画家一覧

版画家

笹倉鉄平(ささくら てっぺい)

1954年~ 兵庫県出身 日本の版画家

1973年 武蔵野美術大学商業デザイン科に入学。
1977年 同校卒業後、広告制作会社のグラフィック・デザイナーとなる。
1980年 フリーランスのイラストレーターとなり広告・出版物に多くのイラストを描く。また、森永製菓のパッケージイラストをおよそ10年間担当する。
1987年 毎日新聞カラー別刷り版にドイツのロマンチック街道沿いの風景を描いた『Romantic Gallery』シリーズを月一で連載。翌年には、前年シリーズの好評を以って、同紙面での連載としてフランスの街並みを描いた『ロマン色の街角』シリーズを掲載。
1990年 青山で初の個展を開催し、画家としての活動に専念。
1991年 シルクスクリーンによる初の版画作品を発表。
1992年 花の万博『フロリアード/1992』(オランダ開催)の記念版画が制作される。ニューヨーク・アートエキスポに出品。
1996年 小田急百貨店、新宿高島屋など各地で個展(以降、現在までに全国有名百貨店に於いて100を超える個展を開催)。
1998年 大丸ミュージアム・東京で初の美術館個展。
2001年 フィレンツェに架かる"ポンテ・ヴェッキオ"を描いた作品『祝福』がイタリア.フィレンツェ.日本.文化経済交流協会の公認作品となる。
2006年 全版画作品を所蔵し、企画展形式で作品展観する「版画ミュージアム」が神奈川県大和市に開館。
2007年 油彩・水彩・スケッチ等の肉筆原画を中心に企画展形式で展観する「ちいさな絵画館」が兵庫県西宮市に開館。
2015年 「京都・フィレンツェ姉妹都市提携50周年記念事業」の一環として、両市後援のもと、京都、フィレンツェそれぞれにおいて個展を開催。

武蔵野美術大学卒業直後から、デザイナー兼イラストレーターとして10年以上活躍し、1987年より2年間続いた毎日新聞カラー日曜版のドイツ・フランスの風景画の連載で人気を博したことを機に、画家へ転身した。
様々な表情の光があふれる笹倉鉄平の画風は、「光の情景画家」と称され写実的でありながらも想像性に富み、老若男女幅広く高い人気がある。
近年では、フランスや中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を美しい情景画として表現し、海外へ発信している。



加納光於(かのう みつお)

1933年~ 東京都出身 日本の版画家・画家

1953年 瀧口修造を知る。銅版画の制作を始める。
1956年 タケミヤ画廊で初個展。以後内外の版画展に参加する。
1964年 版の素材として使用していた亜鉛合金をガス・バーナーで焼いて版そのものを作品とした『MIRROR 33』と『ソルダード・ブルー』の連作で新しい技法による作品を開拓する。
1966年 『半島状の!』シリーズから後期ルドンのように色彩が加わる。
1969年 函形立体のオブジェ作品を制作。版画ではコラージュやフロッタージュを援用していっそう多様な展開をみせ、画集形式で発表した。
1976年 デカルコマニーを利用したリトグラフ連作『稲妻捕り』に没頭。
1980年 油彩画のはじめての作品群を個展『胸壁にて』として発表。
1992年 『本の宇宙-詩想をはこぶ容器』、1997年には『葡萄弾-加納光於 オブジェ1968-1997』を発表。
1993年 「色彩としてのスフィンクス-加納光於」、1995年「戦後文化の奇跡 1945-1955」、1998年「瀧口修造とその周辺」等の展覧会を開催。

独学で銅版画を学び、1950年代半ばから作品を発表。1960年代にはリュブリアナ国際版画ビエンナーレ、東京国際版画ビエンナーレ等、数々の国際展で評価を高めた日本を代表する作家の一人。
加納光於の作品の特徴のひとつが「連作」であり、ある期間ひとつの手法による作品を多数制作し、ある時点でその成果を発表すると、また新たな方向を模索し始め、素材と作品の関係を探求していった。



清宮質文(せいみや なおぶみ)

1917~1991年 東京都出身 日本の版画家

1937年 東京藝術大学美術学部油画科に入学。
1953年 本格的に創作活動に専念し、木版画を中心に水彩画・ガラス絵を制作する。
1954年 年春陽会に初出品し、初入選。以後1974年まで出品。
1960年~ 個展を中心に新作を発表。
1991年 73歳で死亡。

版画としては多い8~10刷を重ね、色合いに深みを出し、さらに透明感の高い水彩絵具を使うことで儚い印象を与えている。
杉並区高井戸に今も残る清宮のアトリエは、生前のままの状態で残されている。
机の上には、版画の道具や水彩画の画材の他に、小さなラジカセや鉄アレイなどもあり、アトリエから一歩も出ずに構想から鍛錬、制作まですべてを行っていたことを窺わせる。



山本鼎(やまもと かなえ)

1882年~1946年 愛知県岡崎市出身 日本の版画家・洋画家・教育者

1901年 木版工房で9年間の年季奉公を終えたが、他人の下絵を彫るだけの職人に満足できず、翌年、東京美術学校西洋画科選科予科に入学。
1907年 創作版画を奨励し、若い美術家や作家たちの創作拠点とすることを目的として、石井柏亭、森田恒友と美術文芸雑誌『方寸』を創刊。
1911年 東京版画倶楽部を開設し、坂本繁二郎との共作の「草画舞台姿」シリーズを開始。
1912年 石井光子との縁談を周囲から反対されたフランスへ渡る。
1919年 農民美術練習所を開講。
1946年 65歳で死去。

東京美術学校西洋画科選科予科在学中の1904年、与謝野鉄幹主宰の雑誌「明星」に刀画『漁夫』を発表した。
海辺の人々の生活感を滲ませたこの作品のリアリズムは、複製技術を主体とする、従来の版画にない新鮮さがあり、新進気鋭の版画家として注目され、絵師・彫師・摺師の三者を一人で行う画期的な創作版画であった。
フランスへ渡った時から借金に苦しんでいたが、帰国後は農民美術の事業などで莫大な負債をかかえ生活は苦しかったという。
代表作としては、『漁夫』『デッキの一隅』『野鶏(ヤーチー)』『ブルトンヌ』等がある。



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