画家一覧

画家一覧

鴨居玲(かもい れい)

1928年~1985年 石川県金沢市 日本の洋画家

1946年 金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事する。
1950年 二紀会同人に推挙される。
1952年 芦屋・田中千代服装学園の講師となる。
1964年 創作に行き詰まり、南米・パリ・ローマを渡り歩き、翌年帰国。
1968年 初の個展を開催し、下着デザイナーの姉・鴨居羊子を通じて知り合った小説家・司馬遼太郎と親交をもつ。
1969年 昭和会賞と安井賞を受賞。
1971年 スペイン・ラ・マンチャ地方のバルデペーニャスにアトリエを構え制作に没頭。
1984年 金沢美術工芸大学の非常勤講師として講義。
1985年 57歳で死去。

人生に絶望するのではなく、ここで人生の幕を下ろした方が自分という人間にとって格好いいと思っており「死の美学」を持っていた。
しかし、その一方で生きることへの未練も抱えており、生涯に何度も自殺未遂を繰り返してしまった。
画風としては社会や人間の闇を描いくことが多い画家だった。



野田弘志(のだ ひろし)

1936年~ 韓国全羅南道出身 日本の画家

1956年 上京し阿佐ヶ谷美術学園洋画研究所に通う傍ら、森清治郎に絵画を学ぶ。
1957年 東京藝術大学美術学部に入学。
1960年 白日会第36会展に初入選し、白日賞受賞。
1982年 白日会第58回展で内閣総理大臣賞を受賞。
およそ10年の期間で作品の個人様式を大きく転換させることが特徴的だが、その核心は一貫しており、題材を細密に写真で記録し徹底した描写でキャンパスに再現するリアリズムな表現も特徴的。
1970年では黒い背景によって特徴づけられる絵画が多く、1980年代は黄金色の表現が多かった。
1990年台以降は明るいグレーや白が中心の作品が多い。
1970年代から1997年頃まで、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成していたが、近年では影を潜めている。
現代日本の具象画壇を代表する画家の一人。



松田正平(まつだ しょうへい)

1913~2004年 島根県出身 日本の洋画家

1937年 東京美術学校西洋画科卒業し、パリへ留学するが、第二次世界大戦が始まった為、1939年に帰国。
1951年 国画会会員となり、銀座フォルム画廊で初めての個展を開催。(以後定例化)。
1984年 第16回日本芸術大賞受賞。
2000年 地域文化功労者文部大臣表彰。
2002年 平成14年度文化庁長官表彰。
2004年 91歳で死去。

その名が知られるようになったのは晩年になってから。
戦前から戦後にかけて少しずつ厚塗りになっていくが、その後、徐々に作品は薄くなり、80年代には透明感のある水彩のような表現に変わっていくのが特徴。
瀬戸内海の西の端にあたるこの海を描いた『周防灘』シリーズは代表的な作品の一つ。



村山槐多(むらやま かいた)

1896年~1919年 京都府京都市出身 日本の洋画家

1914年 京都府立第一中学校を卒業し上京し、日本美術院の研究生となる 第1回二科展に『庭園の少女』が入賞。
1915年 第2回日本美術院展覧会で『カンナと少女』が院賞受賞。
1917年 第4回日本美術院展覧会で『乞食と女』が院賞受賞。
1918年 第4回日本美術院試作展覧会に『樹木』『自画像』『九十九里の浜』『男の習作』他2点を出品し、奨励賞受賞。
1919年 第5回日本美術院試作展覧会に『松と榎』『雪の次の日』『松の郡』『自画像』『松と家』『大島風景』『某侯爵邸遠望』『代々木の一部』を出品し、美術院賞乙賞受賞。
1919年 24歳で死去。

画家の山本鼎は従兄である。
画家自身のほとばしる情念や不安を反映した村山槐多の絵は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残す。
また、実質的に画家として活動した期間が約5年足らずであるため絶対的な作品数は少ないことから、現在残されている作品にはかなりの高値が付く。
過去に「なんでも鑑定団」に村山槐多の作品が登場した際には3,000万円の評価額が付けられたこともある。



岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ)

1869年~1939年 佐賀県出身 日本の洋画家

1887年 岡田家の養子になり洋画家・曽山幸彦の画塾に入門、曽山の逝去後は堀江正章に学んだ。
1892年 洋風絵画専修のため大幸館に入学し、堀江正章の指導を受ける。
1893年 大幸館規定の科目を卒業。卒業制作は『矢調べ』。
1896年 白馬会の創立に参加する。
1897年 第1回の文部省留学生としてフランスに留学し、ラファエル・コランに師事する。
1902年 帰国し、東京美術学校の教授に就任する。
1907年 東京勧業博覧会出品の『婦人像(某婦人の肖像)』が1等賞を受ける。文展の審査員に選出。
1912年 藤島武二と本郷洋画研究所を設立。
1919年 高村豊周、長原孝太郎、藤井達吉らと装飾美術家協会の結成に加わる。帝国芸術院会員となる。
1937年 第1回文化勲章を受章する。帝国芸術院会員となる。
1939年 70歳で死去。

父親は佐賀藩主に使える藩士で、小さな時に百武兼行の油絵を見る機会があり、画家を志すことを始めた。
久米桂一郎の紹介で黒田清輝に師事し、それまでの伝統的な技法だけだはなく、西洋の技法も学び、さらに、フランスへ留学時にはラファエル・コランに師事し、画技を磨いた。
外光派の画風を基本とした写実風景画を得意とし、作品は女性を描いたものが多い。



山口晃(やまぐち あきら)

1969年~ 東京都 日本の画家・現代美術家

1994年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1996年 東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了
1997年 会田誠に誘われこたつ派展に参加。
2001年 岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。
2013年 ヘンな日本美術史で第12回小林秀雄賞を受賞。

大和絵や浮世絵のような筆さばきで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風で知られる。
馬型のバイクに武士が乗っていたり、瓦屋根が載った超高層ビルを描く等、作品の多くが自由でユーモラスな発想で描かれる。
書籍の装丁や広告のポスターの原画も数多く手掛けている。



浜口陽三(はまぐち ようぞう)

1909〜2000年 和歌山県出身 日本の版画家

1930年 東京美術学校を中退してフランスへ渡航。
1937年 最初の銅版画『猫』を制作。
1957年 『魚と果物』『したびらめ』等でサンパウロ・ ビエンナーレ大賞受賞。第一回東京国際版画ビエンナーレにて東京国立近代美術館賞受賞。
1972年 『びんとさくらんぼ』で第4回クラコウ国際版画ビエンナーレ受賞。
1981年 パリからサンフランシスコに移住。
1982年 『西瓜』で北カリフォルニア版画大賞展グランプリ受賞。

1986年 勲三等旭日中綬章を受章。
2000年 91歳で死去。

銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者として高く評価されている。
作品のモチーフはさくらんぼ、ぶどう、くるみ等の小さな果物や貝、蝶などの小動物が多く、空間を広く取った画面構成で逆に小さな対象物を際立たせる手法を用いた作品が多い。



柳原義達(やなぎはら よしたつ)

1910年~2004年 兵庫県神戸市 近現代日本の彫刻家

1937年 国画会彫刻部同人となる。
1939年 新制作派協会彫塑部創立に参加し、会員となる。
1953年 フランスに渡り、エミール・オリコストに学ぶ。
1958年 第1回高村光太郎賞受賞。
1970年 兵庫県近代美術鑑賞を受賞。日本大学芸術学科主任教授となる。
1973年 第1回長野市野外建築賞受賞。
1990年 勲三等瑞宝章受賞
1996年 文化功労者に選出される
1999年 神戸新聞平和賞特別賞受賞
2004年 94歳で死去

神戸第3中学校を卒業後、京都に住み藤村良一に日本画を学ぶが、ロダンやブールデルの作品の複製図版に接したのを機に彫刻家を志すことになる。
代表作には『犬の唄』『座る女』『道標・鳩』等がある。



笹倉鉄平(ささくら てっぺい)

