大阪府大阪市出身 洋画家

1936年 中学1年の時から絵を描いていたが、関西学院大学経済学部に進学。在学中に関西美術展に入選し、この頃より田村孝之介に師事。
1937年 二科展に『赤い背景の人形』が初入選。
1938年 全関西美術展にて全関賞受賞。
1947年 二紀会に参加し二紀会委員となる。
1950年 第4回ニ紀展同人賞受賞。
1952年 第6回ニ紀展同人優賞受賞。ニ紀会委員に就任。
1957年 渡欧。パリの下町に1年間滞在。最初の渡欧以来ほとんど毎年訪欧し、ヨーロッパ庶民の生の姿を主題に描き続ける。
1959年 日本橋三越、梅田阪急で滞欧作品展開催。
1981年 石版画集『フランスの四季』『パリ――12ヶ月』を出版。
1986年 師匠であった田村孝之介の死去に伴いニ紀会退会。
1992年 75歳で死去。

40年代以降たびたび渡欧し、広場や市場に集う市井の人々を描いた。



後藤純男(ごとう すみお)

1930年~2016年 千葉県野田市出身 日本画の画家

1946年 山本丘人に師事。
1947年 この年より5年間、埼玉県内の小・中学校で教職に就きながら創作を続ける。
1949年 山本丘人の紹介で田中青坪に師事、日本画を修業。
1952年 再興第37回院展で『風景』が初入選。 この年に5年間の教員生活を終える。
1954年 日本美術院院友に推挙される。
1955年 この頃から1963年頃まで関西、四国の真言宗の寺を巡り、スケッチ旅行をする。
1960年 この頃から1969年頃まで、北海道各地を取材。
1965年 再興第50回日本美術院展覧会で日本美術院賞と大観賞を受賞。日本美術院特待にも推挙される。
1969年 再興第54回日本美術院展覧会で日本美術院賞を受賞。
1974年 日本美術院の経営責任者の地位である同人に推挙される。
1976年 再興第61回日本美術院展覧会で『仲秋』が文部大臣賞を受賞。
1986年 再興第71回院展で『江南水路の朝』が内閣総理大臣賞受賞。
1997年 北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。
2006年 旭日小綬章を受章。
2016年 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞
2016年 86歳で死去

日本美術院の中心的な画家として活躍。1988年(昭和63)から1997年(平成9)まで東京芸術大学の教授として後進の指導を行った。
四季折々の情趣の中に、奈良・京都など日本の都の風物を情感と宗教的な荘厳さで描き、さらに、雄大な中国の自然やそこに生きる人々を優しく、厳しい眼差しのもとに描いた。



澁澤卿(しぶさわ けい)

1949年~2012年 群馬県伊勢崎市 日蓮宗僧侶・日本画家

1967年 大伯父にあたる和田三造の進めにより東京藝術大学工芸科デザイン専攻を受験、洋画家の大藪雅孝に師事し有元利夫らと共にデッサン等基礎を学ぶ。
1974年 東京芸術大学美術学部工芸科デザイン専攻を卒業し日本橋高島屋宣伝部にデザイナーとして勤務する。
1977年 出家得度して日蓮宗僧侶となる。
1982年 東京芸術大学非常勤講師に就任。
1989年 バーゼル・アートフェア(スイス)に出品 、1990年には現代日本の屏風絵展(ドイツ・アイルランド・日本)に出品、1991-2000年は現代作家美術展(東京・京都・富山・金沢・名古屋美術倶楽部)に出品、現代日本絵画展(北京故宮博物院)に出品。
2001年 身延山大学客員教授に就任。
2012年 63歳で死去

繊細なタッチで日本の四季を描き、やさしい画風で多くの絵画ファンに愛されている。
僧侶としての独自の世界観を絵画に表現し、「描く坊主」としても有名。



加山又造(かやま またぞう)

1927~2004年 京都府京都市出身 日本画家・版画家

1927年 父が西陣織の衣装図案師、祖父は京都四條派・円山派に学んだ絵師と芸術家系に生まれる。
1949年 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画家を卒業し、山本丘人に師事。
1950年 第2回創造美術春季展『動物園』『自画像』で研究会賞受賞。
1961年 ニューヨークのジャネット・ネスラー画廊で個展。
1973年 第5回日本芸術大賞受賞。
1978年 東京国立近代美術館から依頼された紙本壁画『「雪」「月」「花」』を作成。
1980年 『月光波濤』で第30回芸術選奨文部大臣賞受賞。
1982年 第1回美術文化振興協会賞受賞。
1988年 東京芸術大学教授に就任。
1997年 京都の天竜寺法堂の『雲龍図』が完成し、文化功労者として顕彰。
2003年 文化勲章を受章。
2004年 76歳で死去。

日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。
身延山久遠寺本堂や天龍寺法堂には巨大な天井画を残し、BMWの車体全体を日本の伝統技能で施したり、日航ボーイングLR機の機内壁面画を描いたりと日本画の革新を目指して意欲的な活動を展開した。
1997年に文化功労者に選ばれ、2003年に文化勲章を受章。



美術品無料査定致します お気軽にお問合せください

絵画・骨董品・西洋アンティーク等 美術品の買取

日本美術保全協会は、全国各地で美術品の買取に対応しております。