画家一覧

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竹久夢二(たけひさ ゆめじ)

1884年~1934年 岡山県出身 日本画家・詩人

1901年 17歳で家出して単身上京。翌年に早稲田実業学校専攻科入学。自らのスケッチを読売新聞などに投書。
1905年 友人であった荒畑寒村の紹介で平民社発行の「直言」にコマ絵が掲載される。また「中学世界」に『筒井筒』が第一賞入選する。
1912年 雑誌「少女」の誌上に「さみせんぐさ」の筆名で『宵待草』原詩を発表。
1920年 『長崎十二景』、『女十題』のシリーズ制作。
1927年 都新聞に自伝絵画小説『出帆』を連載。
1933年 台湾を訪れ講演を行い「竹久夢二画伯滞欧作品展覧会」を開催。
1934年 50歳で死去。

数多くの美人画を残し、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンを代表する画家である。
この「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれていたが、洋画技法による女性像や風景画も残されている。
好んでさまざまな表現形式を試みていたが、それらは後世になり評価された。
一時は中央画壇への憧れもあったようだが受け入れられることはなく、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索していたとのこと。



橘天敬(たちばな てんけい)

1906年~1984年 京都出身 日本画家

1922年 上野美術学校入学のため上京する。
1926年 20歳の頃より仏教美術研究に専念。
1929年 荒木十畝の推薦により『池辺』をイタリアの讀画会展に招待出品する。これより園部香峰と号する。
1930年 福岡市福岡日日新聞社主催、園部香峰渡伊送別日本画展を開催する。
1933年 タイ国立博物館にて個展を開催する。『メナムの黎明』がタイ国立博物館に所蔵される。
1934年 シンガポールに於いて個展を開催する。
1936年 香港グロスターホテルにて個展を開催する。
1939年 満州国美術院を創設。
1939年 横山大観、荒木十畝と共にイタリア政府より文化勲章を贈られる。
1950年 画号を橘天敬と改名する。
1965年 明治神宮参集殿にて「橘天敬の芸術」を開催。『悠々無限図』を台湾・蒋介石総統に贈呈。耀禅宮三代目総裁となり、耀禅宮義仁と改名。世界靖国顕彰会を設立し、理事長となる。
1967年 全国叙勲者連盟を創設。
1970年 屏風絵『八州之気図』が明治神宮宝物殿に奉納される。東京美術倶楽部にて個展を開く。障壁画『清生楽々天地乃間』がテキサス州歴史博物館に所蔵される。
1972年 米国国立フリーア美術館に六曲一双屏風『風神雷神』が収蔵される。
1975年 三越本店7階大ホールにて個展を開催する。
1984年 77歳で死去。

剛毅で大胆な屏風絵から、淡墨で描く繊細で可愛らしい小さな雀に至るまで、伝統を重んじながら独創性とロマンを追求した。
画風は躍動感に満ち、魂を感じさせる不思議なエネルギーを放ち、その評価は年々高まっている。
2005年にはイタリア上院議会に於いて「橘天敬芸術展」が開催され好評を博した。



田中以知庵(たなか いちあん)

1893年~1958年 東京出身 日本画家

1909年 松本楓湖塾に入門。
1912年 建長寺釈宗活師より咄哉の号を受ける。
1913年 第10回研精会展出品。
1923年 第1回春陽会出品。
1929年 小室翠雲の推挙で日本南画院同人となる。
1931年 雅号を咄哉州に改める。
1935年 初めての個展を開く。
1938年 第2回新文展出品。
1946年 雅号を以知庵に改める。
1948年 第4回日展出品。
1950年 第6回日展審査員。
1958年 64歳で死去。

商家の子として生またが絵に興味を持っており、上原古年に画の手ほどきを受け、本格的に画家を志し松本楓湖に師事した。
巽画会や紅児会等で活躍し、小室翠雲の推薦により日本南画院同人となり、日本南画院、日展などでも出品し活躍した。
作品は詩情に溢れた花鳥や風景画をのびのびとした絵画世界で描いた。



土田麦僊(つちだ ばくせん)

1887年~1936年 新潟県出身 日本画家

1903年 京都・智積院に入るが画家を志し鈴木松年に入門を請い その息子松僊に学ぶ。
1904年 竹内栖鳳に弟子入り。「麦僊」の号を受ける。
1905年 第10回新古美術品展に『清暑』を出品し、四等賞三席。
1908年 第2回文展に『罰』を出品し、三等賞受賞。
1911年 小野竹喬らとともに前衛的な絵画運動の会である仮面会を結成。黒猫会に参加。
1912年 第6回文展に『島の女』を出品し、文部省に買い上げられる。
1918年 同じ京都市立絵画専門学校出身の同士であった村上華岳・榊原紫峰・小野竹喬・野長瀬晩花とともに国画創作協会を結成。
1927年 フランス政府よりレジオン・ド・ヌール・シュバリエ勲章受章。
1929年 第10回帝展に『罌栗』を出品し、宮内庁に買い上げられる。
1934年 改組帝国美術院の会員に任命される。
1936年 49歳で死去。

伝統的な文展の審査のありかたに不満をもち若手日本画家達が西洋と東洋の美術を融合させ新しい日本画の創造を目指すために結成された国画創作協会の立ち上げメンバーの一人。
その国画創作協会の中でも土田麦僊は第1回展に出品した『湯女図』をはじめ、毎回意欲作を出品し、中心的存在であった。
代表的な作品は、『島の女』『湯女図』『大原女』などがある。



寺崎広業(てらさき こうぎょう)

