画家一覧

日本画家

山下清(やました きよし)

1922年-1972年
日本画家

1925年 重い消化不良で命の危険に陥り一命こそ取り留めたものの、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う。
1934年 知的障害児施設 八幡学園へ預けられる。
この学園での生活でちぎり紙細工に出会う。
1940年 八幡学園を出て放浪の旅へ出る。
この時のイメージにてドラマ裸の大将ができる。
1956年 東京大丸で山下清展を始め、全国巡回展を行う。
1961年 式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行。
1971年 脳出血のため死去。

驚異的な瞬間記憶を持っていたので、サヴァン症候群ではと言われている山下清ですが、花火が好きだったらしく、全国の花火大会に行き作品作りにしておりました。
所属していた画壇がなかったため、その作品を鑑定できる者がいないことから、贋作が多く出回り一時は騒動となった。



小磯良平(こいそ りょうへい)

1903年-1988年
洋画家

1925年「兄妹」が帝展入選。
1926年「T嬢の像」が帝展特選を果たす。
1928年 フランスに留学した時にルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼ「カナの婚礼」に衝撃を受け、群像表現を極めることを生涯のテーマとする。
1933年 神戸でキリスト教の洗礼を受ける。
1936年「新制作派協会」(現・新制作協会)の結成に加わる。
1938年 1年間藤田嗣治らとともに陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を製作。
1941年 群像画の傑作「娘子関を征く」と「斉唱」を相次いで発表。
自身は当時、群像を書くため精力的に戦争画に取り組んだが、戦意高揚のために戦争画を書いてしまったことに心が痛むと晩年に語っている。
1970年 日本聖書協会の依頼により32点の聖書の挿絵を作成。

肖像画や群像表現に定評があり後進の指導も積極的に行い日本洋画界に大きな功績を残した。

代表作品一例

「T嬢の像」(1926年、兵庫県立美術館蔵)
「彼の休息」(1927年、東京藝術大学大学美術館蔵)
「日本髪の娘」(1935年、韓国国立中央博物館蔵)
「着物の女」(1936年、神戸市立小磯記念美術館蔵)
「練習場の踊り子達」(1938年、東京国立近代美術館蔵)
「斉唱」(1941年、兵庫県立美術館蔵)
「娘子関を征く」(1941年、東京国立近代美術館蔵)
「二人の少女」(1946年、神戸市立博物館蔵)
「働く人びと」(1953年、三井住友銀行蔵)
「婦人像」(1960年、神戸市立小磯記念美術館蔵) - 元宝塚歌劇団の八千草薫がモデルを務めた作品
「絵画」(1974年、赤坂迎賓館蔵、赤坂迎賓館の大ホールにて展示)
「音楽」(1974年、赤坂迎賓館蔵、赤坂迎賓館の大ホールにて展示)
「KOBE, THE AMERICAN HARBOUR」(1985年、兵庫県公館)



東郷青児(とうごう せいじ)

1897年-1978年
洋画家

1914年 青山学院中等部を卒業。
日本橋呉服町に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝う。
1915年 日比谷美術館で初個展。この頃有島生馬を知り、以後師事。
1916年 第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』により二科賞を受賞。
1921年 フランスに留学。
この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。
1928年 第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品。
1929年 愛人の西崎盈子(みつこ)とメスで頸動脈を切り、ガス自殺をはかったが、救出される。
1931年 二科会入会。
1938年  二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1957年  岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。日本芸術院賞受賞。
1960年 日本芸術院会員。
1961年 二科会会長に就任。
1969年 フランス政府より芸術文化勲章(オフィシエ)を授与される[3]。
1976年  勲二等旭日重光章授与。
1978年 急性心不全のため死去。没後、文化功労者、勲二等旭日重光章、正四位追贈。

独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた甘い女性像が人気を博し
本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。
派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。



彼末宏 (かのすえ ひろし)

1927年-1991年
洋画家

1953年 国画会展に初入選,
1960年 「城跡」で会友優作賞を受賞会員。
1962年 東京芸大教授。
1991年 死去。

個性的で独自の暗色の地に明るく鮮やかな色点が独自の画風です。



野間仁根(のま ひとね)

