画家一覧

日本画家

陸厳少(りくげんしょう)

1909年~1993年 中国上海市出身 中国の画家

・無錫美術専門学校にて、王同愈から詩文を学び、馮超然から絵を学ぶ。
・呉湖帆と知り合い、南北の景勝地に遍歴する。
・上海中国画院画師、浙江美術学院教授、中国美術家協会理事など歴任。

山水画を得意とし、柔と剛を巧みに操り、雲や水の動きは変化が尽きることがなく、余白や墨の塊を使い方の表現は非常に優れている。
また、人物・花鳥・書も書き、画業以外にも中国美術家協会理事など歴任した。



蒲作英(ほさくえい)

1832年~1911年 中国浙江省嘉興出身 中国の画家


1911年 79歳で死去。

清代末期頃の海上画派の画家で、書も良く書いた。
作風は洗練された筆墨と天然情緒に富んでおり、山水・草書・花卉を得意とした。



羅振玉(らしんぎょく)

1866年~1940年 中国浙江省上虞出身 考古学者・教育者

1891年 劉鶚と知り合い、劉鶚の持つ亀甲獣骨文字の拓本を目にする機会を得る。羅振玉はそのあとを継いで甲骨文字の研究に打ち込み、『殷墟書契考釈』を発表。
1896年 上海に東文学社を設立し、日本語を翻訳できる人材を育成、沈肱・樊少泉・王国維らを輩出した。
1911年 辛亥革命時には、日本に亡命し京都で内藤湖南、狩野直喜らと交流。
1930年代 満州国の成立とともに溥儀に仕え、晩年は満州国で参議府参議、日満文化協会会長などを歴任した。
1940年 74歳で死去。

劉鶚の持つ亀甲獣骨文字の拓本を目にする機会を得えることにより、そのあとを継いで甲骨文字の研究に打ち込み、『殷墟書契考釈』を発表した。そのため王国維・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称されている。
甲骨文字研究以外では敦煌学の分野にも大きな役割を果たしている。1900年代、敦煌文献を獲得したポール・ペリオと会い、まだ残されているものがあると知ると、敦煌から残りのものを北京に運ばせて、京師図書館に収蔵させた。
紫禁城に保存されていた明清時代の档案(行政文書)が古紙として処分されそうになっているのを知り、古紙業者から買い戻し、貴重な歴史資料が失われるのを防いだ。



銭松嵒(せんしょうがん)

1899年~1985年 中国の画家

幼少時 父親に古文・詩・書道・絵画を学ぶ。
1918年 江蘇第三師範に入学し胡汀鷺に学び、卒業後は蘇州で小中学校教員をし、1927年からは無錫美術専科学校教員をする。
1957年 国画制作に専念。
1985年 86歳で死去。

山水画の優れた伝統と現代山水画の新しい作風を融合させて、色彩豊富な独待の風格を持った新しい山水画を制作した。



張善孖(ちょうぜんし)

1882年~1940年 中国四川省出身 中国の動物画家

またの名を張沢。字は善孖、善子、善之、号は虎痴。
上海美術専科学校教授を歴任した。
山水・花鳥・魚・虫・走獣、中でも虎の画を得意とした。
抗日戦争後渡米、チャリティー画展を開いた。
59歳で死去。
長年虎を飼いながら観察や写生をして、独自の画風を完成させ、その虎画は切手にもなっている。



林良(りんりょう)

生没年不詳 中国広東南海出身 中国(明)中期の画家

成化年間(1450年~1487年)の宮廷画家で同郷の顔宗に山水画、何寅于に人物画を学ぶ。
北京にて天順中内廷供奉、工部営繕所丞に推薦され、後に仁智殿に入り錦衣衞鎮撫となった。
その作品は、前期の写実的な着色花鳥画、後期の草書のような筆使いと没骨の墨面を駆使した水墨写意花鳥画は高く評価された。
作詩もよくした。



王原祁(おうげんき)

1642年~1715年 中国江蘇省太倉出身 中国の文人画家

字は茂京、号は麓台。王時敏の孫。
王時敏、王鑑、王翬、呉歴、惲寿平とともに四王呉惲の一人に数えられる。
幼少より祖父や王鑑に南宗画の伝統的山水を学ぶ。
内廷供奉として、『佩文斎書画譜』の編纂を行った。
清初の文人画風の典型を作ったと云われている。



呉湖帆(ごこはん)

1894年~1968年 中国江蘇省蘇州出身 中国の画家・書家・鑑定家

初名翼燕、のち萬、字は橘逡または東荘、呉大澂の孫。
両祖父から受け継いだ古書画や古銅器を守りながら絵画を学んだ。
陸恢に学び山水をよくし、二十五歳で生業と、のちに上海に出て、正社書画会を経営し、梅景書屋で画法を教授した。
花卉、墨竹もたまに描き、俊逸淡雅と評された。
また、書画の鑑定に明るかったという。



沈周(しんしゅう)

1427年~1509年 中国の書画家

沈周は、幼少の頃から人並み外れて聡明で一度読んだ書物はすぐに覚えてしまうほど記憶力が良く、幼い頃から陳寛に師事し、成長してからは経伝子史百家を幅広く学び、医術や占術、民間の通俗史書や伝奇物語まで読んだという。
そして、最終的には中国の明代中期の文人にして画家で、文人画の一派である呉派を興し「南宋文人画中興の祖」とされた。
また蘇州文壇の元老として中国文学史上に名をと残し、書家としても活躍。
詩書画三絶の芸術家として後世になっても評価が高く、沈周・文徴明・唐寅・仇英の四人で、「明四大家」と称された。



乾隆帝(けんりゅうてい)

1711年~1799年 清の第6代皇帝

清の皇帝に25歳で即位すると、その後はジュンガル、四川の金川、グルカに2回ずつ、回部及びバダフシャーン、台湾、緬甸、越南に1回ずつの計10回の遠征(十全武功)を行い、領土の拡大を行った。
内政として、古今の優れた書物を書き写し、四庫全書を残した。
また、本人も数多くの漢詩を作成した。
88歳で死去。



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