画家一覧

縺昴・莉・

西村 計雄(にしむら けいゆう)

1909年~2000年 北海道出身

1929年 幼少期の頃から画家をし、東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学、藤島武二教室にて学ぶ。同期に、岡本太郎、東山魁夷。
1938年 東京女子美術大学の学生だった文子(ふみこ)と結婚し、家族をテーマに多数の絵を描いた。
1949年 戦後から渡仏するころまで早稲田中学校・高等学校の教師。その当時教え子に永六輔がいる。
1951年 42歳で単身渡仏。ピカソの画商カーンワイラーと出会い、それを契機に1953年からパリを中心にヨーロッパ各地で個展を開催。
1973年 作品『ヒロシマ』(300号)を広島市の平和記念館(現・広島平和記念資料館)に寄贈。
1978年 沖縄平和祈念堂の連作『戦争と平和』に取りかかり、第1作『沖縄に熱き想いを』を献納。
    以後8年の歳月を費やし300号の大作20点を作成し、その作品は平和祈念堂内全壁面に展示される。
1989年 共和町長が故郷への絵画作品を正式依頼、『ふるさと』(20号)を寄贈。
1990年 「西村計雄美術館 翠松苑」を開館。
1992年 岩内町の荒井記念美術館に2号館「西村計雄美術館」を開館。
1993年 倶知安高校へ『TOKIO』(≪豹変するトウキョウ≫)を寄贈。この頃から、お菓子の箱や木などをカンヴァスにして描いた『箱絵』を制作する。その後、共和町に自作の絵画103点を寄贈。
1999年 共和町に「西村計雄記念美術館」が設置。のちに油彩画5,208点他、スケッチや愛用品などの遺品が共和町(美術館)に寄贈。
2000年 逝去。


主な作品 ヒロシマ
     ふるさと
     月 など



西村 龍介

1920年~2005年 山口県出身

1938年 日本美術学校日本学科に入学。太田聴雨、川崎小虎、矢沢弦月らに学び、またデッサンを洋画家の林武に学ぶ
1946年 初めての個展を開催して日本画18点を展示。三好正直と山口市展、山口県展を創設。
1949年 京都市立美術専門学校研究科に入学するが翌年中途退学。上京し、企業の博覧会の背景画などを描いて生計を立てながら画家を志し、制作の準備に時間がかかる日本画から油彩画へ転向して『龍介』と名乗る。
1954年 第39回二科展に『河岸』で初入選。
1956年 第41回二科展に『月のある風景』『鳥と植物』を出品。特待受賞し、翌年、二科会会友となる。
1959年 サロン・ド・コンパレゾン展に招待出品。同年第44回二科展に『故園』『花』を出品。二科金賞受賞。翌年、二科会会員となる。
1963年 第48回二科展に『風景(A)』『風景(B)』を出品。同会会員努力賞を受賞。
1964年 渡欧を契機として“古城シリーズ”に着手。以後毎年ヨー ロッパに渡り、パリを拠点としてフランスを中心に各地を 巡って、森と水に囲まれた『古城』を描き続けている。
1967年 サロン・ドートンヌに『風景』を招待出品。翌年、第53回二科展に『古城』『館』を出品、二科会青児賞を受賞。その後、第54回二科展に『聖堂』『遥かなる聖堂』を出品。二度目の会員努力賞を受賞。
1971年 第56回二科展に『古城幻影』『城』を出品、内閣総理大臣賞受賞。翌年、ニ科会委員となりその後1975年~1977年ニ科会委員長を務める。
1983年 『森と城と水の詩情の世界 西村龍介展』が東京松屋、大阪大丸、名古屋松坂屋で開催され、初期から近作までが出品。
1988年 西村龍介個展『水の抒情詩』を開催。この作品で、“フランスの古城を題材に、日本画と洋画を巧みに 融合し、独自の油彩表現を示した”として、昭和63年度芸 術選奨文部大臣賞受賞。
1990年 個展『水の抒情詩Ⅱ・みなと』を開催、フランス、ノルウェーの港風景を描いた新作を発表。
1997年 東京八重洲の大丸ミュージアムにて『喜寿記念・西村龍介展』開催。
2000年 二科会を退会。ハウステンボス美術館で『ヨーロッパ水辺の城 西村龍介展』開催。
2005年 逝去。

主な作品 古城
     遥かなる聖堂
     水辺の城 など



野口 謙蔵(のぐち けんぞう)

1903年~1944年 滋賀県出身 日本洋画家

1919年 彦根中学校卒業、東京美術学校西洋画科入学、上京。野口小蘋宅に止宿。
1924年 美術学校卒業後、故郷へ戻り、和田英作に師事す、また平福百穂に日本画を学ぶ、歌人米田雄郎と交わる。その間、謙蔵が描いた水彩画『彦根城山大手橋』が天皇のお持ち帰った。
1929年 第10回帝展『梅干」にて入選。
1930年 第11回帝展『蓮』にて入選。
1931年 第12回帝展『獲物』にて特選。翌年、『放生』は不出品。
1933年 第14回帝展『閑庭』にて特選。
1934年 第15回帝展『霜の朝』にて特選。東光会第2回展『蓮と少女』を出品。
1935年 東光会第3回展『五月の風景』『初冬の一隅』を出品。
1936年 東光会第4回展『蓮と朝顔』『夕日の家とひまはり』を出品。
1937年 東光会第5回展『野草』『冬日』を出品。
1938年 文展無鑑査となり、第1回文展『応召風景』、東光会第6回『ヒヨドリ』『雪後水村』『晩秋一隅』を出品。
1939年 第2回文展『豆の花』、東光会第7回『朝かげの庭』『冬田と子供』『がくの花』を出品。
1940年 第3回文展『太陽と村落』、奉祝展『朝』、東光会第8回『白梅』『雪後』『草千里』『朝日』を出品。
1941年 第4回文展『畔木の秋』東光会第9回『夕月』『凍る朝』『冬田』『不動尊』を出品。
1942年 東光会第10回『青田の朝』を出品。
1943年 文展審査員になる。文展第6回『望』、東光会第11回『冬草原』『虹のある雪景』の出品。その後、体調を崩す。
1944年 逝去。


主な作品 五月の風景
     朝
     梅干 など



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