1901年-1979年
洋画家
1922年 久遠社を結成し美校倶楽部にて第1回展開催。
1924年 「静物」第11回二科展出品、初入選。神田竹見屋にて個展開催、約30点出品。
1925 東京美術学校卒業。卒業制作百号「裸婦」。「静物」第6回中央美術展出品。
9月、「静物」第13回二科展出品。童顔社展、約20点出品。
9月、「娘と人形」「摘草」など5点、第14回二科展出品。
9月、童顔社解散。
1928 
9月、「夜の床」など3点第15回二科展出品、第15回樗牛賞授賞。作品「壺の中のダリヤ」。
1929 1月、紀伊國屋にて展覧会。
拓榴社同人となる。「操り人形四種」「玩具の会話」第10回中央美術展出品。
9月、「ぜ・ふうるむうん」「友達」第16回二科展出品、二科賞受賞。
11月、銀座資生堂の漣洋画展に出品。
11月、拓榴社展に出品。作品「アルルカン」「柿」。
1930 9月、「龍桜」「濤声」「冬夜の歌」第17回二科展出品。二科会友となる。
1931 佐藤春夫作「むさしの少女」に挿絵を描く。
9月「La Promenade de l’artiste」「鴎」第18回二科展出品。アンデパンダン展出品。
1932 9月、「夏の夜の戯れ」「小鳥は楽しく鳴いている」第19回二科展出品。
9月、千駄木、福原平一借家に移住。
12月、津倉にて岡山市都窪郡帯江村、長瀬又七長女、志那子と結婚。
1933 9月、「画室」「睡れる旅人」第20回二科展出品。二科会々員となる。本郷区駒込千駄木町に移る。作品「麦畑と子供」。
1934 1月、長女佳子生まれる。下谷区に移る。銀座画廊にて個展開催。
9月、「魔法の森」第21回二科展出品。作品「かぶと虫と話す牛」「ライオンとかぶと虫」。
1935 長男伝治生まれる。新宿紀伊國屋画廊にて個展開催。
9月、「晩夏交響楽」「海辺」(2点)第22回二科展出品。作品「家族」。
1936 本郷駒込坂下町に移る。
9月、「花園の友人」「鮒と麦の花」など5点第23回二科展出品。
9月、坪田壤治『風の中の子供』(東京朝日新聞夕刊)の挿画連載を始める。作品「夜々の星」「壁」。
1937 二男雅二郎生まれる。銀座日動画廊、銀座ラテン画廊にて個展開催。坪田壌治作「三平チャンと善太君」(大阪朝日新聞夕刊)にて挿絵を書く。9月「夏の淡水魚」第24回二科展出品。
1938 2月、銀座日動画廊にて熊谷守一と共に個展開催。
8月、臨時召集により山砲兵第11連帯に応召、中国へ渡る。
9月、「夏園」「田園」第25回二科展出品。作品「薔薇と雀」
1939 5月、召集解除。日動画廊にて個展開催。約20点出品。銀座三越にて第1回新水彩展開催。「看護婦の散歩」「花と水鳥」「檳榔樹の並木」第26回二科展出品。
1940 1月から千葉県安房郡太海へ、8月伊豆、10月茨城県龍ヶ崎町など写生旅行。
第2回新水彩展、第5回京都市美術展、無涯社第1回展などへ出品。「春の海」「朝陽」春季二科展出品(高島屋)。「花実と白鷺」第27回二科展出品。
5月、日動画廊で個展開催30点余を出品。『童話集』(小川未明著)『童心の花』(坪田壌治著)『愛児煩悩』(舟橋聖一著)の装幀を行う。
1941 4月、妙義山写生旅行。
5月、長野県初谷砿泉に写生旅行。
5月、三男利根生まれる。
6月、日動画廊にて新作油絵展開催。20点余を出品。
7月、大阪三角堂で個展開催。仏印巡回絵画展、洋画10作家新作発表展に出品。
10月、文化奉公会出征画家展に「広東の回想」出品。台東区桜木町に移る。作品「虫と猫」。『井伏鱒二随筆集』の装幀と表紙、扉画、『ドン氏の行列』(太田博也著)の装幀と表紙と扉画を行う。
1942 2月、嵯峨嵯温泉写生旅行。
第2回出征美術家展に出品、火野葦平作「ハタノウタ」に挿絵を書く。
8月、井伏鱒二の小説『花の街』(東京日々新聞朝刊)の挿画連載を始める。
9月、二科展に「越後毛渡沢渓流」「子供勤労」「葛飾の子供」を出品。
1944 1月、愛媛県に疎開。二科展解散。
