画家一覧

中国の画家

呉冠中(ごかんちゅう)

1919年~2010年 中国江蘇省出身 中国の画家

1942年 林風眠、潘天寿に師事する。国立芸術専科学校を卒業。
1947年 フランスの国立美術学校(エコール・デ・ボザール)へ留学し油絵を学ぶ。
1950年 帰国し、パリで学んだ西洋絵画を基礎とし、潘天寿から国画を学んだ。
1989年 呉冠中の作品『高昌遺跡』が、香港のオークションで当時活躍中の中国人画家の作品としては最高額の187万香港ドル(日本円で約3000万円)で取引される。
1992年 古代文物以外は展示しないという大英博物館の慣例を初めて打ち破り、個展を開催。
2002年 アジア人芸術家として初のフランス学院のアカデミー会員になる。
2010年 90歳で死去。

フランスへの留学から帰国後、油絵の民族化を主に探索し、水墨による国画の現代化と東洋と西洋を結びつけた新しい作風の研究に専念した。
1970年頃から墨線と彩点を混合し、点染する表現方法で、抽象的な山水画を描く様になり、中国と西欧の芸術を融合させる代表作家であった。
林風眠が提唱した「中国と西洋芸術の調和」を出発点として、「林・呉体系」に発展させ、独特の「呉派」を作り出し、林風眠後の中国新芸術の代表画家の一人である。



黄冑(こうちゅう・梁黄冑)

1925年~1997年 中国河南省出身 中国画家

1937年 独学で画を学び、2年後に本格的に師について国画を学ぶ。
1949年 中国人民解放軍に参加し、部隊生活と新疆少数民族の生活を反映した優秀な作品を多く制作する。
1956年 第6回世界青年実用芸術展覧会金賞を受賞。
1975年 軽工業部工芸美術公司顧問・中国画研究院副院長・中国美術家協会常務理事を務める。
1997年 72歳で死去。

水墨を用いた動物画に優れ、特に驢馬の画で有名。
その作風は生き生きとしており筆墨は力強く、速度のある線で人物や羊、驢馬を描き、青・黄・赤・黒などの対照的な配色で鮮烈で豪放な画面を生んでいる。



陸厳少(りくげんしょう)

1909年~1993年 中国上海市出身 中国の画家

・無錫美術専門学校にて、王同愈から詩文を学び、馮超然から絵を学ぶ。
・呉湖帆と知り合い、南北の景勝地に遍歴する。
・上海中国画院画師、浙江美術学院教授、中国美術家協会理事など歴任。

山水画を得意とし、柔と剛を巧みに操り、雲や水の動きは変化が尽きることがなく、余白や墨の塊を使い方の表現は非常に優れている。
また、人物・花鳥・書も書き、画業以外にも中国美術家協会理事など歴任した。



蒲作英(ほさくえい)

1832年~1911年 中国浙江省嘉興出身 中国の画家


1911年 79歳で死去。

清代末期頃の海上画派の画家で、書も良く書いた。
作風は洗練された筆墨と天然情緒に富んでおり、山水・草書・花卉を得意とした。



銭松嵒(せんしょうがん)

1899年~1985年 中国の画家

幼少時 父親に古文・詩・書道・絵画を学ぶ。
1918年 江蘇第三師範に入学し胡汀鷺に学び、卒業後は蘇州で小中学校教員をし、1927年からは無錫美術専科学校教員をする。
1957年 国画制作に専念。
1985年 86歳で死去。

山水画の優れた伝統と現代山水画の新しい作風を融合させて、色彩豊富な独待の風格を持った新しい山水画を制作した。



張善孖(ちょうぜんし)

1882年~1940年 中国四川省出身 中国の動物画家

またの名を張沢。字は善孖、善子、善之、号は虎痴。
上海美術専科学校教授を歴任した。
山水・花鳥・魚・虫・走獣、中でも虎の画を得意とした。
抗日戦争後渡米、チャリティー画展を開いた。
59歳で死去。
長年虎を飼いながら観察や写生をして、独自の画風を完成させ、その虎画は切手にもなっている。



林良(りんりょう)

生没年不詳 中国広東南海出身 中国(明)中期の画家

成化年間(1450年~1487年)の宮廷画家で同郷の顔宗に山水画、何寅于に人物画を学ぶ。
北京にて天順中内廷供奉、工部営繕所丞に推薦され、後に仁智殿に入り錦衣衞鎮撫となった。
その作品は、前期の写実的な着色花鳥画、後期の草書のような筆使いと没骨の墨面を駆使した水墨写意花鳥画は高く評価された。
作詩もよくした。



王原祁(おうげんき)

1642年~1715年 中国江蘇省太倉出身 中国の文人画家

字は茂京、号は麓台。王時敏の孫。
王時敏、王鑑、王翬、呉歴、惲寿平とともに四王呉惲の一人に数えられる。
幼少より祖父や王鑑に南宗画の伝統的山水を学ぶ。
内廷供奉として、『佩文斎書画譜』の編纂を行った。
清初の文人画風の典型を作ったと云われている。



呉湖帆(ごこはん)

1894年~1968年 中国江蘇省蘇州出身 中国の画家・書家・鑑定家

初名翼燕、のち萬、字は橘逡または東荘、呉大澂の孫。
両祖父から受け継いだ古書画や古銅器を守りながら絵画を学んだ。
陸恢に学び山水をよくし、二十五歳で生業と、のちに上海に出て、正社書画会を経営し、梅景書屋で画法を教授した。
花卉、墨竹もたまに描き、俊逸淡雅と評された。
また、書画の鑑定に明るかったという。



沈周(しんしゅう)

1427年~1509年 中国の書画家

沈周は、幼少の頃から人並み外れて聡明で一度読んだ書物はすぐに覚えてしまうほど記憶力が良く、幼い頃から陳寛に師事し、成長してからは経伝子史百家を幅広く学び、医術や占術、民間の通俗史書や伝奇物語まで読んだという。
そして、最終的には中国の明代中期の文人にして画家で、文人画の一派である呉派を興し「南宋文人画中興の祖」とされた。
また蘇州文壇の元老として中国文学史上に名をと残し、書家としても活躍。
詩書画三絶の芸術家として後世になっても評価が高く、沈周・文徴明・唐寅・仇英の四人で、「明四大家」と称された。



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