1866年~1919年 秋田県出身 日本画家

1883年 狩野派の小室秀俊に師事する。
1888年 上京して四条派の平福穂庵、南画家の菅原白竜に学ぶ。
1890年 第3回内国勧業博覧会で『東遊図』が褒状を受ける。
1891年 日本青年絵画協会の結成に参加する。
1898年 日本美術院の創設に参加する。
1901年 東京美術学校教授に就任。
1904年 日露戦争の従軍画家となる。
1907年 国画玉成会結成に参加する。
1912年 第6回文展に出品する。
1917年 帝室技芸員となる。
1919年 53歳で死去。

秋田県出身の明治から大正時代に活躍した日本画家。
放浪の画家と呼ばれ、各地を旅してまわり、美人画で名を上げた。
その他にも日露戦争の従軍画家の経験を生かして木版画による戦争絵、花鳥画を多く描いた。
代表的な作品は『大仏開眼』『天平美人』『杜甫』等がある。



寺島紫明(てらしま しめい)

1892年~1975年 兵庫県出身 日本画家

1913年 上京して鏑木清方に入門する。
1914年 巽画会で『柚子湯』『菖蒲湯』が三等賞を受賞。
1927年 第8回帝展で『夕なぎ』が初入選となる。
1942年 第5回文展で『秋単衣』が特選となる。
1961年 第4回新日展で『舞妓』文部大臣賞を受賞。
1970年 日本芸術院恩賜賞を受賞する。
1975年 82歳で死去。

本名は徳重。
明治から昭和時代に活躍した日本画家で、近代日本の美人画家として上村松園・伊東深水と並び称せられる鏑木清方の門人だった事でも知られている。
小学校に入学した頃からスケッチを好み、文学にも傾斜を深め、寺島玉簾のペンネームを用いて「少年倶楽部」「兄弟姉妹」などの雑誌に応募して入賞を果たしていた。
代表的な作品は『秋単色』『甲南夫人』『舞妓』『夕ぐれ』等がある。



徳岡神泉(とくおか しんせん)

1896年~1972年 京都出身 日本画家

1909年 土田麦僊の紹介で竹内栖鳳の画塾竹杖会に入り、本格的に画を学ぶ。翌年には京都市立美術工芸学校絵画科に入学し卒業までの4年間に、金牌、銀牌を獲得するなど優秀な成績を修め、卒業制作の『寒汀』は学校買い上げの栄誉を受けた。
1917年 京都市立芸術大学別科修了。
1919年 第1回日本無名展に『雲の流れ』を出品、褒章を受ける。
1920年 再び竹杖会に入塾する。
1925年 第6回帝展に『罌粟』が初入選。その後、第7回、第8回とそれぞれ『蓮池』、『鯉』が帝展特選を受賞。
1938年 新文展審査委員。
1939年 第3回新文展に『菖蒲』を出品、文部省買い上げ。
1951年 『鯉』で日本芸術院賞を受賞。
1957年 日本芸術院会員となる。
1966年 文化勲章を受章。
1972年 76歳で死去。従三位銀杯を授与。

本名は時次郎。
対象の内観まで入り込んだ作品全体に深い印象を与える繊細な地塗りを特徴とした「神泉様式」と呼ばれる独自の画風を築いた事で知られている。
徳岡神泉の日本画は戦後の日本画に大きな影響を与えた事で知られる。
戦後は日展を中心に活躍した。
代表的な作品としては『狂女』『赤松』『枯葉』等がある。



富岡鉄斎(とみおかてっさい)

1836年~1924年 京都出身 日本画家

1861年 長崎に遊学し、長崎南画派の祖門鉄翁、木下逸雲らの指導を受ける。
1869年 私塾立命館の教員に就任。
1874年 松浦武四郎との交流から北海道を旅し、アイヌの風俗を題材にした代表作『旧蝦夷風俗図』を描いた。
1893年 京都市美術学校の教員に就任。
1924年 87歳で死去。

一時名を鉄斎としたが、しばらくのち百錬に改名し、字は無倦。号は鉄斎。別号に鉄人、鉄史、鉄崖等。
幼少の頃から勉学に励み、はじめ富岡家の家学である石門心学、15歳頃から大国隆正に国学、岩垣月洲らに漢学、陽明学、詩文などを学んだ。
明治維新後の30歳から40代半まで神官を勤め、その後は各地を旅する。
学者としての姿勢を貫きながら自由な作画活動を展開し、学識と画技により文人画壇の重鎮となった。
代表的な作品は『不尽山頂全図』『旧蝦夷風俗図』等がある。



冨田溪仙(とみたけいせん)

1879年~1936年 福岡県出身 日本画家

1891年 狩野派の画家衣笠探谷に学ぶ。
1896年 京都に出て、四条派の都路華香の門に入る。
1915年 日本美術院同人。
1935年 帝国美術院会員。
1936年 58歳で死去。

本名は鎮五郎。字は隆鎮、別号に雪仙、渓山人など。
初めは狩野派・四条派に学んでいたが、それに満足せず、仏画・禅画・南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自由で奔放な作品を描いた。
駐日フランス大使であった詩人のポール・クローデルや俳人河東碧梧桐との交遊でも知られている。
代表的な作品は、『鵜船』『伝書鳩』『万葉春秋』などがある。



長井雲坪(ながいうんぺい)

1833年~1899年 新潟県 日本画家

1848年 医学修行のため長崎に行き、祖門鉄翁・木下逸雲に絵を学ぶ。
1867年 中国に渡り、徐雨亭、王道子、陸応祥らと交わる。
1899年 67歳で死去。

江戸末期・明治の文人画家。
名は元、字は仲斎、通称は元次郎、別号に桂山,瑞岩など。
信州に留り戸隠山中に画室を設けて信州南画の第一人者として活躍した。



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