1945 再建二科会入会。秋の審査に上京。作品「迷宮物語」。三男博生まれる。
1946 9月、「夜釣」「滞船」など6点第31回二科展出品。
1948 9月、「銀河」「夜々の星」など4点第32回二科展出品。作品「魚」
1948 作品「風景」「瀬戸内の海」
1949 作品「田舎の家族」「受胎告知」「処女宮」。
9月、「かっぱと花」「壺の花」など6点第34回二科展出品。
1950 9月「すばる星と金牛宮」「夜曲夜釣」など4点第35回二科展出品。
1951 9月、「魚歌水心」「魚譜」など4点第36回二科展出品。
作品「星座」「海」。
1952 日展改組に審査員として出席、7月上京。
9月、「海の花苑」「川口」など4点第37回二科展出品。
「瀬戸内海・南浦風景」芸大文庫買上げ。毎日新聞連載、石川達三作「青色革命」に挿絵を書く。作品「漁火」
1953 2月頃家族上京。
9月、「漁火」「子供と昆虫」「谷中の森」第38回二科展出品。
作品「漁介」「兄弟と昆虫」「春潮」「嵯峨沢渓流」「房州太海海岸」。
1954 東京の自宅を回収。作品「牡丹」「浜離宮」、「5月の花」国際新美術展出品。
9月、「昆虫」。「街の散歩」など5点第39回二科展出品。
1955 6月、鈴木信太郎らと二科会退会。7月、鈴木、高岡徳太郎らと一陽会結成。9月、日本橋高島屋で第1回展開催、「星座・アンドロメダ」「貝殻」「生物B」「双魚」出品。
1956 日動画廊にて近作展開催。
8月、「森のニンフ」第2回一陽会出品。「メバル」
1957 8月、「渦潮」「裸婦七人」第3回一陽会出品。
1958 野間仁根個展開催。
9月、「水浴」「水辺の物語」第4回一陽会出品。「外房州天面海辺」。
1959 9月「鳥の会話」第5回一陽会出品、「魚と釣師」。
1960 第1回谺会出品。野間仁根新作油絵展。秀作デッサン展。
9月、「ダリア」「疚太風景」第6回一陽展出品。作品「河童の酒宴」「メバルとヨメガサ」。
1961 野間仁根油絵個展を松坂屋で開催。
9月、「聖人文壺のダリア」など3点第7回一陽展出品。作品「蜂」
1962 野間仁根新作油絵展、野間仁根油絵小品展開催。
9月、「浜木綿」など3点第8回一陽展出品。
1963 9月、「漁村の岩山」など3点第9回一陽会出品作品「浜木綿」「星座・琴の二重星」。
1964 9月、「天河」「薔薇」第10回一陽会出品。「春の星座」。
1965 9月、「未来水道」「魚の散歩」第11回一陽会出品。
1966 9月、「吉浦漁村」「天面漁村」第12回一陽会出品。
1967 千代田画廊にて、田崎広助、鈴木信太郎らと「三人展」開催。
9月、「来島水道仲度島付近」「能島水道」第13回一陽会出品。
1968 9月、「瀬戸内海・早川」「瀬戸内海・能島鯛崎」第14回一陽会出品。
1969 9月、「瀬戸内海石槌山遠望」「瀬戸内海早川の景」第15回一陽会出品。
1970 9月、「森の友達」「虫の演奏会」第16回一陽会出品。
1971 9月、「瀬戸内海・仲度島付近」「瀬戸内海漁港」第17回一陽会出品。
作品「メバル」「瀬戸内海・釣魚」「神々の集い」。
1972 9月、「瀬戸内海伯方島遠望」「瀬戸内海南浦の朝」第18回一陽会出品。
作品「露草とカマキリ」「露草とカタツムリ」「山彦」。
1973 9月、「常石の眺望」「森の人々」第19回一陽会出品。「アネモネ」
1974 9月、「天ノ河」「森の友達」「旧作森の物語」第20回一陽会出品。「蟹」。
1975 9月、「森の友達」「虫の演奏会」第21回一陽会出品。「沼の河童」。
1976 9月、「森の猿」「森の妖精」第22回一陽会出品。「水辺の鳥」「森の人々」。
1977 9月、「蛙と猿」「ニンフの午睡」第23回一陽会出品。「外房州天面」。
1978 9月、「マリオネットの散歩」「森のヒッピイ」第24回一陽会出品。「泊港滞船」。
1979 9月「芸術の散歩」「森の楽人」第25回一陽会出品。「富嶽」絶筆「森の鳥たち」。12月30日逝去。78歳。