1954年~ 兵庫県出身 日本の版画家

1973年 武蔵野美術大学商業デザイン科に入学。
1977年 同校卒業後、広告制作会社のグラフィック・デザイナーとなる。
1980年 フリーランスのイラストレーターとなり広告・出版物に多くのイラストを描く。また、森永製菓のパッケージイラストをおよそ10年間担当する。
1987年 毎日新聞カラー別刷り版にドイツのロマンチック街道沿いの風景を描いた『Romantic Gallery』シリーズを月一で連載。翌年には、前年シリーズの好評を以って、同紙面での連載としてフランスの街並みを描いた『ロマン色の街角』シリーズを掲載。
1990年 青山で初の個展を開催し、画家としての活動に専念。
1991年 シルクスクリーンによる初の版画作品を発表。
1992年 花の万博『フロリアード/1992』(オランダ開催)の記念版画が制作される。ニューヨーク・アートエキスポに出品。
1996年 小田急百貨店、新宿高島屋など各地で個展(以降、現在までに全国有名百貨店に於いて100を超える個展を開催)。
1998年 大丸ミュージアム・東京で初の美術館個展。
2001年 フィレンツェに架かる"ポンテ・ヴェッキオ"を描いた作品『祝福』がイタリア.フィレンツェ.日本.文化経済交流協会の公認作品となる。
2006年 全版画作品を所蔵し、企画展形式で作品展観する「版画ミュージアム」が神奈川県大和市に開館。
2007年 油彩・水彩・スケッチ等の肉筆原画を中心に企画展形式で展観する「ちいさな絵画館」が兵庫県西宮市に開館。
2015年 「京都・フィレンツェ姉妹都市提携50周年記念事業」の一環として、両市後援のもと、京都、フィレンツェそれぞれにおいて個展を開催。

武蔵野美術大学卒業直後から、デザイナー兼イラストレーターとして10年以上活躍し、1987年より2年間続いた毎日新聞カラー日曜版のドイツ・フランスの風景画の連載で人気を博したことを機に、画家へ転身した。
様々な表情の光があふれる笹倉鉄平の画風は、「光の情景画家」と称され写実的でありながらも想像性に富み、老若男女幅広く高い人気がある。
近年では、フランスや中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を美しい情景画として表現し、海外へ発信している。



桂ゆき(かつら ゆき)

1913年〜1991年 東京都出身 日本の美術家

1930年代初頭 女学校池上秀畝に日本画を学び、卒業後は中村研一や岡田三郎助のアトリエに通い人体デッサンを習う。
1933年 東郷青児や藤田嗣治が指導するアヴァンガルド洋画研究所に通う。
1935年 コラージュによる初めての個展を近代画廊で開く。
1938年 藤田嗣治の勧めで、日動画廊で個展を開催。吉原治良等と九室会創立に参加。
1946年 三岸節子等と女流画家協会の創立に加わる。
1947年 日本アヴァンギャルド美術家クラブの結成に参加。岡本太郎の誘いで「夜の会」に出席、花田清輝等と知り合う。
1950年 二科会の会員に推挙され、1956年まで審査員を務める。
1961年 第6回日本国際美術展に『異邦人』を出品し優秀賞を受賞。東京画廊で個展。カーネギー国際展に出品。二科会退会。
1962年 アフリカ、アメリカでの体験をもとに『女ひとり原始部落に入る』を執筆。
1966年 第7回現代日本美術展に『ゴンベとカラス』等を出品、最優秀賞を受賞。
1974年 エッセイを纏めた『狐の大旅行』『続・狐の大旅行』が刊行される。
1991年 77歳で死去。生前より準備していた回顧展が下関市立美術館で開催される。

戦前から紙やコルクを用いたコラージュ作品を制作し、その後も抽象から戯画的なものまで、多彩な技法とスタイルで多くの作品を生み出した。
昭和の戦前期には東郷青児らのアヴァンギャルド洋画研究所に通い、二科展の前衛グループ・九室会の創立メンバーとなるなど、日本前衛絵画の創成期に深く関わるアーティストの一人。



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