鮮やかな色彩と骨太な筆伸で幻想的な独特の画風です。



奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )

世界的に評価されているポップアート作家。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。

1984年 初の個展 (名古屋市)
1984年 グループ展「奈良美智、三浦孝治二人展」 SPACE DENEGA 弘前市での初の展覧会
1999年1月13日 - 2月14日 個展「Walking alone」 ザ・ギンザアートスペース(現 資生堂ギャラリー。東京)
2000年3月18日 - 6月25日 個展「Walk On」 シカゴ現代美術館
2000年3月24日 - 5月20日 個展「Lullaby Supermarket」 サンタモニカ美術館

個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001年8月-2002年9月)

個展「Nothing Ever Happens」(2003年9月-2005年5月) クリーブランド現代美術館、2003年9月12日 - 2004年1月4日
ペンシルベニア大学現代美術館、2004年1月24日 - 4月3日
サンノゼ美術館、2004年7月25日 - 10月31日
セントルイス現代美術館、2004年12月3日 - 2005年2月26日
ホノルル現代美術館、2005年3月25日 - 5月22日

2004年8月11日 - 10月11日 個展「From the Depth of My Drawer」 原美術館(以後、金津創作の森(福井県)、米子市美術館、吉井酒造煉瓦倉庫(下記)、ロダンギャラリー(ソウル)を巡回)
2005年4月16日 - 5月22日 個展「From the Depth of My Drawer」 吉井酒造煉瓦倉庫
2005年9月28日 - 12月18日 グループ展 奈良美智+graf「A to Z」 横浜トリエンナーレ
2005年10月8日 - 10月9日 グループ展 「とがびアートプロジェクト2005」長野県千曲市戸倉上山田中学校
2006年7月29日 - 10月22日 個展 奈良美智+graf「A to Z」 吉井酒造煉瓦倉庫
2006年9月30日 - 2007年3月21日 個展「Moonlight Serenade -月夜曲」 金沢21世紀美術館
2006年11月3日 - 2007年1月14日 グループ展「広島市現代美術館コレクションによる『この20年の、20のアート』」 札幌芸術の森美術館
2007年6月2日 - 2007年10月7日 個展 奈良美智「Yoshitomo Nara 奈良美智展」 ハーグ現代美術館
2007年9月21日 - 2008年1月6日 個展 奈良美智+graf「Torre de Malaga (Tower of Malaga)」 マラガ現代美術館
2008年6月12日 - 10月26日 個展  BALTIC現代美術センター イギリス
2012年7月14日 - 9月23日 横浜美術館 『[nara yoshitomo:a bit like you and me] 奈良美智:君や僕にちょっと似ている』
2014年10月3日 - 12月7日 「Greetings from a Place in My Heart」 Dairy Art Center ロンドン
2014年11月7日 - 11月9日 沢田マンションギャラリーroom38 『3日間の奈良美智・ドローイングショウ』
2015年3月6日 - 7月26日 「Life is Only One / 無常人生」 Asia society Hong Kong 香港


にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。見た目の親しみやすさからイラスト的という批判も受けるが、自身のスタイルを変えることはない姿勢で、高い評価を受けている。
自身の作品の他には著名な音楽アーティストのCDジャケットのデザインを手掛けている。
2009年国内オークション会社高額落札TOP10に2点ランクイン。3位「ASH NIGHT」2000年制作(落札額5,700万円)、6位「Winter Long」1999年制作(落札額4,025万円)。

受賞
名古屋市芸術奨励賞(1995年)
ニューヨーク国際センター賞(2010)
芸術選奨文部科学大臣賞(2013)



千住 博(せんじゅ ひろし、1958年1月7日 - )

日本の画家。

1958年1月7日 東京都杉並区に生まれ。
1964年 慶應義塾幼稚舎(小学校)に入学。
1970年 慶應義塾普通部(中学)に入学。
1974年 慶應義塾高等学校(高校)に入学。
1978年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学。
1982年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。
1984年 東京藝術大学大学大学院修士課程修了。修了制作藝大買上。
1987年 東京藝術大学大学院博士課程単位取得満期退学。修了制作東大買上。
1988年 ガレリアフォルニ(ボローニャ・イタリア)にて個展
1989年 オーストラリア・シドニーにあるマンリー市立美術館で個展。「ジ・エンド・オブ・ザ・ドリーム」を発表。
1990年 神奈川県立近代美術館で「収蔵作品による近代日本画の歩み展」に参加。
1993年 ニューヨークの美術誌「ギャラリーガイド」の表紙に選出される。ニューヨークのマックスウェルデビッドソンギャラリーで個展。「Flatwater」を発表。
1995年 創立100周年のヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門にて名誉賞を東洋人として初めて受賞。
1996年 彫刻の森美術館で個展。「千住博 Waterfalls & Glasses」展。
1997年より大徳寺聚光院の襖絵制作にとりかかる。
1998年広島市現代美術館収蔵「八月の空と雲」に対し紺綬褒章受章。
2000年 「ライフ」に対し河北倫明賞受賞。
2002年第13回MOA岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞。
2003年 大徳寺聚光院別院襖絵完成。
2005年 第44回ミラノサローネ「レクサス・Lフィネス」にコラボレーションアーティストとして参加。アートディレクションと絵画を担当。福岡アジア美術館で個展「大徳寺聚光院別院襖絵七十七枚の全て」展を開催。
2006年 フィラデルフィア松風荘襖絵(ウォーターフォールシリーズ)完成。光州ビエンナーレ出品。ジャガー・ルクルト「レベルソ」誕生75年を記念した特別限定モデルの文字盤をデザイン。
2009年 ベネッセアートサイト直島・家プロジェクト参加。
2010年 APEC2010首脳会議の会場構成担当。2011年成都ビエンナーレ出品。
2011年までに東京国際空港(羽田)第1、第2、国際線ターミナルのアート・プロデュース/ディレクションを担当。アートディレクションを担当したJR九州博多駅が完成。「軽井沢千住博美術館」開館。
2013年 大徳寺聚光院京都本院の襖絵全てが完成。
2014年 オペラ『夕鶴』の舞台美術を担当。
2016年3月1日から大徳寺聚光院創建450年を記念して、奉納した襖絵を狩野永徳の国宝障壁画、重要文化財の茶室「閑隠席」とともに2017年3月26日まで特別公開。薬師寺東院堂にて予備校時代の師・武田成功のガラス作品と「水と光の幻想」展。平成28年度外務大臣表彰受賞。


日本画の存在やその技法を世界に広めるために、絵画制作にとどまらず、講演や著述など幅広い活動を行っている。
有名な作品のひとつに「ウォーターフォール」があり、1995年ヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞。大徳寺聚光院別院の襖絵も手がける他、舞台演出にも参加。
2015年末、高野山真言宗総本山金剛峯寺の主殿2部屋の襖絵の制作を手がけることが決定。
自然の側に身を置くという発想法を日本文化の根幹と捉え、自身の制作活動の指針としている。

代表作
『フラットウォーター』
『ウォーターフォール』
『クリフ』



片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 - 2008年(平成20年)1月16日)

日本画家。

1905年 1月5日、 北海道札幌市に生まれる
1922年 北海道庁立札幌高等女学校(現・北海道札幌北高等学校)師範科を卒業。画家になることを決意。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科入学
1926年 女子美術専門学校卒業。神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭に就任
1930年 日本美術院再興第17回展入選(「枇杷」)。研究会員になる
1935年 日本美術院絵画部第19回試作展入選。「炬燵」が試作賞受賞
1938年 日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞
1939年 日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。
1942年 日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞
1946年 安田靫彦に入門。第31回院展無鑑査出品作「夏」が日本美術院賞受賞
1948年 第33回院展入選「室内」が日本美術院賞受賞
1950年 第35回院展入選「剃髪」が日本美術院賞・白寿賞受賞
1951年 第36回院展入選「行楽」が奨励賞・白寿賞受賞。
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学日本画科専任講師に就任。横浜市南区大岡町から東京都世田谷区粕谷町に転居
1959年 日本美術院第14回春季展に「海岸」を出品。以後1969年(昭和44年)第24回展まで毎回出品
1960年 女子美術大学日本画家助教授
1961年 院展出品「渇仰」が1960年度文部省買い上げ優秀美術品に。
1962年 第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」招待出品。初の渡欧。フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る
1965年 女子美術大学日本画科教授に就任
1966年 女子美術大学客員教授、愛知県立芸術大学日本画科主任教授に就任。「面構」シリーズ制作開始。このころから「富士山」シリーズを製作開始
1970年 北海道庁の依頼で「函館街頭風景」を制作(道庁赤レンガに展示)。神奈川県藤沢市辻堂東海岸に転居
1971年 第56回院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」出品。面構シリーズ初の浮世絵師作品
1973年 定年により愛知県立芸術大学客員教授
1975年 自伝「情(こころ)ありて」執筆 第59回院展出品作「面構 鳥文斉栄之」が第31回日本芸術院恩賜賞受賞。院展六十年の歩み展に「面構 安藤広重」(1973年(昭和48年))を出品
1976年 秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章
1978年 日仏現代美術パリ展(パリ、グラン・パレ)に「喜多川歌麿」出品。国際交流基金買上げ。第27回神奈川文化賞受賞
1981年 日本美術院理事に就任。NHKテレビ番組「女性手帳(球子画ばなし)」出演、放映
1982年 日本芸術院会員に就任。
1983年 第38回春の院展に「ポーズ1」出品(初めての裸婦作品)
1986年 文化功労者に選ばれる
1989年 第42回中日文化賞受賞。文化勲章受章
1990年 藤沢市名誉市民に選ばれる
1993年 愛知県立芸術大学教官・卒業生と約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成、一般公開
1996年 愛知県立芸術大学美術学部に愛知県奨学基金として1億円寄贈
1998年 日本美術院創立百周年記念展東京展に「面構 豊太閤と黒田如水」(1970年(昭和45年))「ポーズ15」(1997年(平成9年))出品
1999年 都営地下鉄大江戸線築地市場駅構内の「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画制作
2000年 「熱き挑戦・・片岡球子の全像」展が横浜美術館で開催
2008年 急性心不全のため103歳で死去。叙従三位


荒々しい力強い筆致で派手な色彩が特徴で、強烈な個性を放つ。両親に勘当されながらも画家を志し,横浜市の小学校教諭として勤めながら、絵の制作に励んだ。
1930年に『枇杷』で院展に初入選。 1946年に『夏』で日本美術院賞を受賞するなど、院展ではたびたび入賞するが,帝展では一度も入賞できず、「落選の神様」と呼ばれた。
その独特なタッチから、画家としての評価は決して高くなかったが、「美しく描くことが全てではない」と自分の信念に従った創作を続けた結果、「面構(つらがまえ)」・「富士山」シリーズで高い評価を得る。



福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 - 2012年2月21日)

日本画家。息子の福王寺一彦も日本画家。

1920年 11月10日、米沢市生まれ。
1927年 6歳のときに左眼を失明する。
1929年 上村廣成に師事し日本画を学ぶ。
1936年 画家を志して上京。
1941年 召集され、中国に出征。
1946年 復員し、院展に出展。
1949年 作品「山村風景」が日本美術院展覧会に初入選。
1953年 東京都三鷹市に転居し本格的に絵画制作に取り組む。
1960年 作品「北の海」が日本美術院賞・大観賞を受賞。
1977年 作品「ヒマラヤ連峰」で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1984年 作品「ヒマラヤの花」で日本芸術院賞を受賞。
1994年 日本芸術院会員。
1997年 勲三等瑞宝章受章。
1998年 文化功労者顕彰受賞。
2004年 文化勲章受章。
2004年 米沢市名誉市民顕彰受賞。
2005年 山形県名誉県民顕彰受賞。
2012年 2月21日、心不全のため死去。91歳没。叙従三位

院展の中心作家として活躍。風景を得意とし、重厚な中にも素朴な趣きのある作風で知られる。多くの美術評論家は男性的な画風と批評し、豪快一辺倒ではなく、対極にある優しさと繊細さがあり、対比する二面性がありつつ、東洋的な人間味や精神性が宿る作風が特徴。
近年はヒマラヤの壮大な自然を取材したヒマラヤシリーズで、大きな評価を得ている。主な作品に作品に「山腹の石仏」「ヒマラヤの花」などがある。



東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日)

日本の画家。昭和を代表とする日本画家の一人。

1908年 7月8日 船具商東山浩介・くにの次男として横浜に生まれる
1911年 3歳 一家で神戸に転居
1921年 13歳 兵庫県立神戸中学校(現・兵庫高等学校)に入学
1926年 18歳 東京美術学校日本画科に入学
1931年 23歳 東京美術学校日本画科を卒業。結城素明に師事 雅号を「魁夷」とする
1933年 25歳 東京美術学校研究科を修了 8月渡欧
1934年 26歳 第1回日独交換学生に選ばれ,ベルリン大学哲学科美術史部に入学
1947年 39歳 第3回日展出品作「残照」が特選となり,政府買上げとなる
1950年 42歳 第6回日展に「道」を出品 風景画家として不動の地位を確立
1956年 48歳 日展出品作品「光昏」が第12回芸術院賞を受賞,政府買上げとなる
1960年 52歳 東宮御所大広間の壁画「日月四季図」を完成
1965年 57歳 日本芸術院会員に任命される。日展理事に就任
1968年 60歳 皇居新宮殿大壁画「朝明けの潮」を完成
1969年 61歳 第10回毎日芸術大賞を受賞 文化勲章を受章し,文化功労者に選ばれる
1975年 67歳 奈良唐招提寺の壁画第1期として,「山雲」「濤声」を完成
1976年 68歳 ドイツ連邦共和国大統領から功労大十字勲章を贈られる
1980年 72歳 唐招提寺壁画第2期「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」を完成奉納
1984年 76歳 日展顧問に就任
1985年 77歳 西ドイツの学術・学芸の最高のプール・ル・メリット勲章受賞
1988年 80歳 居住地の千葉県市川市の名誉市民に選ばれる
1990年 82歳 長野県信濃美術館に東山魁夷館が開館
1995年 87歳 8月,長野県山口村(現・岐阜県中津川市)に「東山魁夷 心の旅路館」が開館 10月,山口村名誉村民に推挙
1999年 5月6日 逝去,享年90歳 従三位勲一等瑞宝章を贈られる

幼い頃から画家を志し、東京美術学校(東京芸術大学)に進学し、結城素明から日本画を学ぶ。
1945年に徴兵され、戦争で生死の境目を経験したことは、芸術観に大きな影響を与えた。戦後、1947年の第3回日展で「残照」が特選を得たことが転機となり、以降、風景を題材に独自の表現を追求した。清澄で深い情感をたたえた風景画で知られ、平明ながら深い精神性をそなえた作風は、幅広い支持を集めた。東宮御所や皇居宮殿の障壁画から、川端康成や井上靖、三島由紀夫の挿絵を担当するなど、日本画家の中で揺るがない評価を得た。
主な作品に「道」「光昏」「桂林月夜」など。著作に「東山魁夷画文集」など。

受賞
日展特選 1947年 残照 
日本芸術院賞 1956年 光昏
毎日芸術賞大賞 1969年 朝明けの潮



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